2014年8月28日木曜日

第16回 東京大薪能(とうきょうだいたきぎのう:東京)

東京都新宿区西新宿2-8-1
きょうは都庁前都民広場で 「 東京大薪能 (NPO法人 世界文化振興協会主催) 」 が催されました。

演目は、
高砂。宝生流 能、兵庫県高砂の相生の松に関するはなし
仏師。狂言、都に上った田舎者をからかうはなし。 素破もの、現在の詐欺師か!?。
是界。宝生流 能、天狗のはなし。
あいにくの雨にもかかわらす仕事帰りに寄ったら、 ナント!
  満席‼︎

会場の皆さんカッパを着て用意がいいと思ったら、受付でカッパの貸し出しをしていたようです。
わたくしはといえば、
立ち見で、傘をさしたり↓、畳んだり↓ 
  して忙しかったですが、
能 「高砂
「 高砂や〜♪ この浦舟に帆をあけて〜♪ 」 と結婚式で謡うアレです!
を初めて見させていただき堪能して参りました。


写真はで開演前。 実際はココではなく正面から椅子席の真後ろだったのでかなり良くみえました。

岐阜の城郭と横浜歴博の写真は、いま加工中の為、少々お待ちください。

都庁、都民広場  地図


2014年8月23日土曜日

蒔田の吉良氏、横浜市歴史博物館(まいたのきらし:神奈川)

神奈川県川崎市都筑区中川中央1-18-1
これから千葉大名誉教授 佐藤博信氏の公演「関東吉良氏とその世界」を拝聴なので、またあとで追記します。
歴博から茅ヶ崎城を望む。
オマケ、 帰りの車窓から二子玉川花火大会。

すべて携帯カメラで!


*2014/8/30には、研究講座の3回目「吉良氏研究の最前線 (谷口雄太氏)」入場制限あり、無料 。



 ~~追記~~ 2014/8/31追記・改変

○企画展 「蒔田の吉良氏-戦国まぼろしの蒔田城と姫君-

吉良氏は足利尊氏公に近いの血筋です。三河国の吉良定家が奥州探題として東北へ下行、その後に鎌倉公坊に仕え上野国に所領を得て、後に武蔵国の世田谷城 (世田谷御所)へ移ります。
その領国は、港区芝から世田谷区、川崎市一部。飛び地として横浜市の一部(蒔田を含)と埼玉県富士見一帯、これらを全てあわせると結構な広さになります!
 このあたりはこの図録からの地図をご覧ください。

手紙ナド文書類は豊富です。 世田谷郷土資料館で見ているものもありますが、概ね納得の充実した展示がなされています。
今回 横浜英和学院の歴史部で作成した城趾模型が展示されており蒔田城の鳥瞰図は見ていたのですが、様子がより分かるようになりました。
ここは、世田谷城の模型も見てみたいところですが本格的に発掘しなければ作成は難しいところですかねー??

資料として図録を購入しました。



○講演「関東吉良氏とその世界 蒔田御所と世田谷御所」


お話は関東の戦国史に詳しい千葉大名誉教授 佐藤博信氏です。
従来は武蔵吉良氏と云われているが、講演タイトルに「関東吉良氏」とついているのは、
蒔田とゆう地名人名ナドが他に鎌倉材木座、藤沢、上総国ナドに広く分布しているので蒔田、世田谷に収まらず、もっと大きな括りで見なければならないので関東としたとのことです。
なぜか吉良より蒔田の痕跡のほうが残っていつようです。

自分自身、吉良氏のことは良く分かってなく、期待して参加しましたが、やはり資料が非常に少なく難しいようで、先生も今回の講演資料を集めるのに苦労されたようです。
小田原合戦で北条方として降伏した側ですからやむをえませんが・・・

後北条氏は古河公方や吉良氏の権威を利用
後北条氏勢力下に入る前は、関東公坊、関東管領、他有力大名の中でどのような関係、権威、権力を持っていたのでしょう??
この辺り非常に興味があります。


