静岡県賀茂郡河津市谷津375
河津氏館跡
「河津」駅から徒歩で河津川に架かる舘橋を渡って5分ほどの所にある谷津河津八幡神社の辺りが河津氏館跡です(専光寺も含まれるか?)。
遺構は何も無いようです。
曾我兄弟像
鎌倉時代、曾我十郎祐成、曾我五郎時致 兄弟は父 河津三郎祐康を工藤祐経の従者に殺害され曾我兄弟が仇討を果たした。
これは日本三大敵討ちと云われる。
河津三郎像と力石
相撲や柔道の技「河津掛け」は河津三郎祐泰が使ったと云われいます。
像の前には300kgあるとゆう力石が置かれています。
専光寺
河津八幡宮の左方にある専光寺ですが、当時から寺が存在したのかは不明?
湯端の塞神
詳しいことは分かりませんが塞神(さいのかみorさえのかみ)とは道祖神と同じものようです。
河津神社から河津桜と河津城遠望
立地は、館の背後は山、前方には河津川があり、300m下ると太平洋となり、意外と防御に容易だったかもしれません。
ただ、平地が少なく発展性は乏しいため後の領主は対岸に移っていったようてです。
河津氏館 地図
伊豆急行 「河津」駅下車、南西に徒歩5分
駐車場:神社参拝用Pあり
トイレ:無し
近くには、北に河津城、蔭山氏館。南南西に下田城。西南西に深根城。
城郭ページ! 関東の後北条系の城メインで、 範囲は古代山城から近世城郭まで! その他、遺跡、寺院、伝統芸能、ナドも・・・ *過去Blogは「県名」「石垣」「古墳」ナド ラベルのキーワードで検索してください。
2020年4月29日水曜日
2020年4月9日木曜日
青梅市の 藤橋城(ふじはしじょう:東京)
東京都青梅市 青梅市指定史跡
藤橋城にやって来ました!
今井城から霞川を渡りクルマで5分の道のり。
信号手前の左手に見える斜面は公園外ですが城の一部のようです。
藤橋城跡公園の正面
ココは1郭で、右方向に進むと下って「藤の木農道」信号に出ます。
この道路は昭和40年頃まで空堀だったそうです。
立地は段丘の出張り
*この地図は現在の道路に沿って堀の位置を推定した個人的妄想地図なので実際のところは分かりません!!
1郭の公園入口
ココは、
郭(宅地)―堀(道路)―1郭
と、なるかと思います。
藤橋城跡 案内板
過去Blogの所沢市の滝の城にも出てくる清戸三番衆の藤橋小三郎の城であったとされており、廃城は小田原合戦の時とされています。
1郭土塁上から
この土塁の先に櫓台と思われている盛土があります。
上の写真から逆方向に振返ったところ
オニギリのような形の郭の周囲には土塁が廻ります。
1郭
ベンチと簡易なトイレが備わっています。
1郭北西の吐出部
ココでは西~北方まで見渡せ 櫓が建っていたら良い感じの場所です。
1郭を出るところから郭
この公園通路は改変されていないだろうか??
城跡公園の外から
手前に見える郭跡or土塁?が「藤の木農道」信号まで続きます。この何処かに櫓が建っていたようです。 また、写真左に見える住宅のところが土塁跡であるならば二重土塁であったかも?? と妄想が膨らみます。
東から西側をみる
右の宅地は、城と田の際の犬走り状のところと同じ高さなので一繋りのようにみえます。
西から藤橋城
城の裾部に犬走状に段がある。その下の田になっている所は堀や沼があったのだろうか?
また、霞川の流れは当時とは変化していそうです。
藤橋城 地図
JR青梅線 「東青梅」駅下車、北東へ徒歩40分。
JR青梅線「河辺」駅北口から「入市32-1バス」で藤橋バス停下車、北へ5分(要確認!)駐輪場:なし
トイレ:公園内にあり
近くには、東北東に今井城。西南西に勝沼城。西に辛垣城。
藤橋城にやって来ました!
