2014年12月26日金曜日

飛騨 高山城と熊 (たかやまじょうとくま:岐阜)

岐阜県高山市
高山城想像図。
本丸とゆうより天守曲輪の様相、残存石垣はありますが旧状は期待しないでください。











ーー Webニュースから転載 ーー

<クマ>出没で閉園の公園再開 展望台も 岐阜・高山


毎日新聞 
 岐阜県高山市は15日午後から、ツキノワグマの出没で立ち入り禁止にしていた同市城山の城山公園の柵を順次撤去して市民に開放した。同市上岡本町のアルプス展望公園「スカイパーク」も16日朝から再開する。
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すでに熊は冬眠でしょうが、

いまから12~3年ほど前に高山城 二の丸(厳密に駐車場は二の丸でないらしい)にクルマをとめ、二の丸館跡の照蓮寺の横手がら登城しようと登り始めると、
そこに「熊出没注意」の貼り紙をみつけ「こんなところに出るんだ~」と言ったら、下りてきた地元の方が それを聞きつけ 「ココではなくて、裏の山のほうですよ! 用心のために警告しているんです」と仰ってました。
それを聞き安心して登りましたが、今回はもっと近くに出たのでしょうか?

山のオヤジも年々住みにくくなるようで、頻繁に人間のいるところまでよくで出てきます。
開発に追い立てられるせいもあるのでしょうが、昨今の異常気象に寄るところも大きい気がします。

わたしは城址は勿論、渓流に釣りにも行くので心して入るようにします。
皆さんも低山でも気をつけて廻ってくださいませ。


高山城 MAP
JR高山本線高山」駅下車、徒歩40分
駐車場:あり (二の丸、桜見や連休ナドは地元の方でいっぱい)
トイレ:あり 二の丸公園

近くには、西北西に高山陣屋。北西に飛騨国分寺。南西に松倉城。北東に鍋山城。北北西に増島城古川城

*再訪しました冬の高山城 (2017/1/16アップ)

2014年12月23日火曜日

山内家 土佐藩 下屋敷跡 (とさはんしもやしき:東京)

東京都品川区東大井3
今回は、土佐藩抱屋敷浜川台場の近くにある下屋敷です。
安政の大獄で、山内容堂はこの屋敷謹慎しました。
案内板
スマホガメラのLEDカブリぎみてすが重宝しますね!

時代江戸から明治と代わるとこの場所でビール製造がはじまり、これが国産ビール第1号となりました。
案内板図

国道15号線(第一京浜)で削られているようですが、おおよその範囲がわかります。

江戸湾黒船ナド異国の脅威に晒されると坂本龍馬らは沿岸警備部隊はこの藩邸から「立会川」駅前の商店街(当時の道)を抱屋敷台場まで通ったそうです。


土佐藩下屋敷 地図 案内板の所

2014年12月6日土曜日

土佐藩 浜川台場、鮫洲抱え屋敷、龍馬像 (はまかわだいば、かかえやしき、りょうまぞう:東京)

東京都品川区東大井2-1付近 台場石材のところ
土佐藩抱え屋敷(鮫洲屋敷)
京浜急行立会川」駅南よりから江戸湾海岸線にかけて倉庫ナドが建ち並んでいたようです。

 旧・東海街道

東海道の北側の浜川中学を中心に土佐藩下屋敷(拝領)がありますが、そことは別に近所に抱え屋敷(自前の屋敷)の国許との海運に便がよかったのでしょうか、倉庫が建ち並んでいたそうです。
浜川橋
この先にある鈴ヶ森刑場に送られる受刑者の親族が涙を流してお別れをしたのが浜川(涙)橋です。
 ■浜川台場
黒船来航に危機感をもった土佐藩幕府に願い出て、抱え屋敷周辺の海岸線に砲台を築きました。

立会川商店街は、下屋敷浜川台場を結ぶ当時からの道だそうです




坂本龍馬像
江戸で剣術修行中の20才の龍馬は、折しも黒船来航を目の当たりにします。

今回の写真は9月末になります。
学生時代に立会川寄りの大井町に友人が住んでいたので、
この辺りから大井埠頭あたりで遊んでいましたしたが、学生だったこの頃は城郭への興味がうすれていた時期で、今頃になって来ようとは思いもよりませんでした、先のコトはわかりませんね。










龍馬像 地図
浜川台場 地図 
京浜急行立会川」駅下車、東南へ300m 徒歩4分 台場案内板のところ

近くには、品川台場。 御殿山台場。 御殿山城。

2014年12月3日水曜日

小田城の現地説明会にいくべきか? 悩む⁈(おだじょう)

茨城県つくば市小田2377付近

2014/12/6 茨城の小田城の発掘調査による現地説明会を開催。
NHKニュースでも放映したのでご存知の方も多いとおもいます。

戦国期に後北条氏によって拡張されたとおもえる障子堀も出土している模様です。
また、南北朝時代に北畠親房が南朝の正統性を記した「神皇正統記」を執筆したところでもあります。

この年の瀬、忙しい時期なので行けるかは半々です!



