2012年12月9日日曜日

滝の城模型 と ゼロ戦来日(たきのじょうもけい、ぜろせん:埼玉)

埼玉県所沢市並木6-4-1 滝の城模型:生涯学習推進センター
埼玉県所沢市並木1-13 航空発祥記念館

零式艦上戦闘機 52型 ゼロ戦)が来日し、航空発祥記念館で公開されているので、そこから1km程の生涯学習推進センターのにある滝の城模型と併せてみてきました。

滝の城模型
わたしの知る限りでは、
はじめ「城公民館」で公開。滝の城に登城したときは公民館休館日でみること叶わず!
次に、所沢市役所のロビーで公開。この時も寄れず!
3度目の正直で今回の「生涯学習推進センター」です!


 ところが、
到着すると事前に調べた位置に模型がありません!?
 また移動かいな??と、受付で聞くと・・・


「3階にありますよ!」とゆうことで、階段をあがって無事ご対面。

この模型を見てから縄張り図を片手に城址をまわれたらいいですね。
地形もよく理解されている「滝の城保存会」の方々の力作です!!




 ゼロ戦 52型 (2013年3月まで公開2013年8月末まで延長されました) 
 サイパン島で無傷のまま アメリカ軍に収容された 残存唯一のオリジナルエンジン機体とゆう貴重なもので、17年前に龍ヶ崎飛行場P51 マスタングと実際に飛行した機体です。
この様子はyoutubeで検索するとミニバトルがみられます。
機体は、修復部分も大きいかと思いますが、枕頭式リベット等 技術を凝らして全体に丁寧な造りです。
もっと歪みナドあるかとおもっていましたが
「 いい仕事ですね~ ←(中島誠之助風) 」と心の中でツブヤキながら細かい部分をみて廻りました。 

滝の城模型と約70年前の機体を見て、やっぱり日本は物作りだな~ と思った次第であります。



航空発祥記念館 地図
生涯学習推進センター 地図
西武新宿線「航空公園」駅 下車 5分(航空発祥記念館)
駐車場 : 数カ所あり、キャパが小さい
トイレ  :あり 要所にあり

近くには、西南西に山口城、さらに狭山湖まで行くと狭山城(立入り禁止)。東南東には滝の城がある。
 
*2013/1/9
 :滝の城で2/2(土)に 第2次発掘調査による現地説明会が行われます。興味のある方はコチラのリンク先へ! 昨年に続きわたくしめも参ります!!

2012年11月24日土曜日

彦根城 (ひこねじょう:滋賀)

滋賀県彦根市金亀町1-1 彦根城博物館のところ
 みなさんご存知、
説明するまでもないので細かいことは書きませんが、
東京にに招き猫で有名な豪徳寺があります、井伊家歴代藩主の菩提寺でもありまして彦根には親しみを感じているところであります。



見所は、国宝天守、現存建築ナド多数ありますが、個人的には攻撃的な構造の天秤櫓と登り石垣が最も好きなところです。

彦根城には、確か登り石垣が5ヶ所あり、日本ではココと洲本城、松山城 の3ヶ所にしか残存していない貴重なものです。



 最近、あまり動けないので、過去画像(2009)のアップです。
この頃はパノラマ写真にしようなどと考えていなかったので中途半端で、また写真をシッカリ撮りなおしに行きたいとおもっています。





ひこにゃん公式サイト:ココで、ひこにゃんの出没時刻と場所をチェックしてから訪城するとよいとおもいます。

彦根城お堀めぐり H・P :遊覧船運行状況はココ!
その他、櫓内の公開情報ナドは彦根市の彦根城H・Pで!






彦根城 地図
JR東海道本線・近江鉄道本線「彦根」駅下車 西北西へ佐和口まで11分
駐車場:あり 佐和口多聞裏ナド数ヶ所あり
トイレ :要所にあり

2012年11月17日土曜日

東京駅から坂下門、桜田門、石垣修復中(とうきょうえき、さくらだもん、さかしたもん:東京)

東京都千代田区大手町
 江戸城も徐々に秋色になって参りました。
東京駅赤レンガ駅舎の修復も完了しており、ほど近い濠端にも多くの方々が散策に来ています。
 *写真1と2は同位置から180度反転して撮りました
 さて、桔梗濠の石垣修復の終わり頃から 桜田門前の石垣修復が始まり、今は桜田門の渡櫓の前面の濠に足場が掛けられました、さらには坂下門にも囲いができていて修復がはじまったようです。
しばらくは両門の雄姿はみられそうもありませんね。



