2020年5月27日水曜日

絵師 狩野派発祥の地 狩野城(かのうじょう:静岡)

静岡県伊豆市本柿木
狩野城

前回の深根城の次に狩野城に寄りました。

駐車場から狩野城

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案内板

写真左側の中のポストの中城跡案内のプリントが置いてあるので、それをいただいてから登城します。

狩野氏系図

wikiによると藤原南家流工藤氏の系統で、伊東氏、河津氏、宇佐美氏ナドと同族であるようです。

この狩野氏の中から絵師となり、宮廷絵師や権力者の御用絵師を努め 一世を風靡した狩野派は説明するまでもありません。国道沿いの案内板にも狩野派発祥の地と書かれています。


案内板年表

他国国司ナドを歴任し、永承5年(1050)には伊豆で狩野を名乗ったようです。源頼朝旗揚げに参加するナドその時々に活躍していました。
伊勢新九郎(北条早雲)が堀越御所足利茶々丸を攻撃した後の数年間は抵抗するも開城
その後の狩野氏は後北条家重臣となっていきますが領地替え狩野城は失ったようです。
小田原合戦後は没落したようです。

案内板の図

この図は南北が逆!
東に狩野川、北に柿木川、南は案内図にある無名のと3方攻め難いと云って良いと思います。
案内図現在地から黄色く塗られた道左巻きで廻ります。


危険!

この先大丈夫か?と不安に!
気を引締めて登ります。




暫く登ると郭らしき所に!

イイ感じの削平地が現れます。



出丸

先の作平地の写真の所からこの出丸にかけての周辺の中心部に比べ広めにとられているようです。


堀から東郭

は深くもっと切り立っていたのでしょうね~?


中郭の塁線と石碑

石碑には「狩野介茂光堡塁跡」と刻まれています。
左に見えるは武将を祀った題目堂

南郭から中郭をみる

南郭中郭より狭いです。
奥の建物は題目堂
題目堂にある案内板

天城湯ヶ島町指定史跡標高180m
狩野城の云われが書かれている。



本郭手前の竪堀

落ちたら登れないどころか帰り道を見失いそう!?


本郭

本郭中郭に比すると狭小です。


二重堀

本郭西郭間の二重堀


西郭から

同じ二重堀を逆の西郭から見たところ。


西曲輪から堀と外の郭

城内からみています。




さらに進むと視界が開ける

広い場所が見えてきますが城郭の設備であったかと思います。

夕方に登りはじめたので、写真は明るめですがブレブレで画像粒子が粗いです。 降り始めた この時はだいぶ暗くなっていたので結構焦っていた頃です💦

※11月に狩野城祭りが開催されています。

Link:狩野城の会H・P 城跡の整備保存をされています(案内板の所の配布プリントがPDFで見られます)。


伊豆箱根鉄道 駿豆線「修善寺」駅下車、
バスで「湯ヶ島温泉」行き、「昭和の森会館」行き、「河津駅」行き利用 →「柿木」バス停下車、南へ100mで徒歩での登城口
*バスに関して誤記があるかもしれないので事前に調べてください。
狩野城 地図 (狩野城跡駐車場)
狩野城 地図(徒歩での入口)
駐車場:あり。 国道414号線の柿木橋の北側の狩野城跡案内板の指示に従い、500mで狩野城跡駐車場。
徒歩:柿木橋の南50mに狩野城址遊歩道入口があり。
トイレ:駐車場にあり





2020年5月15日金曜日

伊豆の 下田城(しもだじょう:静岡)

静岡県下田市3丁目 
下田公園駐車場

登城路は何本かありますが、海沿いのペリー記念碑の先の下田公園駐車場から登ります。(下田市指定文化財)
登りはじめたところから駐車場

前方の武山下田城に挟まれたには稲尾沢川が灌いでいます。 対岸に見える武山後方には下田ロープウェイ寝姿山」駅の近くに黒船見張所跡があります。
清康英屋敷跡

現在は平地ですががあったかも!?
天守台下の案内板 絵図に載っていた清水康英屋敷はこの辺りであろうと思います。
馬場ヶ崎から中心部へえ向かう虎口?