現地説明会 地図 南館(みなみだて。小田城本丸の南西)

訂正!バスにゆられながら書いたら「神皇正統記」の字が間違ってました~ 汗



*2014/12/6 なにかと野暮用が多くて本日の小田城行きは断念しました。

2014年11月29日土曜日

勤労感謝の日、秋色の江戸城 (えどじょう:東京)

東京都千代田区
勤労感謝の日にぶらりと江戸城まで行ってきました!

東京メトロ二重橋前」駅より和田倉門跡がある和田倉噴水公園から巽櫓富士見櫓を眺めつつ大手門へ!
被災参考画像
東日本大震災被害がありメクラ板応急処置がなされていた大手門ですが、修復がはじまったようで現在は足場で覆われています。

本丸に上がると、ちょうど冬桜が咲いておりました
冬のサクラは市ヶ谷の外堀土塁上にあります。
これも本丸にて、山茶花?

三の丸尚蔵館天皇陛下海外歴訪の資料の写真や書簡、勲章なナドをみて本丸へ向かいます。 
天守台は3段になっています、その最下段に井戸があります。
本丸に表、中奥、大奥とフルに御殿が建っていたのにココくらいしか井戸をみたことがないですね!?
北桔橋門入城札を返し、北の丸にある東京国立近代美術館奈良原一高氏の写真が出展されてるのでしばし鑑賞。

絵画に不案内なわたしでも知っている岸田劉生黒田清輝小林小径満鉄五郎ほかの作品が同時にみられて¥430はリーズナブルです
北の丸公園田安家庭園を経て武道館に近づくと、、
 なにかイベントがあるらしく人でごったがえしていてました。
後で知りましたは宝塚関連の催しで、どうりで音楽コンサートと違って年齢性別など拘らない多様なファンだったので納得です。

写真にまとまりが無いですが、季節大手門修復開始の報告とゆうことで〆ます。


過去Blog
 2012/3/29 江戸城大手門。しゅうふくなったが・・・
2011/10/4 ああ悲惨! 江戸城大手門

宮内庁 三の丸尚蔵館 天皇陛下傘寿記念特別展:「天皇陛下 昭和28年欧米14か国の旅~新たな感動と出会い~」14/12/23迄

東京国立近代美術館 

駐車場:あり 北の丸公園内
トイレ :多数あり

2014年11月8日土曜日

小田原城 御用米曲輪 第6次現地説明会(ごようまいくるわ げんちせつめいかい:神奈川)

小田原市城内900-3外
今回は、倒れていた大きな庭石と思われる巨石(或は宗教的施設?)が立てられており、新たな1号のモザイク切石の縁石が見つかったとのコトで第6次の現地説明会にやって参りました。
本日は9:30〜15:00まで発掘現場を公開しで、曇のち雨の予報でしたが、1~2回目の説明会の午前は雨も降らずマズマズです。
立て直された石。
前回、倒された状態で発見されたこの巨石の元は石仏だったらしく、削られた表面には仏と文字があり、現地で小耳にはさんだ話では「大日如来」と仰っていましたから上方の梵字はおそらく「あ」ですね!
表面はノミで削られ判読は難しい。

池は前回から保存ため埋め戻されているところもあるので、埋め戻し前と新しく発掘されたところを、出来の悪い頭の中で組んで合成して見て参りました。

滝からの取水遺構(想定)と切石で楕円形に造られた1号池。
現地で滝でがあったのでは? とゆうことでホースで実演していました。滝とは確定していません、念のため!


1号池。
前回は土の下に埋まっていた縁石が今回出てます。
第5次調査を思い出しながら、


池の護岸が新たに10m出土
これで2号池全体の2/3が確認されたとのことです。
掘ればいろいろ出て来そうです。

この様な庭園遺構は全国的にみて例のない遺構とのコトですが、確かにわたしがアツラコチラでみてきた庭園に類似する物はありません。

ココも新しいトレンチ。
切石モザイクの続きが出ています。


湯屋設備でしょうか? 今後の研究に期待!
現地説明会では、奈良の法華寺の蒸風呂式の浴室(光明皇后が困窮民に沐浴をさせたと謂われているアレです)を引き合いに説明をしていただきました。

今回の発掘現場は写っている範囲と、この写真の左側に少々です。
戦国時代の矩面のところは斜面があり、江戸時代に崩して御用米曲輪を整地した とのことです。


この戦国時代の庭園遺構が公開されることが決定しています、埋め戻してその上にレプリカを造るナド案があるそうです。
以前にもかきましたが独特の庭園で、池泉式、回游式といた風情はなく、むしろ飛鳥にある石造物遺構に雰囲気が似ていると個人的に感じており。
 特に、池跡の写真に建物の位置を赤線で示した建物は平城京内裏の東院庭園の建物、或は釣殿のような建築であったかとおもっています。
個人の誇大妄想ですが、今後の発掘調査と復元がどうなるか?楽しみです。