今井城から霞川を渡りクルマで5分の道のり。
信号手前の左手に見える斜面は公園外ですが城の一部のようです。
藤橋城跡公園の正面
ココは1郭で、右方向に進むと下って「藤の木農道」信号に出ます。
この道路は昭和40年頃まで空堀だったそうです。
立地は段丘の出張り
*この地図は現在の道路に沿って堀の位置を推定した個人的妄想地図なので実際のところは分かりません!!
1郭の公園入口
ココは、
郭(宅地)―堀(道路)―1郭
と、なるかと思います。
藤橋城跡 案内板
過去Blogの所沢市の滝の城にも出てくる清戸三番衆の藤橋小三郎の城であったとされており、廃城は小田原合戦の時とされています。
1郭土塁上から
この土塁の先に櫓台と思われている盛土があります。
上の写真から逆方向に振返ったところ
オニギリのような形の郭の周囲には土塁が廻ります。
1郭
ベンチと簡易なトイレが備わっています。
1郭北西の吐出部
ココでは西~北方まで見渡せ 櫓が建っていたら良い感じの場所です。
1郭を出るところから郭
この公園通路は改変されていないだろうか??
城跡公園の外から
手前に見える郭跡or土塁?が「藤の木農道」信号まで続きます。この何処かに櫓が建っていたようです。 また、写真左に見える住宅のところが土塁跡であるならば二重土塁であったかも?? と妄想が膨らみます。
東から西側をみる
右の宅地は、城と田の際の犬走り状のところと同じ高さなので一繋りのようにみえます。
西から藤橋城
城の裾部に犬走状に段がある。その下の田になっている所は堀や沼があったのだろうか?
また、霞川の流れは当時とは変化していそうです。
藤橋城 地図
JR青梅線 「東青梅」駅下車、北東へ徒歩40分。
JR青梅線「河辺」駅北口から「入市32-1バス」で藤橋バス停下車、北へ5分(要確認!)駐輪場:なし
トイレ:公園内にあり
近くには、東北東に今井城。西南西に勝沼城。西に辛垣城。
2020年4月6日月曜日
青梅市の 今井城(いまいじょう:東京)
東京都青梅市今井1-559付近
霞川から今井城
今井城は北は東京都-埼玉県の境にある阿須丘陵があり、南側には霞川で守られています。
今井氏が築き 今井氏没落後に三田氏や後北条氏によって利用されたと思われています。
発掘調査では14世紀~16世紀の板碑や陶器が出土し、そのコトが城が再構築された裏付けとなっています。
今井柳田自治会館を目指すが・・・
自治会館に駐車できるか? と期待して行ったが、会館入口にはロープが張られいて断念!
仕方なく路駐しました。
上の写真の右手側
段が見えます!
入口案内板から登ると・・・
2枚目の写真の奥へ進むと階段のところにも今井城と書かれいる。
外郭から堀と2郭
外郭としたが北側の草地の緩斜面とは別郭か?
その場合は堀か土塁で仕切られていたのか??
2郭
この辺り クモの巣だらけで枯れ枝で排除しながら入って行くと今度はスズメバチがコチラの様子を伺いに!
関わりたくないので巣がありそうな木を避け前進します。
あっ、遅れましたがコロナウィルス自粛で昨年のまだ暖かい時期の物です。
2郭から外郭方面
2郭から外郭に渡るようになっているが当時の土橋であろうか?
外郭は下り緩斜面になる
外郭は草地になっていてコチラ側から入るコトも可能。
2郭、3郭の奥に1郭
ココが1番 城址らしさが残るところかな!?
1郭、2郭、3郭の堀がシッカリと残っています。
1郭
1郭は方形郭とおもうが、奇麗な方形では無く一つの面は土塁も切れています。或は崩れているのかもしれません。?
1郭の土塁
1郭南側の一段下に小規模の郭があり。
城址北西の隅辺りから
平坦な1郭、2郭と比すれば3郭は細く狭いです。
余湖くんのホームページの余湖図コレクションの中から今井城の図をお借りしました(感謝!)
