2013年12月31日火曜日

隈之城にある 二福城(にふくじょう:鹿児島)

鹿児島県薩摩川内市隈之城町1460-6(二福城跡の碑)
小学校前(地頭屋敷跡)から
子安観音のところに二福城跡の碑があります。
.
城址の南側を前を流れる隈之城川の支流が堀の役目を担っていたと思われ、その川辺りを通う薩摩街道が押さえるようです。

現在は、最高所より少し低いところに城址碑があるのみで遺構は何もないようです。
小学校南西の丘が城址で、江戸時代隈之城(支城)の時代には小学校のところに地頭屋敷が置かれ

現在でも城址北西の「隈之城」交差点(隈之城郵便局のところ)周辺に武家屋敷の門構えのお宅が多く見られます。

携帯でパノラマ写真にしてみました、後で差し替えるかも・・・ です!

*2014/3/19編集中
二福城 MAP(子安観音、案内板のところ)

近くには、隈之城。北に平佐城。

2013年12月29日日曜日

九州攻めの一夜城 猫岳(ねこだけ:鹿児島)

鹿児島県薩摩川内市高江町
場所は、川内隈之城道路(全線未開通)を南下し、川内川を越えてすぐの高江I・C前の山が猫岳です。
案内標柱に導かれ路端に駐車し、かつての登城路とは異なるようですが秋葉神社がある頂上(120m)までつづら折れの階段が整備されていますが、ほとんどが階段なのですが小山と侮るとけっこうキツイ!!
鬱蒼とした山を秋葉神社まで登ると城砦の雰囲気が漂ってきます。
 頂上付近には土塁と堀の痕跡があり、南西に向けて数段の平場と、北東藪の中を覗くと平場が続いています。
  猫岳城とゆう記述は少ないようです、九州攻めの際に豊臣方が構えた付城or陣城としてみれば、猫岳城といってもいいでしょう⁉︎
 すぐ北西に連なった山にも猪子岳城と陣を張ったであろう南方神社があったのですが、時間の関係で鉢巻城ともどもパスしました。

周辺には小西軍などの旗が林立していたのでしょうね!
薩摩川内市は薩摩の国府の地で国分寺や府庁の瓦の窯跡などは整備されており、歴史資料館にも展示されています。
これに反して多数ある中世の城址ナドはあまり認識・宣伝されてないので、消滅してしまったところもあり、猫岳の遺構が当時のものであるならひじょーに勿体無いことです。
*2014/3/18更新中

薩摩川内市歴史資料館H,P
川内戦国村Link
丸竹産業H,P 戦国村の親会社、甲冑製作販売
猫岳 MAP (ココから上る)

近くには、西北西に川内戦国村高江麓、東に百次城、東に平佐城錨山城。北東に太閤道、薩摩国府国分寺がある。

2013年12月28日土曜日

人吉城(ひとよしじょう:熊本)

熊本県人吉市麓町18 付近
今回で2度目の訪城なので、資料館とその周辺を廻ってきました。
写真追加予定です。
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おくればせながら写真現像と加工が済んだので前回撮影分の本丸まで、新旧織り交ぜてアップします。
まずは球磨川胸川沿いに多聞櫓が連なっていた合流点から、


大手の橋を渡り多聞を振返る
犬童市衛門屋敷跡

相良清兵衛屋敷跡に建つ歴史館へ、¥200也で入場。
まずは目当ての城址模型へ!  本丸の奥に戦国さながらの城域があるではないですか!(小田原城のように戦国と近世の城が合体している感じ)。ココで模型をみて人吉城の規模が初めてわかりました~

それらは、近世でも武家屋敷ナドとして使用されていたと思われますが、どうみても2万2千石の城としては大きすぎです。
或いは、
島津氏抑えのような意味合いがあったのかもしれませんし、
新城に造り替えた結果として旧状が残ったのかは分りません。 ただ前者の方が筋書きとしては面白いかと・・・

歴史館入口近くに 「史跡 人吉城(着色しました) 」と「 史跡 人吉城 散策マップ 」2種が置いてあるので、入場は後回しとしても 最初に寄って、マップ片手に廻られるといいとおもいます。


歴史館(武家屋敷)から内郭方面に進むと御館武者返し石垣がみえます。



ココから右方を見ると・・・
一直線に御館石垣があります。
はじめ石垣に沿ったこの道路は堀跡かと思いましたが、どうやら往時も道路であったようです。
御館の中に入ると相良神社が建ち、庭園遺構もあります。
武者返し石垣を反対側からみたところ、
本来、武者返し石垣上に多聞櫓が建ち、堀合門(復元)の内外には水の手門から荷揚げされる物資を納める蔵が建ち並んでいたようです。