両側に竪堀を備え、奥の東屋の所が虎口ナドの防御施設であるように見えます。
さらに進むと

左手は土塁でその下方には畝堀が廻っていました。ココは連絡通路(尾根道)に見えるが絵図模型からすると郭跡のようです。 
先に見えるのは比高70m天守台
鵜島城址碑

一般に、通り名は下田城ですが、近世以降鵜島城と呼ばれるようになったそうです。
天守台の下方の横堀跡

はじめは郭跡?と思いました。
後で堀跡案内板を見るとを伴うが横に長く続いていたようです。
天守台近くから見下ろし

見えているのはの一部となった稲尾沢川河口、往時は沢山のが行き交っていたことでしょう。八王子城で出土しているベネチアグラス景徳鎮青磁もココを経由したのでしょうか?!
天守台下の案内板

廃城になって久しいので情報が少なく、多数ある案内板も表記が弱いのでこれらを頼りに城内を歩くいても分かり難く、帰ってから確認しているところです。
本丸から北西に雛壇状になった郭

名ナド分からず!?
案内板から抜粋

案内板写真が載っている城址模型道の駅開国下田みなと」に展示されています。
模型を見てから城址を歩きたかったのですが営業外で見られずでした。
本丸ー2郭の間

ココには本来は土橋は無く畝堀が続いていたようです。
上の写真の右側の堀(2郭下)

半ば埋まっていまるが畝堀お茶が鼻ヶ崎の方向に向かって畝堀が続いていました。
本丸下の畝堀

城址で一番の見せ場!
が気分を高揚させる(多分埋め戻されている、盛土)
本丸の辺りから畝堀

上の写真の所を本丸から見下ろしたもの。
1同じく堀


空堀案内板

切通しとなったところを抜けると案内板があり、畝堀が表現されています。

空堀案内板拡大

総延長700mにも及びます。
天守台→御茶ヶ崎へ向かう

2郭ナドの群。もみえます。
お茶ヶ崎

が建っていたであろう御茶ヶ崎展望台
お茶ヶ崎から水族館方面

奥に見える赤根島尾根には、出丸見張台が存在したと思われます。
眼下の和歌の浦下田海中水族館となっていおり、当時は軍船が舳先を連ねて壮観であったであろうと思います。

時間切迫していて、速足で下田城像を把握できないまま下山して書いているので全体の流れがわかり難いかと思いますがまたユックリ廻ってみたいとおもいます。


下田城 地図(下田公園駐車場)
伊豆急行伊豆急下田」駅下車、南へ徒歩14分。
駐車場下田公園駐車場下田海中水族館駐車場(共に無料)
トイレ:駐車場に付帯

近くには、北に深根城。北東に河津氏館河津城影山氏館がある。

2020年5月9日土曜日

伊豆 蔭山氏館(かげやましやかた:静岡)

静岡県賀茂郡河津町笹原314(姫宮神社)
河津西麓にある居館跡
河津城の西麓にある蔭山氏館にやってきました!
姫宮神社(笹原明神)のところが館跡と云われています。
姫宮神社 社殿
鎌倉公方 足利義持永享の乱で破れたが幼少の七男 (蔭山広氏)が伊豆に落ち、後に蔭山氏の婿となりました。
数代の後、伊勢新九郎(北条早雲)の伊豆侵攻により北条家家臣となり、小田原合戦敗戦後に北条氏直高野山蟄居に従いました。その後は徳川の旗本となり要職を歴任したようです。

観光交流館駐車場から館跡方面
河津桜観光交流館駐車場から
河津桜のシーズンによく紹介されている観光交流館駐車場の駐車場から蔭山氏館跡まで100m程、トイレ、物産ナドもあり便利です。 *姫宮神社(館跡)前は住宅地のクランク道に存在するので駐車は困難!!

河津桜

今回からBlogの仕様が変更になったので表示に違和感がありますが慣れるしかないですね!