今井城は思っていたより良い状態で堀土塁もナカナカでした。発掘調査では14~16世紀の板碑や陶器が出土しています。
路上駐車中のクルマが心配で足早に廻ったので縄張りをちゃんと把握できていなくて、こちらの余湖図と写真を見ながら位置を確認したのでどこか不備が有るかもしれません。ですからまた近くを通った時に訪れて追記したいとおもいます!
次の藤橋城まで1kmとチョッとを移動します。
今井城 地図
JR 八高線「金子」駅下車、西へ徒歩20分
入市32、32-1、32-3「原今井」バス停下車、北へ5分(*利用する場合は確認してください!)
駐車場:なし
トイレ:城の腰公園にあり(霞川の大橋のところ)
近くには、西南西に藤橋城、勝沼城。西に辛垣城。東南東に根古屋城がある。
霞川から今井城
今井城は北は東京都-埼玉県の境にある阿須丘陵があり、南側には霞川で守られています。
今井氏が築き 今井氏没落後に三田氏や後北条氏によって利用されたと思われています。
発掘調査では14世紀~16世紀の板碑や陶器が出土し、そのコトが城が再構築された裏付けとなっています。
今井柳田自治会館を目指すが・・・
自治会館に駐車できるか? と期待して行ったが、会館入口にはロープが張られいて断念!
仕方なく路駐しました。
上の写真の右手側
段が見えます!
入口案内板から登ると・・・
2枚目の写真の奥へ進むと階段のところにも今井城と書かれいる。
外郭から堀と2郭
外郭としたが北側の草地の緩斜面とは別郭か?
その場合は堀か土塁で仕切られていたのか??
この辺り クモの巣だらけで枯れ枝で排除しながら入って行くと今度はスズメバチがコチラの様子を伺いに!
関わりたくないので巣がありそうな木を避け前進します。
あっ、遅れましたがコロナウィルス自粛で昨年のまだ暖かい時期の物です。
2郭から外郭方面
2郭から外郭に渡るようになっているが当時の土橋であろうか?
外郭は下り緩斜面になる
外郭は草地になっていてコチラ側から入るコトも可能。
2郭、3郭の奥に1郭
ココが1番 城址らしさが残るところかな!?
1郭、2郭、3郭の堀がシッカリと残っています。
1郭
1郭は方形郭とおもうが、奇麗な方形では無く一つの面は土塁も切れています。或は崩れているのかもしれません。?
1郭の土塁
1郭南側の一段下に小規模の郭があり。
城址北西の隅辺りから
平坦な1郭、2郭と比すれば3郭は細く狭いです。
余湖くんのホームページの余湖図コレクションの中から今井城の図をお借りしました(感謝!)
今井城は思っていたより良い状態で堀土塁もナカナカでした。発掘調査では14~16世紀の板碑や陶器が出土しています。
路上駐車中のクルマが心配で足早に廻ったので縄張りをちゃんと把握できていなくて、こちらの余湖図と写真を見ながら位置を確認したのでどこか不備が有るかもしれません。ですからまた近くを通った時に訪れて追記したいとおもいます!
次の藤橋城まで1kmとチョッとを移動します。
今井城 地図
JR 八高線「金子」駅下車、西へ徒歩20分
入市32、32-1、32-3「原今井」バス停下車、北へ5分(*利用する場合は確認してください!)
駐車場:なし
トイレ:城の腰公園にあり(霞川の大橋のところ)
近くには、西南西に藤橋城、勝沼城。西に辛垣城。東南東に根古屋城がある。
2020年3月31日火曜日
薩摩川内市の 亀之城 はココでは?(かめのじょう:鹿児島)
鹿児島県薩摩川内市中郷町6195付近
国道264号線のLAWSONの辺りから亀之城
前Blogの鶴峰窯は亀之城の裏手になります。
江戸時代の中郷村には薩摩藩の外城である中郷麓が存在し地頭仮小屋がこの辺りに置かれたものと想像します。
立派なエントランス
他の県内に残る武家屋敷と同様な静かな佇まい。
コチラは南東面。
北側は鶴峰窯前の道路から眺められる。
亀之城を東端から
正面に塚のような高まりが!
