2014年9月28日日曜日

岐阜城 信長公居館跡 (ぎふじょう のぶながこうきょかんあと:岐阜)

岐阜県岐阜市大宮町
「若き日の織田信長」像(岐阜公園)

天下布武のにやって参りました!
先ずは、岐阜市歴史博物に寄ります、8月の暑い盛り館内のエアコンで涼んでから信長公居館跡、へ!!
その名のとおり岐阜城山麓の住まいであった居館部ですね。
 館は門この奥。
信長の居館冠木門(復興)をくぐり階段を上ると、
訪問した人を威圧したであろう石組
ルイスフロイス記述にある「裁断されない石の壁」が見えて来ます。


 石塁の中をクランク状に進入して行きます。
全然違うと突っ込まれそうですが、八王子城の山麓御殿への進入路に似た印象を持ちました。
 一段上にあがります。

織田信長以前の斎藤氏あたりの石垣のようです。
旧石垣の残りは地中に埋もれています。
発掘復元された水路。
 この幟をみつけたら、そこが発掘現場。
石垣跡か?裏込め石がボロボロあります。

調査地の脇を通るのに邪魔をしては、と思い 作業中の方に声を掛けたらウェルカムな感じで情報を色々と教えてくださいました。
「信長公居館発掘調査」が出ているところはロープ外であれば見学自由のようです。金箔瓦出土したのはこの上の段奥です。
 崖直下の庭園跡。
同じく岩壁直下に池を配した、鎌倉 瑞泉寺にある発掘復元数直後の庭園を思い出しました。

コチラもブルーシートの範囲で池です。

四重建物(金閣や西本願寺の飛雲閣のようなモノか?)が建ち、も1つだけでなく数ヶ所にあり全体が庭園の様相を呈していたようです。
この後ロープウェイ乗り場から天守を目指します。







岐阜市歴史博物館
岐阜県歴史資料館 


JR東海道線岐阜」駅下車、
名鉄 「新岐阜」駅下車、
 バスで北へ「岐阜公園歴史博物館前」バス停下車
駐車場:あり
トイレ:あり。 麓、山上共にあり。

近くには、南に加納城川手城。 北西に鷺山城黒野城。 南西に伊木山城

2014年9月24日水曜日

加納城(かのうじょう:岐阜)

岐阜県岐阜市加納丸之内
大手門跡

岐阜駅前からレンタサイクルで加納城へやって参りました。
JR岐阜駅も城下に含まれるので、町の外れから本丸に登城したかたちになります。
川手城が美濃国守護所であった頃に、近くにある加納城には美濃守護代斎藤氏の沓井城があった。
やがて中心は稲葉山城(岐阜城)に移っていきましたが、関ヶ原合戦の論功として奥平氏が入封。
徳川家康の意向で岐阜城を廃し、その廃材を用いて関ヶ原合戦後としては初の築城となる加納城を築き、城下には加納宿を開きます。
さて、城趾ですが、
岐阜駅前からレンタサイクルでで10分と掛からない距離てす。
街道沿いの本陣跡や旧加納町役場ナドを見物しながら大手門跡まで辿り着き、そのまま南進すれば本丸石垣が正面に見えて来ます。
本丸に出ると久しぶりの石垣をが懐かしい!
本丸石垣と堀跡ですが、ココは橋が架かってなく埋門だけが堀に開いていたそうです。
地図入り案内板は埋門前にあります。

埋門を入らず通り過ぎるとすぐに天守台があります。
二の丸→橋→高麗門→櫓門とゆう枡形構成ですが、
橋の下には障子堀が出土し、櫓門を挟むように2棟の多聞櫓が睨みを効かせていました。

堀はだいぶ宅地になっています。
城主の命には背けません!
大藪曲輪から、堀はテニスコート、プールになっております。
 後世の石積みのようですが城址石垣と同じ石材のようです。
堀は窪みナドなく校庭と面一で、まっ平らとなります。
 これが三の丸塁壁であればココから右側は荒田川となります。
城情報が今ほど豊富では無かった頃は わざわざ立ち寄るほどではないと思っていました。
たまたまクルマで岐阜から尾張一宮方面に南下、
その途上、目の前に突如石垣が現れ、

おお! 加納城はこんなに残っていたのかー!
 と感嘆したものでした。

あれからン十年! 今回で2度目の訪城となったのでした。




ぎふ・まちなかレンタサイクル 1日 ¥100

加納城 地図
JR東海道線「岐阜」駅下車、南南東へ1500m
名鉄「加納」駅下車、南南西へ700m

近くには、南東に川手城。 西南西に上茜部城。 北北東に岐阜城。 

2014年9月17日水曜日

大垣城 内郭 (おおがきじょうないかく:岐阜)