*2012/12/17 桜田門は通行止め! 今では渡櫓もスッポリと覆われてます。


話は変わりますが、先週行われた「玉縄城築城500年祭のパレード」は体調がすぐれず断念! もったいないコトをしました

駐車場:近隣のビル地下(ビジネス街の為、土日は不可が多し)
トイレ :東京駅や和田倉噴水公園ナド

2012年11月2日金曜日

愛川町の 小沢古城 (こさわこじょう:神奈川県)

神奈川県愛甲郡愛川町角田9310(還浄寺のところ)

この城の城主は金子氏で、
金子掃部助は、「長尾景春の乱」に於いて、景春に味方し、城に籠り太田道灌に攻められ落城したようです。(乱に出てくる小沢要害は、前回の小沢城とするものと、今回の小沢古城とする説があります)

諏訪神社の参道下 県道54号線のところに小沢古城の案内板が立っています。その背後の還浄寺も城址の一部で、更に奥まで拡がっていたようですが、土取りナドで原型を留めていないようです。 
ですが、原型を留めてないとはいえ、自分で見ないと気がすまないので背後の山に登りたかたのですが、朝の出発遅くれで下の方だけ廻りました。
期待している人もいないと思いますが、次の機会に写真を撮ったらアップします。

小沢古城 地図 (案内板のところ)
駐車場:なし
トイレ :なし
近くには、すぐ南に小沢古城。 西に三増合戦場、田代城、細野城。 南に10kmほどで荻野山中陣屋がある。

2012年10月29日月曜日

愛川町の 小沢城 ( こさわこじょう:神奈川)

神奈川県愛甲郡愛川町角田73付近
 東京都と川崎市の境にも小沢城がありますが、コチラは愛川町の小沢(こさわ)城になります。

 竪堀状道路に近いところに案内板が建っていますが、
そこから先(主郭か?)は耕作地で通せんぼになっております。
畑にどなたか居らしたらヨカッタのですが、入口付近をチョットだけ見させていただきました。
主郭とおもわれる畑地の奥のほうに盛土があり土塁痕にみえますが、草がボウボウなので確たることはわかりません。
ココは冬に来るべきでしょうね!
案内板下の道路は竪堀とおもわれますが、

その反対側(竪堀の延長線上)には堀や窪地もなく(埋められたのか?)どのような形態であったか不明です。

ツーリングや釣りへ行くため、いつも高田橋から城址はあの辺だな~
 と、今まで眺めながら通り過ぎていましたが、今回の三増合戦まつり帰りにやっと寄ることができました。
ざっと歩いた感じでは、こじんまりした城とゆうのがわたしの印象。 現在の遺構は砦程度で、他の遺構は確認できず 規模も良くわかりません。 これは造成のためでしょうかね~?
すぐ南東に圏央道(建設中)がかすめるように通る予定なのですが破壊されなければいいのですが・・・

相模川側から堀底道を登るより、台地上の旭硝子の工場やコビオ愛川を目指し、その北側200~300mですからソチラから登城がわかり易いです。
小沢城 地図 (案内板のところ)
駐車場:なし
トイレ :なし。 南方300mに「コビオ愛川(ショッピングモール)」がある

近くには、西に三増合戦場、田代城、細野城。 北に小沢古城がある。南に10kmほどで荻野山中陣屋がある。

2012年10月21日日曜日

第13回 三増合戦まつり 2012 (みませかっせんまつり:神奈川)

神奈川県愛甲郡愛川町
 

 三増合戦まつり->小沢城->小沢古城 と廻ってきました。
出発が予定より遅れましたが「まぁたいした距離ではなか・・・」と、たたかをくくっていたら、交通の流れがすこぶる悪く、現地到着が13:00! 駐車場で花火の音が聞こえてくるではないですか~
 足早に会場へ向かうと寸劇はまだ始まっておらずホッとしたのはヨカッタのですが、無料で配られるた陣中鍋は完了!
さらには、模擬店には食べ物が殆んど残っていません ↓
焼き鳥を食べながら・・・ なんてアマイ考えでした~


さて、寸劇です
この祭りでは北条、武田が共に主役なので、どちらにも偏らない劇に仕上がっています。
お馴染の武将だけでなく、風魔(北条方忍者)が登場し武藤喜兵衛と戦うシーンがあったりで趣向が凝らされていて楽しめました♪
 *当時、真田昌幸は武田家中にあり、武藤家の養子となっていた。

秋晴れの祭日和でのんびりと観覧できました。祭り当日は元八王子でも「北条氏照まつり」があり、どちらに行くか悩みました。
主催者さま、出来たら 三増-八王子 間は、それほど離れてもいないので開催日を考慮してくださいませ。

過去Blog:三増合戦まつり(2010/10/19)

駐車場:あり (祭り当日は広大な臨時駐車場が用意されていました)