塚でろうか??
上の写真にある高まりは何かの塚?ではないかと思います。
場合によっては土塁?か物見台か?
個人宅なのでこれ以上は入れない!
高まりの後ろ側は空堀のようにもみえる??
●亀之城から川を隔てた東の丘陵
亀之城 東端から諏訪神社側
この道路は国道267号線に対して旧道であろうかと思います。
この橋のすぐ左側に かつて石橋が架かっていました。
渡ってすぐ左へ曲がると諏訪神社。
諏訪神社方面に左折したところ
ココは後世に開削された道路と思いますが、丘の上を歩くと城郭の様相が漂っているので出丸、物見台、家臣屋敷や城内にあった諏訪神社ナドを勝手に想定しています。 ←あくまでも妄想!!
諏訪神社 社殿
諏訪神社と云えばに武士が崇敬する軍神であるので亀之城の城主或いは中郷麓の地頭と関係するのでは?と思って載せました。
薩摩国絵図 元禄9年(1696)~15年(1702)
今回、亀之城を探すきっかけとなった絵図この中に「中郷村 高千八佰八十八石」の記述のそばに「古城」の文字を見付けたとことからはじまります。
※追記 国立公文書館デジタルアーカイブの元禄国絵図→薩摩国PDFが載っている。
Webの限界でヒットする資料が殆んど無い中 この絵図に載っている「川内川」、「国分寺」、「泰平寺」、「安国寺」の それぞれの位置から推察し、もう一つ 見付けた資料「鹿児島県教育委員会 鹿児島県の中世城館 」S62年刊に「川内市、亀之城、中郷町字山崎、空堀、別称:」の記述とおおまかな地図も載っていたのでおおよそ推定しました。
自分は地元の人間では無いので 時間があれば薩摩川内市川内歴史博物館の方に亀之城(麓)関連を質問してみたかったのですが叶わず、この資料だけでも助かりました。
亀之城周辺図
亀之城の北西~北東は丘陵地、南東~南の平野部の住宅街は川内川の氾濫域と思われるので、湿地or田かと思います。
〇薩摩国分寺史跡公園:堂・塔・回廊の伽藍配置の表現が為されています。
〇安国寺:後醍醐天皇、元寇の役、南北朝の争いの戦没者の供養のために足利尊氏、直義兄弟が各国に一寺づつ造った寺で実際には既存の寺を改めたものも多かった。昔の安国寺は育英小学校から国道267号線の辺りまで大寺であったようです。
現在の安国寺は浄土真宗の寺として廃仏毀釈後の再興。
〇泰平寺:和銅1年(708)創建。豊臣秀吉の九州攻めで島津義久が秀吉に降伏したところ。和睦像や和睦石がある。
〇宅万寺跡:豊臣秀吉は泰平寺を本営と定めたため泰平寺住職はこの宅万寺へ移った。廃寺だが五輪塔や12世紀の古い石搭あり。
●万葉の散歩道
前回の鶴峰窯でも触れていまる万葉の散歩道
大伴家持が薩摩守として赴任した国府跡・国分寺跡から川沿いに亀之城、鶴峰窯跡方面に向かう道です。
道すがら大伴家持像や短歌を刻んだ石碑が点々と置かれています。
万葉の散歩道の歌碑
前回Blog:
2020/2/22 薩摩国分寺の瓦を焼いた 鶴峰窯
2013/12/29 九州攻めの一夜城?猫岳
2008/3/25 秀吉の九州攻めで最後まで抵抗した城、平佐城
亀之城 地図
JR 九州新幹線、肥薩オレンジ鉄道「川内」駅下車、北へ徒歩50分。
肥薩オレンジ鉄道「上川内」駅下車、東北東へ徒歩32分。
駐車場:なし
トイレ:なし
近くには、すぐ北側に鶴峰窯跡。南東に薩摩国分寺跡。南南東に碇山城。南に平佐城。北東に鶴ヶ岡城。北東に斧淵城。南西に隈之城麓、二福城。西に宮里城、猫岳。
国道264号線のLAWSONの辺りから亀之城
前Blogの鶴峰窯は亀之城の裏手になります。
江戸時代の中郷村には薩摩藩の外城である中郷麓が存在し地頭仮小屋がこの辺りに置かれたものと想像します。
立派なエントランス
他の県内に残る武家屋敷と同様な静かな佇まい。
コチラは南東面。
北側は鶴峰窯前の道路から眺められる。
正面に塚のような高まりが!