復元門

この排水路、井戸や二の丸御殿の排水溝ナド
排水設備はしっかり造られているように感じました。
立派な石垣あり、この御下門を通過しないと三の丸、二の丸、本丸まで到達できません。
堀合門から登ると、大規模ではないですが二の丸石垣に圧倒されます。
中の御門跡を入ると二の丸御殿が建っていました。
庭園の庭石らしき遺構ものこっています。
井戸






石垣は二の丸までで、本丸は柵囲いで中世の雰囲気があります。

人吉城は古城部分をいれると敷地は倍以上にもなり、球磨川の水運と、平地 山上問わず井戸も要所にあり、
将に水の都といった感じですね!


人吉城歴史館
人吉城 MAP
JR肥薩線「人吉」駅下車 南東へ徒歩17分
駐車場:あり(歴史館横ナド数ヶ所:無料)
トイレ :あり(山上にはありません)


嗚呼壮烈 岩屋城(いわやじょう:福岡)

福岡県太宰府市観世音寺
 壮烈!
この文言に思いを馳せてめぐってまいりました。

携帯からアップです、
続き写真UPは正月明けに!

時間がかかりますが、
あしからず!!




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※2014/02/26 追記中、Raw現像が終わり写真加工中です!

  前日の大野城で夕刻となり時間切れ!
大宰府の街から大野城や岩屋城へ向かう道の途中にあるホテル(天然温泉がある)に泊まったので、朝食をいただいて直ぐ昨日の道を岩屋城へ飛ばしました。
 駐車場スペースは前日にチェックしてあったので迷わずとめ案内板の後ろへ!
 なぜ、案内板を読まずに裏を覗くのか?
なぜなら、そこには「ホテルマンしゅうちゃんの日記」のしゅうちゃん(さん)がBlogで案内されていた城趾パンフレットが置いてあるのですよ!!
 裏側に置いてあるので下りて来てからもらったら価値が半減てした。
 しゅうちゃん(さん)ありがとー!!
 コースは、
案内板→本丸→畝堀状のところ(二重土塁か?)→道路下の紹運公のお墓がある二の丸→二の丸下方の土塁まで廻りました。

 個人的には、
島津軍の攻撃に対するには小さめな城だとおもいましたが、出丸やら砦やら奇襲やらに763人の兵を振り分けたらチョウドよい規模かもしれませんね。

わたしが特定の武将絡みで行ってみたい城は西日本では「我に七難八苦を与えたまえ!」の山中鹿之助像がある月山富田城とこの「嗚呼壮烈」高橋紹運の岩屋城でした。


 
欲をいえばもう少し細かく周辺を探りたかったのでですが、これで目出度く両城制覇したので良しとします!

この後は人吉城へいきました。


岩屋城 MAP
西鉄大宰府線「大宰府」駅下車、北西へ50分
駐車場:なし (道路脇スペースに止めました)
トイレ :なし

朝鮮式山城 大野城(おおのじょう:福岡)

福岡県太宰府市、糟屋郡、大野城市 


出先なので、正月明けにUPします。




ただいま追記中

車で水城より同時代の大野城へ向かいます。その途上で道路は岩屋城内を通り抜けますがこちらは翌日の楽しみに残して先を急ぎます!
大宰府口門の上方にあるスペースに駐車。
コースは、駐車場焼米ケ原大原山持国天の先まで土塁上を反時計回りに1/4周。 そこからUターンし駐車場の下方にある大宰府口門で、門礎石石垣ナドを見学。

それから、
 あまたの遺跡の中でも百間石垣たけは見ておきたかったので車で移動、 四王寺県民の森センターで道を尋ねると・・・
  「ココから北へ900m行ったところのに見えてきますと」  と教えてもらい無事到着。
道路から見上げるとナカナカの圧巻で、石垣上と直下を歩けるようになっており、居ながらにして古代を感じることができるところでした。

北石垣にも後ろ髪を惹かれましたが、ここいらで当日のタイムアップでしたー!

 福岡県立 四王寺県民の森 HP
大宰府口門跡 MAP 
百間石垣 MAP 
西鉄大宰府線「大宰府」駅下車、大宰府口まで北西へ4.km
駐車場:大宰府口門近くの駐車場、県民の森センターP。
トイレ :要所にあり。