2014年4月26日土曜日

サクラサク 弘前城(ひろさきじょう:青森)

青森県弘前市
弘前城天守(御三階櫓)の石垣修復のため、今年は堀の埋め立て、来年のさくらまつり後に天守を70m遷座⁉︎ で10年はサクラと天守が拝めなくなるのと、休暇をぜんぜんとっていなかったこともあり思いきって青森までやって参りました。
サクラは8〜9分咲で、西の丸は少し遅れていますが、当初の予定より 絶好のサクラ日和となりました。

今回は、青森駅から、三内丸山遺跡、浪岡城、川原御所、黒石陣屋、黒石城、藤崎城、石川城(大渕ケ鼻城、大仏ケ鼻城)、堀越城、大浦城、和特城、弘前城と廻ってきました。

戻ったらBlogアップします。

2014年4月4日金曜日

鑑真さんもいらした 観世音寺(かんぜおんじ:福岡)

福岡県太宰府市観世音寺5-6
 水城大野城を書いたので太宰府府庁の近くにある観世音寺を紹介します。


寺の縁起は、
新羅・唐連合軍に圧迫された百済救済のため筑紫 朝倉宮まで遷座した斉明天皇でありますが俄に朝倉宮崩御されたので、天皇皇子である中大兄皇子(天智天皇)は母 斉明天皇を弔うためにこの観世音寺建立に着手します。 つまり官営のお寺とゆうことになります。
しかし、観世音寺建設には時間が掛かったようなので、水城大野城建設と近い時期なので手一杯だったのかもしれませんね。

最盛期の平安時代には3町四方の寺域となっています。
その後、 火事や大風の被害で建物倒壊するなどして荒れていきましたが、
中世までは ある程度の寺勢を誇っていたようです。
そこにやってきた豊臣秀吉九州征伐のときに弾圧され荒廃したようです。

詳しいことは知りませんが、これは島津氏や島津氏と戦った岩屋城高橋招運公との絡みもあるのでしょうか??

江戸時代になると黒田家博多商人達の庇護でいまでもその場所にお寺が建っているのは素晴らしいことですね!
因みに、私はみていませんが南大門跡を過ぎ左手にある天智院には、江戸時代に掘り起こされた水城木樋を柱や天井に使用した茶室があります。
---次は隣接する戒壇院にきました。---

当時の日本には 戒律を授ける資格を有する僧、経典仏具、等々充分な施設がなくから鑑真和上がを招聘して、やっと満足なものになりまいした。
当時のお坊さんは国が認可した謂わば国家試験をパスした公務員であります。
この戒壇受戒を授かった者は皆エリートとゆうことになります。
この戒壇院もまた再建以来の元の場所に建っているそうです。
天下の三戒壇:戒壇三戒壇以外にもありますが、ある一定の時代まで受戒を与えらる戒壇は、①奈良 東大寺、②下野 薬師寺そして、ココ③筑紫 観世音寺で、この3ヶ所で国内各所の修行僧が受戒が受けられるいとゆう重要なところでした。



過去Blog
古代の長城? 水城 2013/12/27
朝鮮式山城 大野城 2013/12/28
嗚呼壮烈 岩屋城 2013/12/28
追加:天下の三戒壇の一つ 下野薬師寺 2016/4/24

観世音寺 MAP
西鉄大宰府線「西鉄「西五条」駅下車 北西へ10分

駐車場:あり
トイレ :あり 駐車場脇

*遅れに遅れた正月の岡山城を画像編集中です近日アップです。