2015年3月31日火曜日

美術展「若冲と蕪村」から乃木邸と郡上藩下屋敷へ!(じゃくちゅうとぶそん、のぎてい、ぐじょうはんしもたしき:東京)

東京都港区赤坂9-7-4 (サントリー美術館)
東京都港区赤坂8-11-32 (乃木邸)

☆ 「 若冲と蕪村 (生誕300年二人の天才絵師) 」
正徳7年(1716)は伊藤若冲与謝蕪村が生まれた年で、二人揃って生誕300年とゆうことです。

伊藤若冲は裕福である為、権力者(パトロン)に媚びるコトもなく自由人として絵を描くことができたようで、その自由さと独創性に惚れ込んでしまいました。
よく注目される鶏ナドの絵もよいのですが、個人的には伏見人形図や若冲版101匹ワンちゃんともゆうべき百犬図 が好きです。   ←以前、何処かに書いたかも⁉

与謝蕪村大阪農家で生まれ、若くして江戸に出て俳諧を学んだようなので風流な画風ですね。
蕪村の絵をみると、風景の中にチョコンと家の中に居る人物の表情に微笑ましさを感じます。これは若冲とも通じ自分の好みなところです。

  *「若冲と蕪村」は5/10(日)までサントリー美術館で、(ココ東京ミッドタウンは長州藩邸跡地でもあります)



☆乃木邸
正門。

サントリー美術館のある東京ミッドタウンから歩いて数分のところにある乃木邸乃木神社

東北大地震で乃木邸も被害を受けました、観覧用テラスにはあがれませんが修復もちょうど完了したようです。
裏から乃木邸。
ココから北は青山通り、西は青山墓地までを内包する範囲に郡上八幡城青山氏の下屋敷が広がっておりました。
痕跡は見当たりませんが、港区青山青山通りナドの由来の地であります。

馬屋。
立派な馬屋で馬を大事にしていたことが窺われます、当然馬丁も居ました。


☆乃木神社
明治天皇崩御の際に殉死した乃木希典さんを祀っています。←立派な方であると感服しますが、自分は生きてこそと思っているので賛美はしません。

この時、境内は花見にちょうとよく、桜湯を鳥居脇でふるまっていたのでいただきながら写真ナドを撮って参りました。

また、宝物館では「乃木希典と吉田松陰展 (只今、会期延長中)を開催しています。
赤坂方面にいらしたら、地下鉄乃木坂駅の真上ですから乃木邸にもゼヒ寄って下さいませ!

2015年3月6日金曜日

小田原城、第6次 御用米曲輪 最後の現地説明会(だい6じごようまいくるわげん ちせつめいかい:神奈川)

神奈川県小田原市城内900番3外
朝早くに出て、久野幻庵屋敷に廻るつもりでいました。

ところが、
昨晩からの•••
中止かどうか?様子見し、開催のようなのでやっと出掛けてみれば、今度は電車事故伊勢原駅にて足留め!
2度も出端を挫かれてしまいました〜


なんとか最終14:00のの説明会直前に御用米曲輪に到着!
さて、
今回の大きいところでは、モザイク石敷き遺構の続きが出てきたのと、江戸初期地震 寛永10年(1633)の地割れの痕跡が出てきました。
モザイク切石敷遺構戦国末期北条氏自身によって埋められ、盛土の上に新たに礎石建物が建築されたようです。
ですから、豊臣秀吉をはじめ西国大名も見たこともなかった遺構420年経って我々がみているとのコトです!
次に、寛永地震とおもわれる地割れ痕も興味深く、それによって地層の年代がハッキリし、素人でも戦国以前と地震以降(1633~)の地表がハッキリ判断できるようになっていました。
何度か通った御用米曲輪発掘調査説明会第6次となり、6年続いた発掘作業は終了で、大規模な説明会は今回で最後となります。
今回は、箱根丹沢方面もうっすら白くなっており、地面はヌタヌタドロドロで冷え込んでいました。 しかし、先週の津久井城まつりは雨で中止でしたから見られただけ良しとします!
尚、遺跡保護のためすぐにでも埋め戻され、戦国時代エリア江戸時代エリアの2ブロックに分かれた史跡公園として生まれ変わるとのコトです。