2016年9月18日日曜日

伊豆国 北条時政邸跡・円成寺跡(ほうじょうしてい、えんじょうじ:静岡)

静岡県伊豆の国市韮山寺家
言わずと知れた鎌倉幕府 執権 北条時政邸宅跡にきました!

場所は守山西公園のところで、狩野川の流れが守山山麓を洗いその守山の二本の尾根に挟まれた空間が邸跡です。
言はば 山城山麓居館の様相です。
石碑と案内板

源頼朝配流地蛭ヶ小島(韮山城近く)から足繁く通っていたのでしょうね⁉︎
頼朝挙兵で、伊豆目代山木兼高(平兼高)を襲撃したのもココからの出撃なのか~ と、色々な思いが駆け巡りますが、
館跡に足を踏み入れてもただの草原なので今となっては「兵どもが夢のあと」の感があります。
守山西公園 案内板

現在、廃寺になっている円成寺縁起は、
鎌倉幕府が滅ぶと得宗家の 北条高塒の母ら北条家の女子達はこの地に移り住み菩提を弔うため円成寺を建立したとゆうことです。



北条氏邸(円成寺跡) 地図
伊豆箱根登山鉄道 豆駿線「韮山」駅下車、南西へ1.2km
駐車場:あり 守山西公園駐車場、狩野川桜公園(川沿い)
トイレ :あり

~ココで話は変わります!~
後北条二代目氏綱は関東進出の為に伊勢から北条姓を勝手に名乗ったようなニュアンスで書かれますが、こんなコトを考えています。

北条(執権・得宗家)伊勢(後北条)家は以前から親類縁者であったのではないか?
北条家(執権・得宗家)滅亡後は、名跡韮山に移った婦女子が引き継いるとすれば、過去に伊勢氏血縁であれば北条家を譲渡可能では?
 (摂関家猶子となった秀吉のようにすることも可能ですが・・・)
○或は、韮山の地で伊勢(後北条)から北条家へ猶子となるか? 北条家から側室なりを迎え家名を引き継いだ?
 *この場合、北条家の人々は再び関東地方で北条の家名を轟かすことができ、伊勢(後北条)家は関東進出の大義名分がたち一挙両得。

こんな感じで、以前から何処かで2家は繋がっていると思っているのですが如何でしょうか??
因みに、北条氏、伊勢氏(後北条)共に平氏出身と云われています。

 〜チョット脱線〜
※追記2021/11/3:鎌倉北条氏の子孫に横江(横井)氏が居りその娘を後北条氏綱が室として迎え3代 北条氏康が生まれたはので北条姓の正統性を主張したようです。

ー北条政子産湯の井戸石碑ー

北条氏館跡から200mほど東に離れた所(と言いっても敷地内とは思います)に北条政子産湯の石碑と反対側に堀越御所案内板があるのですぐ見つかります。

この石碑脇の道を70mほど進むと井戸があります。
産湯の井戸

井戸としては機能していないようです。

北条政子産湯の井戸 地図
駐車場:なし(守山西公園P利用) 
 
ー成福寺ー 

8代執権 北条時宗の遺骨を分骨し、子の政宗開基として建立。北条氏系墓地があり、現在でもご住職北条さんです。

成福寺 地図
駐車場:あり (参拝者用)
トイレ :未確認

ー願成就院ー 

北条時政墓足利茶々丸墓。昔は広大な伽藍を誇っていたようです。
このお寺には運慶作と伝わっていた仏像胎内から時政運慶の名が記された発見され2013年に国宝指定された(仏像5体。阿弥陀如来座像、不動明王と脇侍の二童子、毘沙門天立像)。
さらに山門脇の道を直進で源頼朝戦勝祈願したと云われる守山八幡宮です。

願成就院 地図
駐車場:あり(参拝者用)
トイレ :未確認



◆伊豆の国 時代まつり:2016/11/6(日)
武者行列ナド、


守山西公園P以外の駐車場:韮山北条簡易郵便局西観光用無料駐車場 があるので各方面に歩くのも良いかとおもいます。地図リンク


近くには、裏山が守山城。 北条政子産湯井戸前に堀越御所。 西に守山城。 東に韮山城とその付城群江川邸。 東南東に韮山反射炉

後北条水軍基地の一つ 長浜城(ながはまじょう:静岡)

静岡県沼津市内浦重須 付近
①長浜城全景

このところ更新できませんでしたが、敬老の日の連休中に伊豆国長浜城から沼津韮山辺りを廻ってきました。 まずは平成26年に整備完了した長浜城から、
②曲輪kから見下ろす

左手の竪堀は、第1曲輪第2曲輪を隔てる横堀を隔て繋がる。
③曲輪 kから田久留輪

安宅船(軍船)の原寸平面模型を眺める。
船模型前には案内板が並ぶ。
④海側の曲輪から本丸を見上げる

撮影者背後を降りると軍船が停泊していたようです。 
そこには、岩礁を立てたピット(穴)があるようですが見に行っていません。
⑤いよいよ中心部

階段を登り復元櫓から第2曲輪へ向かう、
はよく分りませんが、奥の発掘成果を基に建てらています。
⑥第1曲輪と第2曲輪を隔てる堀

竪堀は堀残しので見切っています。
コンクリート加工のようで、堀はもっと深く、岩盤をくりぬいてあるそうです。
⑦第1曲輪から駿河湾方面

直接太平洋に向いて開いておらず、良港としての内浦湾が眼下に広がります。 ココから沼津の街まで思っていたより見通しが効き三枚橋城に拠る武田軍に動きがあればすぐ察知できます。
⑧第1曲輪から城内

123曲輪は広くも無く狭くもないといったところです。
⑨第4曲輪と堀

コチラは小さなスペースですが、急崖が迫り戦闘的です。
案内板から1

内浦湾重須湊を守る長浜城ですが、駿河湾武田水軍海戦をしたり、 
太閤秀吉による小田原合戦では水軍は他所に集結したので、留守を在地土豪大川兵庫が入ったそうです。 合戦後、大川家はこの地で網元として後世まで残ったとそうです。
案内板から2

茶色に塗られたところは当時の海岸線です。

城址発掘調査、それに基づいた公園整備平成26年に完了したので現在は復元建物案内板がシッカリ配置されています。

*2018/5/26(土)第4回「長浜城北条水軍まつり」開催!
鉄砲隊もでるようです。


長浜城 地図
駐車場:あり(長浜釣堀観光センター)
トイレ :不明(周囲のお店が開業すれば可能)