過去Blog
2014/3/8 小田原城 御用米曲輪、第5次現地説明会
2013/12/21 本日は、小田原城 御用米曲輪 説明会。後北条氏の庭園
2013/11/23 小田原城 御用米曲輪、後北条氏の庭園 調査説明会
2013/2/16 小田原城 御用米曲輪 本日は開放、見学自由でした
2012/9/09 小田原城 御用米曲輪 第4次発掘調査発表会

小田原市文化部文化財課史跡整備係 HP


JR、東海道本線・東海道新幹線。小田急線、箱根登山線「小田原」駅下車 徒歩6分

駐車場:あり
トイレ:あり 二の丸が最寄





2014年10月28日火曜日

石垣山 一夜城 (いしがきやまいちやじょう:神奈川)

神奈川県小田原市早川字梅ヶ窪
バス停(駐車場)はこんなかんじです。

小曲輪(東曲輪)が段になっていますが紹介されていないので皆さん素通りしてます。
現地案内図から。
二の丸(厩曲輪)石垣。
井戸曲輪。

二の丸(厩曲輪)の東隅から。
二の丸から本丸への門跡。
本丸碑と天守台。
天守台周辺から瓦片がでています。 中には小田原合戦後の年号のへら書きが入り瓦がみつかっており、いつまで築城が続いていたのか? 或いは拡張なのか? 不明な点があります。
また、完成前に北条氏直が降伏していたのでしょうか??
大手。崩れていますが元は石垣造りです。
大正時代まで櫓台ナド石垣はかなり残存していたようですが、関東大震災の被害で、小田原城と共に崩落してしまったそうです。

その頃の絵なり写真なりが残っていれば、
 と、おもいますがなかなか出てこないですね。
この眺望が好きで石垣山には何度も登城しています。

西曲輪は天守台下になります。
南曲輪。
南曲輪から西曲輪へつながる石垣。
出城。




おもえば、中学1年の担任であった先生から2年進級記念に、みんなで小田原に行こうと誘われ小田原城のほかJR「早川」駅から一夜城へと 徒歩で登ったのが初登城でした。
その頃、小田原城には大勢人がいましたが、一夜城の二の丸は一面ミカン畑で、あまり人もいませんでしたね、いまだに中学生の頃を思い出させる懐かしい場所でもあります。

*2014/11/8(土)に御用米曲輪 第6次発掘調査発表会が開催されます。
また、写真などアップします。

駐車場:無料 50台
トイレ :あり。 駐車場と二の丸

2014年10月19日日曜日

第30回 一夜城まつり (いちやじょうまつり:神奈川)

神奈川県小田原市早川字梅ヶ窪
小田原市長の挨拶後。秀吉=鎧塚さん、淀殿=川島なお美さん と ご夫婦で登場!

きょうはアチラコチラで歴史、時代まつりがあるので何処へ行くか迷いましたが、今回初めて行く石垣山一夜城まつり」に参りました。
豊臣の軍師官兵衛vs北条の軍師幻庵の寸劇。

小田原」駅から箱根登山鉄道で1駅目の「箱根板橋」駅を下車、シャトルバスの列に並んだら、
日頃の行いが悪いのか? あと3人とゆうところで満員!
緒戦敗退の感がありますが気をとり直して次のシャトルで無事に到着。
陣鍋は行列の末、求めることができました。

とりあえず、
陣鍋と生ビールで寸劇を鑑賞。
ギャグも沢山詰まってるのでココは時代考証がどうの といわずカラカラと笑わせていただきました。
野立てブース 確か裏千家
利休もココでたてたであろうお茶をいただきました。
他のお客さんは普通の天目茶碗でしたが、歴史好きバレバレのわたしには馬上杯型茶碗、ぁあ珍しや!
秀吉、家康、官兵衛、
これは俗に云う「関東の連れションベン」の一コマですかね〜!?
秀吉、家康、官兵衛 目線の眺め!

何故? パテシエの鎧塚氏豊臣秀吉の扮装なのかと云えば、
一夜城の駐車場前に 「一夜城 Yoroizuka Farm」があるわけです!

さらに小田原ふるさと大使もされていると云うことで、意外に歴史好きなのかと? 勝手に親近感をもってしまいました。
一夜城Yoroizuka Farm
建物の写真を撮り忘れました~ 汗



一夜城 Yoroiduka Farm HP

過去blog:2014/10/28 石垣山一夜城

箱根登山鉄道箱根板橋」駅、JR早川の各駅からシャトルバス(運航日注意) 10分¥100 。 徒歩の場合はそれぞれの駅から40〜50分
駐車場:無料。一夜城まつりでは臨時駐車場もあり。
トイレ:あり。