2008年3月25日火曜日

秀吉の九州責めで最後まで抵抗した城、平佐城(ひらさじょう:鹿児島)

鹿児島県薩摩川内市平佐町
天正15年(1587)豊臣秀吉の九州征伐で他の城は次々と落ちていく中で300名程の城兵で頑強に抵抗したものの島津義久の降伏に合わせ開城
江戸期は平佐麓として明治まで存続しています。 
現況、
中心部は西平佐小学校(城址碑あり)。三の丸はJR薩摩川内駅周辺となっています。小学校より西へ600m程のところに江戸期の城主北郷氏の墓所があります。


徒歩JR鹿児島本線九州新幹線薩摩川内」駅下車、駅そば
 :駅周辺のコインパーキング
平佐城 MAP
 
小学校近くに 平佐城温泉あり
近くには、碇山城。豊臣秀吉と島津義久が面会した太平寺跡。薩摩国分寺跡がある。

2008年3月18日火曜日

幕末海防の城 助川城! (すけがわじょう:茨城)

茨城県日立市助川町5
幕末異国船が多数やってくると、水戸藩主 徳川斉昭公家老山野邊義観を海防惣司に任命し海防のため助川城と幾つかの台場を築かせました。この助川城 幕府に家老屋敷と届けを提出し荒業で築いてしまったようです。 築城28年後に天狗党の乱に巻き込まれ落城してしまった悲しい運命の城ですが、 このことは大仏次郎さんが小説に書いています。 
画像は国道6号線沿いの大手門前の碑です。昼休みの短時間で廻ったため助川小日立病院、周辺の土塁とそこから公園になっている本城を見上げただけで帰ってきました、残念!

 助川防海城跡保全会 郷土博物館
 助川城 MAP
 徒歩:JR常磐線「日立」駅下車、西方面の助川城址公園を目指すタクシーかバス利用
クルマ:日立病院に大きな駐車場があります。(ココより上は上ってないので不明)

2008年3月5日水曜日

龍ヶ崎古城・龍ヶ崎陣屋 (りゅうがさきこじょう・りゅうがさきじんや:茨城)

茨城県龍ケ崎市古城3087
室町期にココより北寄りの白旗台(現、龍ヶ崎一高)にの龍ヶ崎氏があり、戦国期、永禄11年にその出城の地(現、龍ヶ崎二高)に江戸崎から分かれ土岐胤倫が築いたのがこの 古城です。
その後 土岐氏が20年間治めたあと佐竹氏に属し廃城となったようです。
江戸期、龍ヶ崎仙台藩領1万石の飛び地となり、城の北西に陣屋を構え、享保年間にここを訪れた藩主伊達吉村に「北にありて古城あり、東はかしまの海みえて 眺望かぎりなし」といわしめたところです。よって名を龍ヶ崎古城とゆうらしいです。

○台上の龍ヶ崎二高は勿論進入不可ですが、門のところから見た限りでは完璧に更地になっているようです。
 ○北側は土採りで山が一つ無くなっているようです。
 ○道路は城を取り巻くように走っていますから堀跡など規模をイメージし易いです。

 徒歩:常磐線「佐貫」で関東鉄道 龍ヶ崎線に乗換え「龍ヶ崎」下車、15分(1.2Km)
クルマ:駐車場は特になし
地図:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E140.11.42.0N35.54.19.6&ZM=9