2013年3月15日金曜日

滝の城 発掘調査 現地説明会 (たきのじょう げんちせつめいかい:埼玉)

埼玉県所沢市城537 埼玉県指定史跡
当日、交通事情で早めに着けず、受付のある城公民館をスルーして、直接城址へ向いスベリ込みセーフ!! 受付は説明会後に回し社務所でレジュメをいただき案内をシッカリ聞いて参りました。
前回(2012)の説明会は、二郭の発掘成果でした、今回(2013/2/2)の調査発表会は、引き続き二郭の一部、馬出し、三郭、そして本郭の四脚門跡です。(四脚門跡は過去の発掘のため埋め戻されている)

○馬出し
南木橋 (或いは跳ね橋)を渡ると四脚門をくぐると本郭。 西に二郭。 東には三郭。 石敷き門の虎口から北へ出れば大手道とゆう各郭を連結し兵員移動できるハブ(HUB)のような構造となっていて城内でも重要な場所であるようです。





○二郭
元の地形は本郭側から二郭に向かってなだらかに下っていましたが、堀を掘り緩斜面に盛土して郭の敷地を確保しています。

城の造成以前に掘られたとみられる穴跡からは金属製品が出土しており、地鎮のためとみているようです。
こちらもトレンチ調査の断面と傾斜地を整地した様子が窺われ興味深いです。

 ○三郭
 説明によると、
以前から三郭内の窪地が気になっていたそうで、そこを掘ってみると・・・ 大きな穴が!
はじめ、作業効率のため掘り残した階段かと思っていたモノは発掘された当時の階段だそうです。
 発掘途上で、未だ底面まで達していないため現在用途不明です。
 お話では、周囲が堀と崖で囲まれる三郭では、掘より下まで掘らないと水が出ないのではないか?といい、
これによっり井戸は不可能か?とゆうことでした。
私見ですが・・・
水脈は必ずしも水平に流れているわけでもなく、北側の空堀はかつて多少なりとも水が溜まっていたと仮定、崖の中腹にも湧水が口を空けていたのではないか? と想定。
しかも現在より水量豊富であったでしょう。
これらの理由により私は、この大穴は井戸ではないか? と考えます。




○本郭
 四脚門跡の焦げ跡は破却によるものなのか?戦闘で燃え落ちたとも考えてもいいのか ?
他に、破却による焼け跡とゆう見方もあるようです。
この門と馬出しの接続は木橋なのか土橋だったのか興味は尽きないですね。

コンピューター不良で写真編集不可と家の改築騒ぎでのミニ引越し状態、ナドナドのためアップが遅くなりました。
これから多少の画像チェンジなどがあるかもしれません。 あしからず!!


過去Blog
2012/12/2 滝の城模型 と ゼロ戦来日
2012/5/20 第1回 滝の城まつり
2011/12/11 滝の城part2 現地説明会
2011/11/20 滝の城
*2013/4/28 に第2回 戦国滝の城まつりが開催されます。

滝の城 地図
駐車場:あり。 イベント当日は不可
トイレ:あり