塚でろうか??
上の写真にある高まりは何かの塚?ではないかと思います。
場合によっては土塁?か物見台か?
個人宅なのでこれ以上は入れない!
高まりの後ろ側は空堀のようにもみえる??
●亀之城から川を隔てた東の丘陵
亀之城 東端から諏訪神社側
この道路は国道267号線に対して旧道であろうかと思います。
この橋のすぐ左側に かつて石橋が架かっていました。
渡ってすぐ左へ曲がると諏訪神社。
諏訪神社方面に左折したところ
ココは後世に開削された道路と思いますが、丘の上を歩くと城郭の様相が漂っているので出丸、物見台、家臣屋敷や城内にあった諏訪神社ナドを勝手に想定しています。 ←あくまでも妄想!!
諏訪神社 社殿
諏訪神社と云えばに武士が崇敬する軍神であるので亀之城の城主或いは中郷麓の地頭と関係するのでは?と思って載せました。
薩摩国絵図 元禄9年(1696)~15年(1702)
今回、亀之城を探すきっかけとなった絵図この中に「中郷村 高千八佰八十八石」の記述のそばに「古城」の文字を見付けたとことからはじまります。
※追記 国立公文書館デジタルアーカイブの元禄国絵図→薩摩国PDFが載っている。
Webの限界でヒットする資料が殆んど無い中 この絵図に載っている「川内川」、「国分寺」、「泰平寺」、「安国寺」の それぞれの位置から推察し、もう一つ 見付けた資料「鹿児島県教育委員会 鹿児島県の中世城館 」S62年刊に「川内市、亀之城、中郷町字山崎、空堀、別称:」の記述とおおまかな地図も載っていたのでおおよそ推定しました。
自分は地元の人間では無いので 時間があれば薩摩川内市川内歴史博物館の方に亀之城(麓)関連を質問してみたかったのですが叶わず、この資料だけでも助かりました。
亀之城周辺図
亀之城の北西~北東は丘陵地、南東~南の平野部の住宅街は川内川の氾濫域と思われるので、湿地or田かと思います。
〇薩摩国分寺史跡公園:堂・塔・回廊の伽藍配置の表現が為されています。
〇安国寺:後醍醐天皇、元寇の役、南北朝の争いの戦没者の供養のために足利尊氏、直義兄弟が各国に一寺づつ造った寺で実際には既存の寺を改めたものも多かった。昔の安国寺は育英小学校から国道267号線の辺りまで大寺であったようです。
現在の安国寺は浄土真宗の寺として廃仏毀釈後の再興。
〇泰平寺:和銅1年(708)創建。豊臣秀吉の九州攻めで島津義久が秀吉に降伏したところ。和睦像や和睦石がある。
〇宅万寺跡:豊臣秀吉は泰平寺を本営と定めたため泰平寺住職はこの宅万寺へ移った。廃寺だが五輪塔や12世紀の古い石搭あり。
●万葉の散歩道
前回の鶴峰窯でも触れていまる万葉の散歩道
大伴家持が薩摩守として赴任した国府跡・国分寺跡から川沿いに亀之城、鶴峰窯跡方面に向かう道です。
