2009年9月30日水曜日

田丸城の遺構 (三重)



田丸城遺構すべてはまわれませんでしたが、一部を紹介します、この他にも田丸城遺構と伝わっているがあります。


1.三の丸御殿奥書院:大手門跡から入城して、右手の村山龍平記念館の裏。(田丸城内)地図

2.富士見門(長屋門、江戸中期):乙部家に移築されていたのをS59年に城内の玉城中前に再移築。(田丸城内)地図

3.城門  :世義寺山門。近鉄「宇治山田」駅から南方 約600m (世義寺、三重県伊勢市岡本2 地図

2009年9月28日月曜日

伊勢なのに安土城復興天守 (いせあづちじょうふっこうてんしゅ:三重)

三重県伊勢市二見町三津1201-1
伊勢安土桃山文化村(テーマパーク)前から安土城模擬天守をパチリ!!

駐車場の係員は町人の出で立ちで「三百万両です!」とのたまい、そこで三百円也を払い、走りだし振り返ると妙にニコニコして手を振っていたのが印象的!?
正面の矢倉門から武士の人形がコチラを狙ってるし~
 日光江戸村もこんな感じなのでしょうかね~~~
展望台である安土天守は・・・
「時代考証に基づき原寸大で再現された安土城。六階の展望台からは伊勢湾を望む絶景を、七階の「黄金の間」は壁・天井すべてに金箔をはりめぐらせています。」ホームページから引用
とゆうのも、実は私は上っていない!
クルマなら二見浦の夫婦岩からさほどかからないので興味のある方はどうぞ。

*2013/12/01写真1枚追加
*2017/5/11 ナント、この安土風模擬天守は、100億円かけてリニューアル、外国人観光客に1泊/500万円で城主気分を味わっていただくようです。

伊勢安土桃山文化村(ちょんまげワールド)HP

2009年9月25日金曜日

田丸城 (たまるじょう:三重)

三重県度会郡玉城町田丸114-2(大手内の町役場住所)



北畠氏が築城。のち織田信長の次子信雄が入城。その時に拡張されたものと思われます。
早くも5年後に火災で焼失、信雄は松ヶ島城へ移ります。

その後蒲生氏の家臣、更には稲葉氏久野氏が入りますが、残る遺構は稲葉氏時代の遺構が多いようです。現在は町役場や玉城中学等の敷地になっています。

さぁ、本日3城目。
田丸駅から歩いて行くと水堀が見え、役場前の大手石垣もシッカリ残っており、上部にある天守台や本丸周辺にも期待がたかまります。
本丸虎口下から段状に見える石垣がいい感じ、中へ入ると扇状の階段(後世の造作)のある天守台が見えてきます、その上に立つと見通しがきき気分がいいですよー 是非!

田丸城 地図
徒歩 :JR田丸駅から西へ5分
クルマ:城の中段にある玉城中学前に止められます

2009年9月24日木曜日

鳥羽城 (とばじょう:三重)

三重県鳥羽市鳥羽3丁目
駅から歩いていくと・・・
本丸石垣
築城は九鬼嘉隆。海側に大手水門を持つ海城で、の中心部は旧鳥羽小学館で校舎やグランドになってました。
この時ちょうど水門跡から天守跡下まで5段あまりの石垣をきれいに整備していました(鳥羽水族館側)。
学校等のために新しく積んだ石垣が多く全体的に思っていたよりは石垣は少なかったです。

それから城下のまっすぐに伸びる錦町通りのあとです。

駐車場:鳥羽水族館とミキモトがあるので多数の駐車場があります。

途中ですが、帰ったら写真アップします

鳥羽城 地図

2009年9月23日水曜日

岡崎城、時間なし (おかざきじょう:愛知)

愛知県岡崎市康生町561

きょうは仕事で岡崎に寄りましたが、予定がつまっているため、一瞬で携帯写真を撮っただけでこれより中に入っていません。
ココは徳川家康の居城だったので説明はいらないですよね。

岡崎城 地図

2009年9月19日土曜日

西尾城 (にしおじょう:愛知)

愛知県西尾市錦城町229
復興門
別名:西条城、鶴城、など
足利一門が三河の守護となり吉良を姓とし西条を本拠としました。
その後酒井氏(西条から西尾に改名した)や大給松平氏など徳川譜代の大名が多く、江戸幕府の要職を務めています。

早足に門、櫓、資料館をまわり、二の丸に移築された近衛邸(元は京都にあった)で抹茶もいただきたかったのですが時間がなく断念しました。
写真の玉石で表現された馬出しですが江戸時代の絵図には描かれていないのでそれ以前の遺構ではないでしょうか?
Naviの候補地でそれらしい「鶴城公園」にセットし、現地へ行ってみると、図書館のある普通の公園だった、次に「西尾市歴史公園」でNaviしてもらいやっと到達することができました。
鶴城公園のあたりは総構えより外で、幕末に武家屋敷として拡張されたところでした。


西尾市資料館
西尾城 地図
無料駐車場あり

2009年9月8日火曜日

新津城 (にいつじょう:新潟)

新潟県秋葉区山谷町2 (旧 新津区)

由緒が書かれている
教習所内
新津氏の居城で、年代は古く館は鎌倉時代から存在したようです。
新津勝資は上杉謙信の重臣の一人でしたが、慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封に伴い15代 新津勝資も一緒に移り廃城となりました。

JR東日本新津車両(製)から北へ400mほどのところにある新津自動車学校コース内に城址標柱があるのみで、残念ながら何も残っていません。

新津城 地図

2009年9月2日水曜日

矩口城 (たけのくちじょう:兵庫)

兵庫県洲本市炬口
炬口城は、永正2年(1505)淡路水軍安宅秀興万歳山(96m)に築城。
織田信長配下の秀吉の侵攻により、本城である由良城と共に開城された。
場所は、洲本城から洲本の町を挟んで反対側にあり、矩口八幡神社の奥から登れるようですが、道は足元が悪いようです。
土塁が残り、虎口形状もしっかりしているそうです。
残念ながら時間がなく上まで登れず、今回は写真のみです。

写真は炬口台場のあたりから見上げたところ。
炬口城 MAP

2009年9月1日火曜日

矩口台場 (たけのくちだいば:兵庫)

兵庫県洲本市炬口1-1

裏側へ回ると・・・

文久元年(1861)に徳島藩の命により洲本城城代稲葉氏が構築しました。規模は東西・南北ともに40m程と推定される。
現在は、
淡路水産センターの駐車場脇に一部が残っているもので。
案内・説明板の類は何も無く、センターからは内部、海側の民家の間からは外側の石垣をみることができます。
そのため写真を撮るのに非常に気を使わなければなりません。

炬口台場 MAP
駐車場は海側すぐのところにあります。