2012年10月20日土曜日

講演会「戦国前期の東国と史跡深大寺城跡 と 深大寺城再訪 (じんだいじじょう:東京)

東京都調布市深大寺元町2
 先日、東京都文化財ウィークの一環で、竹井英文氏の講演会「戦国前期の東国と史跡深大寺城跡 (於、調布市文化会館たづくり) 」 を聴講してきました。

内容は、当時の手紙軍記物ナドの年代に沿っての深大寺城のお話がメイン。
 多くの古文書(手紙や軍記物)で、深大寺城のことを「古き郭」や「古城を」そして「古き要害」 を 「再興」或いは「取立」 ナドの文章から対北条のために再構築したとゆうことでです。
 他に+α なお話もありましたが守秘義務で書けません 爆
まとまりが無くダラダラ書いてしまうのでこのくらいにして・・・


ー深大寺城再訪ー
 本当は、講演日に登城予定でしたが当日はあいにくの雨、それで本日の城再訪になりました。
深大寺門前の蕎麦屋さんに人が並んでいるのを横目に、単車を押し植物園内へ・・・
中には自転車置場の表示はありましたが、二輪車は不可とも書かれていなかったでので邪魔にならないところに置きます。
早速2郭へ登って、講演でいただいたレジュメをみながら古城と云われる部分を現場で追ってみたので、おおよその位置が掴めました。
それが再興される前の古城であるとすれば、
2郭は手狭なため用地の拡張、且つ土塁の規模を大きく改造したとゆうことであろうか?

文書の通り本当に一旦廃城になっていたのか? 古城深大寺城なのか? 再興深大寺周辺の出城の可能性がないのか?そのあたりが凄く気になりますね~ (講演の通りに古城=深大寺城も当然あり、とゆうより わたしは素人なので、勝手にアレコレ妄想させていただきま~す!)

いったん水生植物園から出て、外を回り込み公園外西側、2郭虎口竪堀へ!、
前回の訪城時の3郭は殆んど空き地でしたが、今回はビッシリ家が建っているので、土塁の写真を撮るのに住宅が写らないよう苦労しました。
そこから多摩川方面を眺めますが、以前よりマンションが林立して見通しがきかなくなってますね~
小沢城寺尾城もよくわからず 戦国さながらの物見櫓が欲しいと思ってしまいました

前回のBlog 2010.2.9 深大寺城
さて、
いよいよ明日は、10/21(日)は「第13回、三増合戦祭り(愛川町)」と「第1回、北条氏照まつり(元八王子)」二者択一 難しい問題だ~!

2012年10月11日木曜日

玉縄歴史アカデミアNo.14と築城500年祭(れきしあかでみあ14,ちくじょう500ねんさい:神奈川)

神奈川県鎌倉市城廻
 前回の玉縄歴史アカデミアNo.13に続き、No.14「 戦国北条氏と鎌倉そして玉縄城 」を聴講して参りました。


 難攻不落の玉縄城址の駐車場へ着くと、メンバーの皆さんが校門前で旗を立てて居られました。
関係団体への働きかけや保存活動ナド、その大々的な活動には頭が下がります。玉縄城址まちづくり会議築城500年祭実行委員会並びに協賛の鎌倉市に感謝です!!
校門前で、七曲から大手への経路の通行の可否を聞き、可であったので、そのまま徒歩で逆戻りし絞外へ! 
 そこから、
諏訪神社参拝ー>七曲坂(冠木門)->太鼓櫓(太鼓櫓址市民緑地)->大手門跡(ここから学校)->諏訪段->アカデミア会場 と廻りました。

七曲坂には当日午前に開通式が済んだ復興冠木門が黒ビカリしております。 旗と幔幕が張られていて必見! やっぱり三ッ鱗がはためいている光景はいいですね。

 畳んでしまうかもしれませんが(未確認)これから11月にかけて武者行列ナド500年祭のイベントが続くので見る機会があるかとおもいます。

冠木門をくぐり登りきった左手の太鼓櫓跡は植木1号市民緑地として公園化されていて、由緒やイラスト入りの案内板が立ち、ベンチも設置されております。(2枚目画像はこの案内板から引用)






セミナーです、
●基調講演:「戦国北条氏と鎌倉そして玉縄城」小和田哲男氏(静岡大学名誉教授)

●鼎談: 「 戦国社会『玉縄』の歴史的意義 」 小和田哲男氏 伊東潤氏 伊藤一美氏

基調講演、鼎談ともに興味いお話が多々あり、わたしに新しい認識を与えてくれました。
さ らに参加者だけの特典ガ~! 休憩時間が長めにとられていて、屋上から周囲を鳥瞰に近い状態でみられ、普段は見られない校舎裏の主郭塁線も確認でき、相模 湾、箱根、丹沢、他各方面の監視ができます。小和田先生は、小田原までは見通せないけど狼煙を使えば・・・ と仰ってましたが、藤沢市に大塚烽火台跡があ りましたね。
主郭井楼から周囲を見渡せば こんな景色なのだろうなぁ~ と、500年前に思いを馳せました~~
嗚呼きてよかった!