道すがら大伴家持像や短歌を刻んだ石碑が点々と置かれています。
万葉の散歩道の歌碑
前回Blog:
2020/2/22 薩摩国分寺の瓦を焼いた 鶴峰窯
2013/12/29 九州攻めの一夜城?猫岳
2008/3/25 秀吉の九州攻めで最後まで抵抗した城、平佐城
亀之城 地図
JR 九州新幹線、肥薩オレンジ鉄道「川内」駅下車、北へ徒歩50分。
肥薩オレンジ鉄道「上川内」駅下車、東北東へ徒歩32分。
駐車場:なし
トイレ:なし
近くには、すぐ北側に鶴峰窯跡。南東に薩摩国分寺跡。南南東に碇山城。南に平佐城。北東に鶴ヶ岡城。北東に斧淵城。南西に隈之城麓、二福城。西に宮里城、猫岳。
2020年2月22日土曜日
薩摩国分寺の瓦を焼いた 鶴峰窯(つるみねがま:鹿児島)
鹿児島県薩摩川内市中郷町5893
鶴峰窯跡
薩摩川内市は薩摩国府や薩摩国分寺が置かれたところで、鹿児島第2の都市なのも頷けます。
一号窯跡案内板
国分寺跡から北北東に1kmほど行ったところにあります。
一号窯跡
子供の頃に見た防空壕跡のような印象!
一号窯アップ
案内板によれば一号窯の中から平瓦、丸瓦が発掘され国分寺に使用された瓦であると確認されました。
二号窯跡・三号窯跡 案内板
案内板は二号窯前にあります。
三号窯はさらに東へ100mほど先になります。甕ナドの須恵器が出土していますが道路開削や埋め戻しで見学できません。
二号窯跡
二号窯からは平瓦、丸瓦の他に軒丸瓦、軒平瓦、鬼瓦が出土しています。
鶴峰窯は薩摩国分寺跡の史跡に含まれます。
薩摩国分寺跡公園は廻廊ナド塔中の位置表示が為されており傍らの川内歴史資料館に駐車すればユックリと見学できます。
時間があれば薩摩国分寺跡から万葉の散歩道を薩摩守 大伴家持の心持ちで鶴峰窯まで歩くのもアリかとおもいます。
国分寺跡の隣接西側が国府跡ですが住宅街で区画も変わり偲ぶものは無さそうです。また、薩摩国分尼寺は川内川対岸の薩摩川内市天辰町辺りに比定されているようですが未確定です。
Link:薩摩川内市川内歴史資料館H・P
過去Blog:2013/12/31 隈之城にある二福城
2013/12/29 九州攻めの一夜城 猫岳
2008/3/25 秀吉の九州攻めで最後まで抵抗した平佐城
鶴峰窯跡 地図
九州新幹線、鹿児島本線「川内」駅下車、
駐車場:なし。正面道路脇に駐車余裕あり(OKかは不明)
トイレ:なし
近くには、南西に薩摩国分寺跡。太平寺跡(秀吉&島津兄弟像あり)。平佐城。南に碇山城。中郷の古城跡(亀井城)。
鶴峰窯跡
薩摩川内市は薩摩国府や薩摩国分寺が置かれたところで、鹿児島第2の都市なのも頷けます。
一号窯跡案内板
国分寺跡から北北東に1kmほど行ったところにあります。
一号窯跡
子供の頃に見た防空壕跡のような印象!