過去Blog:2020/4/29 伊豆の河津氏館

伊豆急行河津」駅下車、北西に徒歩7分
駐車場:観光交流館と隣にコンビニあり
トイレ: 〃

2020年5月7日木曜日

早雲vs茶々丸 最後の攻防 深根城 と茶々丸墓所(ふかねじょう、ちゃちゃまるぼしょ:静岡)

静岡県下田市堀之内
■深根城

県道15号線の深根橋周辺

国道414号線下田から河津方面へ向かい「箕作交差点を直進(河津方面のR414号ではなく松崎方面 県道15号)し100m程の所に箕作郵便局前を過ぎ局のすぐの深根橋を渡った川沿いの道を左折し、400m程進むと深根城の登口に出ます。
※写真は逆方向で、松崎方面から深根橋を見た所です!
城址碑

深根橋の近く、目立たない所に城址碑がありますが先に書いたように目的地はずっと奥になります。
深根城址登り口から深根橋を振返る

一般的に、伊勢新九郎(北条早雲)に堀越御所急襲された足利茶々丸深根城主 関戸吉信に伴われこの地に落ち籠城しましたがやがて落城しました。
*写真中の箕作橋は✖深根橋が正解
暫く上ると削平地が!

後世の宅地耕作地跡のようですが ココはかつての家臣屋敷跡ナドと考えたいところ!?
削平地の少し登って振返ったところ

同じく削平地の上部に小沢が流れます。
櫓台と土塁と思われているところ

更に上ると主要部(個人宅)に出ます。には立派な櫓台土塁らしきモノが残っています。現状では防御に乏しいので この堀底道か?と妄想して見ています。
深根の枝垂れ桜

櫓台に樹齢160年を越える深根の枝垂れ桜があり名所となっている。機会があったら桜の季節にもう一度来てみたいです!
土塁から南西側の斜面を見る

主郭を見下ろせる高台には物見台ナド防御施設はあったのだろうか?
個人宅なので遠慮して奥まで行かなかったのですが、どうやら深根の枝下れ桜の麓に城址案内板があったようです。

深根城 地図 (進入路入口)
深根城 地図
伊豆急行稲梓」駅下車、東へ徒歩2km。或は東海バス箕作郵便局」バス停下車、徒歩。
駐車場:なし(稲尾沢川沿いの側道に置けそうです)
トイレ:なし

■足利茶々丸墓所
県道15号線沿いの石碑

電柱と下地のコンクリートに同化してが目立たない!


足利茶々丸之墓 石碑を入る

ココを登った何処かにある茶々丸夫妻と云われる宝筺院塔五輪塔を探しに小道を入ってみます。
登って行きましたが・・・

地元の方の墓地まで行ってこれ以上進んではいけないと思い諦めて戻ったのですが、帰ってから調べると
あと少し登れば足利茶々丸の墓所があったようです。
下調べが不十分で敢えなく撤退となりました。

足利茶々丸:堀越御所を急襲された後の足どりは諸説あり。
〇伊勢新九郎に堀越御所を急襲され、守山城 或は願成就院へ逃れて自害した。
〇堀越御所から関戸信吉の深根城へ逃れたが、伊勢新九郎に深根城を攻められ自害した(この場合は深根の墓所が有力になるか?)。
〇伊豆諸島へ逃れて抵抗した。
〇甲斐の武田氏に身を寄せて再起を計った。
ナドと諸説あり 終焉の地はよく分からないようです。

また、一定の年齢に達していたと思われますが茶々丸とゆう幼名しか伝わっておらず謎が多い人物ですね。


足利茶々丸墓所伊豆の国市願成就院にもあります(北条時政開基、国宝の運慶仏あり)。

関戸吉信 墓所国道414号線河津ループ橋下の枝道に入り、ループ橋から南東に600m程の所に在ります。

過去Blog
2016/9/18 伊豆国 北条氏邸(時政)、円成寺跡
2016/10/25 堀越御所 或は 堀越公方館 
2016/11/5 堀越御所 詰めの城 守山城

足利茶々丸墓所 地図 (入口の案内の標柱のところ)
交通手段は深根城と同じ様に深根橋から西へ80mで道路沿いの石碑のところ。