2009年3月22日日曜日

下館城. 水谷氏の城 (しもだてじょう:茨城)

茨城県筑西市甲
案内板
水谷(みずのや)氏は、元々は結城氏の客分だったらしいです? 主家 結城氏と上杉謙信と結ばせたり、小田原合戦のときに豊臣と誼を通じたり水谷正村蟠龍斎)の戦国サバイバル術はたいしたものです。

本丸城址碑
神社と学校の間は堀状の道が通る
転封後に現在のように備中松山(高梁城)城を修築し、それが現代に残っているのもこうしたサバイバル術のお陰か否か?

水谷氏はやりますな~

城址は本丸跡に城址碑が建っているだけで、小学校周辺の堀跡を思わせる道路に往時の姿を想像するのみです。

JR水戸線、関東鉄道 常総線、真岡鉄道、「下館」駅から1.5Kmほど。
下館城 地図

2009年3月21日土曜日

夜陰に浮かぶ フェイク豊田城 (とよたじょう:茨城)

茨城県常総市
仕事帰りの車窓から、夜陰にポッカリと浮び上がる怪しい天守を発見!
それもかなりの大きさである。
十年くらい前にココの前を通ったことはあるが、こんなにデカかったっけな??


その中味は図書館・展示室・ホール・展望台といった 豊田の「地域交流センター」のようです。
更に 少し離れたところに櫓2基も発見!!
これは地域センターにしても怪しすぎでしょ~~~
地元の人はこんな無駄使いを怒っていないのかなぁ~

ともあれ、デカイだけで安っぽい偽物天守でした。


因みに本物の豊田城は南東へ2km程の小貝川のほとりで石碑が建ってます。 平氏の血統である豊田氏の城



偽物 地域交流センター(豊田城)(livedoor 地図情報)
本物豊田城(livedoor 地図情報)

常総市のHP:http://www.city.joso.lg.jp/modules/section066/content/index.php?id=14

2009年3月17日火曜日

小田原。元祖、外郎(ういろう)

小田原市
きょうは、歌舞伎の二代目 市川団十郎の自作演目外郎売り(薬売り)の口上でおなじみの小田原の「ういろう屋」さんです。

ういろうと言えば名古屋のお菓子ですよね! 中学生の時に小田原駅でういろうの看板をみて名古屋のういろうのパクリか?とず~っと思ったくらいです。
 が、

ナント、元祖は600年の伝統がある外郎家(薬屋)さんです。
中国滅亡したとき、官吏礼部員外郎だった陳延祐の二代目(姓を外郎と名乗る)が渡来
朝廷室町幕府で典医として活躍し薬 透頂香を製造しながらお菓子のういろうをもてなしとして出していました。 
その5代目外郎藤衛門北条早雲(伊勢早瑞)によってより招かれたおりにの家を弟に任せ(こちらの家系は絶えています)小田原に知行地を与えられ移住しました。
 この頃の応仁の乱で荒れたために文化人がたくさん地方に疎開していたようです。

建物は模擬城郭建築のようでもありますが、コチラは伝統のある建築で、代々 掛造りを踏襲しています。

中へ入ると正面ショウウインドウにういろう等お菓子が並び、その左側は薬コーナーでケロリンなど売っていたような・・、 そして右側は喫茶室になってます。
私はそこでぜんざいをいただきました、 味は勿論おいしかったですよー♪

因みに現在24代目のご当主通り名外郎藤衛門さんです。

(株)ういろう
ういろう本店 地図
(livedoor 地図情報)

お江戸 昌平坂はどっち??

相生坂
昌平坂

投稿のため写真を編集しながらはたと考えたら、それだと碑の位置がおかしい??

そこでGoogleしてみると・・・
どうやら、そこから90°折れた神田明神方面に向かう短い坂が本物の昌平坂らしいのだが、、
昔から昌平坂・相生坂・湯島坂、湯島聖堂周囲のどの坂も呼ばわれていたようです。
これでナットク! スッキリです~~

因みに、御茶ノ水駅から向かいに見える塀は 江戸百景 歌川廣重(財団法人 東洋文庫 所蔵 岩崎文庫) の版画にある練塀らしいです。
江戸周辺には潮見坂、皀角坂(さいかちざか)、男坂、女坂、神楽坂、などなど沢山の坂があるので順に訪れてみるのも悪くないですね。



昌平坂、相生坂 地図