一号窯アップ
案内板によれば一号窯の中から平瓦、丸瓦が発掘され国分寺に使用された瓦であると確認されました。
二号窯跡・三号窯跡 案内板
案内板は二号窯前にあります。
三号窯はさらに東へ100mほど先になります。甕ナドの須恵器が出土していますが道路開削や埋め戻しで見学できません。
二号窯跡
二号窯からは平瓦、丸瓦の他に軒丸瓦、軒平瓦、鬼瓦が出土しています。
鶴峰窯は薩摩国分寺跡の史跡に含まれます。
薩摩国分寺跡公園は廻廊ナド塔中の位置表示が為されており傍らの川内歴史資料館に駐車すればユックリと見学できます。
時間があれば薩摩国分寺跡から万葉の散歩道を薩摩守 大伴家持の心持ちで鶴峰窯まで歩くのもアリかとおもいます。
国分寺跡の隣接西側が国府跡ですが住宅街で区画も変わり偲ぶものは無さそうです。また、薩摩国分尼寺は川内川対岸の薩摩川内市天辰町辺りに比定されているようですが未確定です。
Link:薩摩川内市川内歴史資料館H・P
過去Blog:2013/12/31 隈之城にある二福城
2013/12/29 九州攻めの一夜城 猫岳
2008/3/25 秀吉の九州攻めで最後まで抵抗した平佐城
鶴峰窯跡 地図
九州新幹線、鹿児島本線「川内」駅下車、
駐車場:なし。正面道路脇に駐車余裕あり(OKかは不明)
トイレ:なし
近くには、南西に薩摩国分寺跡。太平寺跡(秀吉&島津兄弟像あり)。平佐城。南に碇山城。中郷の古城跡(亀井城)。
2020年2月19日水曜日
鹿児島の 鶴丸城 と私学校跡(つるまるじょう、しがっこうあと:鹿児島)
鹿児島県鹿児島市城山
■鶴丸城
再建前の御楼門跡
もうすぐ完成の御楼門附近の過去画像(2009)
鬼門除け石垣
こちらも過去画像になります。鬼門避けのため折れのある入隅の石垣となっています。
北御門跡
ここを渡ると黎明館です。
北御門の土橋から城山側
堀は城山の麓でおわる。
現在 空堀となっているが かつては水堀だったのだろうか?
黎明館案内板
本丸、二の丸と方形の曲輪が二つ並んでいて二の丸はに堀は無く一段低い。
本丸より一段高い城山側の曲輪
ココから上がると御池、茶室、民家があります。
ただし当時の茶室ではないようです。
御池
御池は遺構ではなく、一度取り破壊されて 後に再現されたようです。
聚珍宝庫跡
聚珍宝庫は25代島津重豪が外国の書物や標本ナドを納める蔵を建てたところ。
因みに、重豪は乱癖大名で有名、斉彬も血筋とゆこうとでしょうか?
天璋院像
たしか、
この像は大河ドラマ「天樟院 篤姫」の放映を期に建てられてと記憶してます。
本丸御殿の麒麟の間、庭園跡
植込み列は御殿の麒麟の間ナドの建物位置を表現しています。
写っている灯篭もこの辺りの池にあったようです。
御楼門・御隅櫓復元のための石材退避?
御楼門ナドの復元作業のための一時保管されているようです。
案内図(本丸)
本丸から駐車場まで平坦で旧状がわかりにくい。間に石垣や土塁が存在したのだろうか?
二の丸から本丸
二の丸の西側のこの辺りの石垣を見た目から判断すると、後世に積まれたもののようです。
本丸-二の丸間を仕切る堀があったところ
二の丸の県立図書館にも寄りたかったのですが時間に余裕が無く二の丸へは降りていません。
■城山(上山城)
天文館近くから城山
正面の鹿児島県立博物館は役所曲輪が存在したところ。写真右側の中央公園は造士館・演武館だったところ。
展望台から桜島
絶好の桜島ビューポイント!
クルマで登るのが手っ取り早いですが麓から歩いて当時の気分で歩いてみるのも良いかとおもいます。
ただし山の上は遺構の現存度は低いです。
城山案内板
上山城は元は上山氏の城で島津氏が鶴丸城を築く以前に存在しました。
■私学校跡
「城山入口」交差点から
写っていませんが左手は本丸角の鬼門除け隅入りの石垣のところ。右側は新納邸跡
私学校跡
石垣の弾痕が生々しい!
西南戦争のきっかけとなった私学校が存在した所。
西郷をもってしても戦は避けられなかった!