岐阜県大垣市郭町2-52
前回、外郭辰之口門跡→戸田氏鉄公像がおわします大垣公園本丸周囲→現代大垣城の表門となる東口門(モノクロ写真)から天守に向かいました。
これまで、ユックリ歩き本丸に着いたのですが、天守開館は9:00 まだまだ開きません!
本丸で休んでいるうちに担当の方が出勤していらしたので、挨拶をし言葉を交わすと準備が出来たらいいですよ! と言ってくれたのでラッキー!とばかりに早登閣しました。ありがとう御座いました。


東口門と艮隅櫓

外堀柳口門東口門として移築です。
東口門から堀跡
艮隅櫓

かつて国宝天守共に現存してました、しかし第2次大戦焼失してしまいました。
乾隅櫓(水の手櫓)

傍らに水ノ手門がありました。 まだ調べていませんが橋はな無くに出る船着き場のようなであったようです。
艮隅櫓前から天守

天守の前はスペースがなくカメラにおさめるのに苦労をします。
天守の付櫓跡から

それほと広くない本丸
天守から関ヶ原方面

土地勘がないので探すのに苦労しました。
二の丸

本丸二の丸間は水堀廊下橋(屋根付き)が架かっていたのですが今は跡形もありません ↓
本丸

上の写真の反対側。
本丸 巽櫓台

残骸のようになってはいますが、と共に綺麗に復興整備された反対側より城址の雰囲気が漂っているように感じます。
本丸 東埋門跡
かつての竹曲輪から

コチラモも曲輪の位置が判然としません。
戸田氏鉄公像

上方(関ヶ原)方面を向いています。
中堀跡とおもわれる水路

埋められたか??
としては細すぎでなんとも言えませんね~
大垣市郷土館

戸田家に関する展示がされておりました。 ココに大垣城模型あり。
大垣市郷土館井戸

ナカナカ良い水でした! 
BlogLink:大垣城 外郭 2014/9/13

Link:
大垣城 (杭瀬川の戦い模型あり)
大垣市郷土館(大垣城模型あり)
 *大垣城と郷土館、共通券あり¥150
奥の細道むすびの地記念館
レンタサイクル すいとGo!(水都号):10ヶ所

大垣城 地図
JR東海道線養老鉄道養老線大垣」駅下車、南へ600m
養老線「西大垣」駅下車、東へ
駐車場:近隣の駐車場。
トイレ:あり

近くには、東に墨俣一夜城
北西に杭瀬川の戦い跡。 北西に東軍、赤坂陣跡。 西北西に竹中陣屋

2014年9月13日土曜日

大垣城 外郭(おおがきじょうがいかく:岐阜)

岐阜県大垣市郭町2-52
関ヶ原の戦い直前に西軍の事実上の本陣となったこともあり、どうしても来たかった大垣城。
遂にやって参りました!
以前にの目前までで入城したコトがないので天守は今回初です。

早朝の大垣駅から早速  外郭へ向け散策にいきます!
東総門跡(名古屋口門)

大垣駅5:51分着なので、早朝の人気がないうちにいろいろと撮影ができました。
高札場

東総門脇といった場所です。
小橋口門跡を探索しているとき天守がヒョッコリ現れました。
東大手門跡

開発されました~
大手とは思えない狭隘なスペース。
南口大手門跡.

は埋められ市街地と化し、必ずしも堀跡=道路 とゆう図式にはなっていないので旧状を探るのが大変!
西総門跡(京橋口門)

この辺り落ち着いていて雰囲気で良いです。奥の細道むすびの地記念館の近く。
柳口門跡
竹橋口門跡
清水口門
圓通寺

大垣城主 戸田家歴代の廟所があります。
戸田家廟所入口
八幡神社

外堀の北西角まえ。
八幡神社の湧水

大垣で数ある中でココが一番美味しかったかな!!
藩校 敬教堂跡
辰之口門跡(藩校の前)


辰之口門辺りの橋のオブジェ。

このを渡り大垣公園に向かい、次はいよいよ本丸へ!


水都 大垣ですから堀割には観光船が浮かび、湧水多数あります。
炎天下を歩き、空になったペットボトルをアチラコチラの湧水で満たしつつ城廻り出来るのは今までにない経験! <-潤いました!

BlogLink:大垣城 内郭(2014/9/17)

Link:
大垣城 (杭瀬川の戦い模型あり)
大垣市郷土館(大垣城模型あり)
 *大垣城と郷土館、共通券あり¥150
奥の細道むすびの地記念館

大垣城 地図
JR東海道線養老鉄道養老線大垣」駅下車、南へ600m
養老線「西大垣」駅下車、東へ
駐車場:近隣の駐車場。
トイレ:あり

近くには、東に墨俣一夜城
北西に杭瀬川の戦い跡。 北西に東軍、赤坂陣跡。 西北西に竹中陣屋

*2018/5/17改変