--城郭-- (他にも砦などがあったものと思われますが知る限り)

世田谷城:現在は 豪徳寺、宅地、世田谷城趾公園となっています。
弦巻砦 :弦巻神社の辺りといわれている。
赤堤塁 :世田谷城の支城といわれています。
三宿城 :吉良氏の多聞寺があったので多聞寺砦とも、
八幡山番屋:吉良氏と直接関係があるか不明。
上北沢番屋 :吉良氏と直接関係があるか不明。
烏山城 :横浜に移転する前の泉沢寺は烏山城近くにありました。
奥沢城 :吉良氏の家臣 大平出羽の居城。現在は九品仏(浄真寺)となっています。
蒔田城 :横浜市の横浜英和学院となり、一段下の道路は犬走りとされております。

上記の城郭は、「世田谷の中世城塞」世田谷教育委員会編が一番わかり易いです。
わたしは以前に世田谷郷土資料館で購入しようとしたら完売だったので、全頁コピーしました。

2014年8月21日木曜日

岐阜から!

岐阜県岐阜市橋本町2-52
18きっぷの旅、 帰りの時刻に余裕があったので、長良温泉の足湯に浸かり、長良河畔から鵜飼いを眺めてきました。
大垣城→JR→岐阜駅前のシティタワー43 展望台から周辺の城を眺めて→加納城→川手城→岐阜市歴史博物館→ケーブルカー岐阜城→枝広館→鵜飼と廻ってきました。
岐阜シティータワー43から濃尾平野がバッチリ眺められます。
炎天下の疲れから、寄れたら と思っていた、墨俣一夜城、上茜部城、蝉土手、鷺山城、黒野城は流石にスルーしました。
只今、ムーンライトながら待ちなのでチョットだけ写真をアップします。

残りはまた!

*写真を追加しました。

2014年8月20日水曜日

残暑見舞い + 岐阜へいってきます。

毎日、暑い日がつづきます。
みなさん!体調を崩さないようご自愛くださいませ。
 かくゆう私も夏バテなのかダラダラと生活していますが・・・ 汗


さて、
休みがとれたのでこれから大垣〜岐阜までいきます。
ン十年前に「ムーンライトながら」の前身「快速、大垣行き 自由席」に乗り愛知まで行ったことはありますが、
今回、この歳にして初めて「青春18きっぷ」を利用してきます!


そして、
帰宅後すぐ、茅ヶ崎城にほど近い横浜市歴史博物館で8/31迄開催の「蒔田の吉良氏−戦国まぼろしの蒔田城と姫たち−」関連で、
「 関東吉良氏とその世界 蒔田御所と世田谷御所(佐藤博信氏 千葉大学名誉教授)」
を聴講してきます。
*茅ヶ崎城の写真を使いまわしですみません。


2014年8月15日金曜日

弥生時代の 大塚・歳勝土遺跡 (おおつか、さいかちどいせき:神奈川)

神奈川県横浜市都筑区中川中央1-18-1
大塚・歳勝土遺跡全景

場所茅ヶ崎城から川を挟んで隣の台地で、 「センター北」駅からすぐの横浜市歴史博物館に向かう。
外から環濠集落をみる

歴史博物館のエレベーターで屋上階に上がり、遺跡公園連絡橋を利用して公園に向かいます。
環濠内ニ入ると

環濠建物の幾つかも再現されています。
高床式倉庫(復元)

建物跡の中には、火事の痕跡も発掘され、それらは戦いの中で焼け落ちたとの見方のようです(これらは歴史博物館で!)
連絡橋の歴博側から

環濠集落60%くらいは開発で削られているようです。
大塚遺跡案内板

吉野ヶ里とは比べようはありませんが・・・
現地に立つと大塚・歳勝土遺跡は意外と大きな遺跡だと感じます!
考えてみれば教科書にも載っていますね!
環濠の外にある遺跡地形模型