かつての御厩曲輪で現在は鹿児島県立医療センターになっています。
過去BlogLi nk:
2020/1/18 鹿児島の鶴丸城、御楼門 再建中
2020/2/7 鹿児島 鶴丸城内の博物館 黎明館
鶴丸城 地図(黎明館駐車場のところ)
JR新幹線、鹿児島本線、日豊本線「鹿児島中央」駅下車、
駐車場:あり(黎明館利用で無料)
トイレ:あり
近くには、北に夏蔭城。東北東に祇園洲砲台。東に新波止頭砲台、鹿児島旧港施設一丁台場。東南に大門口砲台。東南東に天保山台場がある。
■鶴丸城
再建前の御楼門跡
もうすぐ完成の御楼門附近の過去画像(2009)
こちらも過去画像になります。鬼門避けのため折れのある入隅の石垣となっています。
北御門跡
ここを渡ると黎明館です。
堀は城山の麓でおわる。
現在 空堀となっているが かつては水堀だったのだろうか?
黎明館案内板
本丸、二の丸と方形の曲輪が二つ並んでいて二の丸はに堀は無く一段低い。
本丸より一段高い城山側の曲輪
ココから上がると御池、茶室、民家があります。
ただし当時の茶室ではないようです。
御池
御池は遺構ではなく、一度取り破壊されて 後に再現されたようです。
聚珍宝庫跡
聚珍宝庫は25代島津重豪が外国の書物や標本ナドを納める蔵を建てたところ。
因みに、重豪は乱癖大名で有名、斉彬も血筋とゆこうとでしょうか?
天璋院像
たしか、
この像は大河ドラマ「天樟院 篤姫」の放映を期に建てられてと記憶してます。
本丸御殿の麒麟の間、庭園跡
植込み列は御殿の麒麟の間ナドの建物位置を表現しています。
写っている灯篭もこの辺りの池にあったようです。
御楼門・御隅櫓復元のための石材退避?
御楼門ナドの復元作業のための一時保管されているようです。
案内図(本丸)
本丸から駐車場まで平坦で旧状がわかりにくい。間に石垣や土塁が存在したのだろうか?
二の丸から本丸
二の丸の西側のこの辺りの石垣を見た目から判断すると、後世に積まれたもののようです。
本丸-二の丸間を仕切る堀があったところ
二の丸の県立図書館にも寄りたかったのですが時間に余裕が無く二の丸へは降りていません。
■城山(上山城)
天文館近くから城山
正面の鹿児島県立博物館は役所曲輪が存在したところ。写真右側の中央公園は造士館・演武館だったところ。
展望台から桜島
絶好の桜島ビューポイント!
クルマで登るのが手っ取り早いですが麓から歩いて当時の気分で歩いてみるのも良いかとおもいます。
ただし山の上は遺構の現存度は低いです。
城山案内板
上山城は元は上山氏の城で島津氏が鶴丸城を築く以前に存在しました。
■私学校跡
「城山入口」交差点から
写っていませんが左手は本丸角の鬼門除け隅入りの石垣のところ。右側は新納邸跡
私学校跡
石垣の弾痕が生々しい!
西南戦争のきっかけとなった私学校が存在した所。
西郷をもってしても戦は避けられなかった!
かつての御厩曲輪で現在は鹿児島県立医療センターになっています。
過去BlogLi nk:
2020/1/18 鹿児島の鶴丸城、御楼門 再建中
2020/2/7 鹿児島 鶴丸城内の博物館 黎明館
鶴丸城 地図(黎明館駐車場のところ)
JR新幹線、鹿児島本線、日豊本線「鹿児島中央」駅下車、
駐車場:あり(黎明館利用で無料)
トイレ:あり
近くには、北に夏蔭城。東北東に祇園洲砲台。東に新波止頭砲台、鹿児島旧港施設一丁台場。東南に大門口砲台。東南東に天保山台場がある。
登録:
投稿 (Atom)