2024年1月11日木曜日

常陸国分寺、国分尼寺跡(こくぶんじ、こくぶにじ:茨城)

■常陸国分寺
茨城県石岡市府中5-1-5
中門跡

聖武天皇が全国68ヵ国に発願の国分寺と。今でも同じ場所に営まれています。
写真の手前のところは参拝者用駐車場です。
現在の国分寺山門と本堂

奥に見える本堂と書院に重なるところに鐘楼が建っていました。
金堂跡

金堂跡と薬師堂は一部カブっています。これはお堂の位置を踏襲したのでしょうか??
金堂の礎石のようです

いくつかある礎石発掘したものを地表展示しているのでしょう⁉︎
金堂跡碑

金堂の物証は碑と礎石のみです。
講堂跡

ココも礎石が点在しています。
七重塔心礎

はこの場所ではなく回廊の西方に離れて建っていたと思われている。
都々一坊扇歌堂

「どどいつ」の起源の都々一坊の扇歌道。
七・七・七・五 の節回しの都々逸は昭和の時代にTV演芸で漫才・落語ナドと共に良く流れていました。
国分寺パネル(ふるさと歴史館)

常陸国分寺は正式には「金光明四天王護国之寺」と云うそうです。
常陸国分寺模型(ふるさと歴史館)

この模型を見てから現地へ向かいました。
国分寺・国分尼寺出土品(ふるさと歴史館)
いしおかイベント広場

自分はココに駐車して歩いていきましたが国分寺前にも参拝者用駐車場あります。

イベント広場の案内板

JR常磐線「石岡」駅下車、北西に徒歩11分
駐車場:参拝者用あり
トイレ:あり




■常陸国分尼寺
茨城県石岡市若松3-1
常陸国分尼寺入口

小学校の北辺。この中にクルマを止めさせていただきました。
常陸国分尼寺石碑

常陸国分尼寺は正式には「法華減罪之寺」と云います。
国分尼寺全景

礎石基壇が保存されています。瓦など出土物ふるさと歴史館に展示されている。
案内板

この国分尼寺佐竹氏が大掾氏の府中城を攻めた際に焼失しました。
案内板より

国分寺と違い塔は無かった⁉︎ようです。
回廊跡

植込み回廊幅の展示のようです。
金堂跡

土壇金堂の位置が分かります。
金堂跡から講堂跡

金堂の北にある講堂跡。
北方建物跡

さらに講堂の背後にある北方建物と呼ばれるところ
これらは食堂とか経蔵ナドであろうか?


JR常磐線「石岡」駅下車、北西に徒歩26分
駐車場:国分尼寺1枚目の写真のところに停めました。
トイレ:あるようですが使用できるか未確認。

2024年1月9日火曜日

常陸国府跡(ひたちこくふ:茨城)

茨城県石岡市総社1-2-10
常陸国府跡石碑

前回の府中城と同じところにある常陸国国府跡てす。
この石岡市ふるさと歴史館前にあります。

全国国府の中でも常陸国府初期〜晩期まで同じ場所で建て替え機能していたようです(7世紀~11世紀 およそ300年間)。
ふるさと歴史館前の案内板

私の記憶に依れば、
豊穣な常陸国親王任国で代々親王が国主として治めていたようです。
案内板の写真拡大

下の写真の辺りに建物跡ナドが出土しています。
案内板写真の現状

この他にも小学校の地中には広範囲に正殿・前殿ナド建築跡が存在しております。
常陸国府 全体図 パネル

国府中心建物は小学校校庭辺り。
検田帳 レプリカ展示(ふるさと歴史館)

当時の文字が見られます。
検田帳パネル(ふるさと歴史館)

当時の様子を知ることができる一級資料ですね!
出土品(ふるさと歴史館蔵)

発掘で見つかった国府
常陸国府周辺(ふるさと歴史館)

石岡市には史跡が点在し見所満載!
外城遺跡パネル(ふるさと歴史館)

外城遺跡には常陸国茨城郡郡衙(郡役所)が存在したと思われています。
外城中世の城館石岡城とも呼ばれており、古代の寺跡ナドがありますが時間の都合で寄っていません。




JR常磐線「石岡」駅下車、西へ徒歩13分
駐車場:門の外に駐車できました(確認必要か?)
トイレ:あり