場所茅ヶ崎城から川を挟んで隣の台地にあり、 地下鉄「センター北」駅からすぐの横浜市歴史博物館から遺跡公園連絡橋を利用して遺跡公園に向かいます。

歳勝土遺跡、方形周溝墓(復元)

盛土をしてその上に復元されています。
歳勝土遺跡案内板

全般に分かりやすい展示が為されています。
方形周溝墓の溝を示す石列

場所茅ヶ崎城から川を挟んで隣の台地にあり、 地下鉄「センター北」駅近くの横浜市歴史博物館から遺跡公園連絡橋を利用して遺跡公園に入れます。

*この「大塚・歳勝土遺跡」は2014年に作成しましたが、画像errorのため再構築しました。

Link
横浜市歴史博物館H・P
過去blog: 2014/8/1 茅ヶ崎城

大塚・歳勝土遺跡 地図(横浜市歴史博物館から連絡橋で公園入口へ)
横浜市営地下鉄 ブルーライングリーンラインセンター北」駅下車、徒歩で南東400m

駐車場:あり(横浜市歴史博物館)
トイレ :あり

近くには、北側に隣接して都筑民家園。 南に茅ヶ崎城。 北西に都筑郡衙跡荏田城。 南西に佐江戸城。 南南東に小机城。南東に篠原城

2014年8月1日金曜日

茅ヶ崎城 (ちがさきじょう:神奈川)

神奈川県都筑区茅ヶ崎2-25
城址の立地は、北の早渕川を見下ろす台地上にあり、2008年6月から「茅ヶ崎城址公園」としてオープンしています。

公園化以前はもっと深いがあったそうですが、遊歩道施設のため盛土をされたそうです。
案内板 図

深いから土塁を見上げることは出来ないですが、盛土のおかげで土中に保護され続けるのでOKでしょう!
あとは想像(妄想)を働かせてみます。
いまは河川改修で直線川になった早渕川ですが、いまは宅地になっていますが当時、蛇行し、そこには湿地が少なからず広がっていて、北側の防御になっていたように感じられます。
そして、南側根小屋の前にも湿地、或いは深田といったモノがめぐっていたなら敵も簡単にはてが出せないのでしょう!?
近隣には、他にも城造り出来そうな丘陵が多く存在しますから、湿地、良質の飲料水の存在は不可欠であったのではないか? とおもいます。
案内板ではココは3方(北郭、中郭、西郭)からの攻撃ポイントです。
築城者、築城目的ナドは不詳ですが、この辺りに勢を張った上杉氏が14世紀末~15世紀前期に築城し、16世紀になると北条氏の手が入り二重土塁空堀を備えた後北条風に仕上げたとゆうことらしいです。
案内板によれば、村の入会地城山として守られてきたそうですから、土塁を崩して造成されるようなことが少なかったのかもしれません。

.
わたしの初回登城は、2008年6月は未だ公園化工事中!?
外から写真のみ撮影 NoGood↘
その後、すぐ公園開放されたので大塚遺跡博物館とあわせ二度目訪城しました。
そして今回、港北での野暮用とあわせて三度目にして訪はにして初Blogとなりました。
開園当時と比べても、いまでも下草刈りがされ、案内板の退色、変形などもなく土塁虎口井戸といった各々がしっかりした内容の案内がされていて好感がもてます。



公園入口が2ヶ所ありますが、どちらも目の前は住宅なので、路上駐車は避けたほうが無難かとおもいます。





横浜市立博物館 (特別展 2014/8/31迄: 蒔田の吉良氏-戦国まぼろしの蒔田城と姫君-)

過去Blog
佐江戸城 2009/10/28
小机城 2010/6/1
横浜市営地下鉄 ブルーライングリーンラインセンター南」駅下車、東へ徒歩7分


近くには、北に大塚・歳勝土遺跡公園(環濠集落、古墳)。南西に佐江戸城榎下城。 南南東に小机城、。南東に金子城、城。北西に荏田城、武蔵国都筑郡 郡衙