築城500年祭 (玉縄城築城500年祭実行委員会と鎌倉市共催)北条早雲公(伊勢宗瑞)が玉縄城築城してから今年で500年目! それを記念してイベントが催されます。

■10/ 8(日) 冠木門開通式 
■10/28(日) 「玉縄城を偲ぶご登城コースまつり」…10/28(日)AM10:30、七曲坂周辺。
■11/ 4(日) 「歴代城主を偲ぶ会」 AM10:30。龍寶寺 本堂にて、参加自由。
■11/ 4(日) 「記念式典と演奏会」 PM1:30。清泉女学院講堂にて式典、小田原北条太鼓、管弦楽、邦楽(無料)
■11/10(土) パレード AM10:30分。
植木小学校-龍寶寺-玉縄小学校「玉縄まつり」に参加。こども神輿・武者行列・稚児行列・県警ブラスバンドなどが行進します。(雨天の場合は順延)

関連 過去Blogは
玉縄城址にて 玉縄歴史アカデミア No.13 2012/6/30
いまでも難攻不落!?  玉縄城 2010/4/10
後北条、玉縄衆ゆかりの竜宝寺 2010/4/10

2012年10月1日月曜日

江戸城外堀。溜池、赤坂-喰違門 (ためいけ、あかさか-くいちがいもん:東京)

東京都千代田区永田町と紀尾井町

以前に虎ノ門付近の石垣ナドをアップしたので、そこから続く、溜池->赤坂御門(赤坂見附)ー>弁慶濠ー>喰違門ー>真田濠までいきます。

○溜池( 埋められ池は消滅 )
 文科省の辺りから赤坂御門の間ので、一部が瘤のように大池となっていたところ。
昔、わたしが溜池にあるレストランでバイトをしていたとき、都市型集中豪雨にみまわれ、お店の前を通る外堀通りに周囲から雨水が流れ込み、みるみる溢れ、ついには池となってしまい、お店の床上数cmまで浸水して休業になってしまったことがあり、そこが溜池であったコトを思い知らされました。


 ●赤坂門(赤坂見附)
ココ一部ですが立派な石垣が残っております。

  国道246号が真横を通り、弁慶壕に面している石垣の下には首都高速のトンネルが口を開けています。
なので、これらの工事で、よく破壊されなかったものだと感心してしまいます。

ココは、首都高速4号線新宿から上ってくると、トンネル直前の頭上に石垣が眺められます。




 ○弁慶濠 南の赤坂御門から喰違門までの間にある
貸しボート屋さんがありボートから釣りをしている人も見掛けます。
ココも首都高速4号新宿線に沿っているので走行中にチラリと眺められますが、運転手さんよそ見しないでくださいね

●喰違門 (喰違見附とも)
 外堀通りの「紀之国坂」交差点を曲がるとそこが喰違土橋で、その土橋を渡った先で入路を曲げているので、喰違門の名の由来となっており、その土塁も残っています。
台地上の高い位置にあるため、徳川氏が防御のため築城初期構築したので枡形を持たず、長い土塁を曲げて築いた古い形態であるようです。 
ここで妄想、 箱根山中城ナドの後北条の城によくみられる、土橋を渡り、を通過してから長く曲げた土塁進路を制限する虎口に似ているような・・・  <-しつこいようですが妄想です!

  埋められ上智大学真田堀グランドと東京メトロ(地下鉄)丸の内線「四ツ谷駅」となっており、もちろんJR中央線と総武線も濠の中です。

○真田濠
JR「四ツ谷」駅前には四ッ谷見附石垣がありますが、またの機会に!
*水色に着色したところの水面はもう少し低いかとおもわれます。
*注 通常、城郭は外堀ですが、江戸城の場合では外濠とされます。

江戸城外堀に関する過去blog
江戸城 外堀石垣 虎ノ門付近

赤坂御門(赤坂見附) 地図
東京メトロ半蔵門線、南北線、有楽町線「永田町」下車、9A出口すぐのところ
喰違門 (喰違見附)地図 
JR中央線、総武線、東京メトロ 丸の内線「四ッ谷」駅下車、南南東へ
東京メトロ 半蔵門線、南北線、有楽町線「永田町」駅下車、9Aから北西へ

近くには(赤坂御門中心として)、北に大久保利通遭難の地、四ッ谷見附石垣。南の文科省周辺には虎ノ門石垣群。