2020年6月20日土曜日

八王子市 松木屋敷(まつぎやしき:東京)

東京都八王子市松木54付近
京王線 堀之内駅から松木屋敷へ

から西へ向かい突き当りが松木屋敷になります。
この信号を右折すると次の写真の所に出ます。
松木屋敷階段

階段を上がる途中から松木七郎宝篋印塔が見えます。


松木七郎 宝篋印塔

最高所の一段下の平場供養塔案内板があります。



案内板

主郭と思われる所には浅間神社が建っています。


郭跡か?

宝篋印塔がある平場跡のように見えます。



物見台かも?と思われる最高所

木を薙払えば物見台にはうってつけの所。
屋敷跡とされている所には浅間神社が建っています。


最高所から最初に来た道を見る

見ての通り周囲は宅地開発されているので浅間神社鎮座していなければ削られていたコトでしょう!
見た目の印象では開発で島状にココだけ残った感じです。どの方向に屋敷が広がっていたのか?知りたいところです。
少し登った松木小学校の方が高度があるのが気になります。
松木屋敷から柚木方面

Blog小田屋敷大石信濃屋敷方面が見えます


京王電鉄 相模原線「京王堀之内」駅下車、西に徒歩8分。
駐車場:なし
トイレ:あり

近くには、北西に小田屋敷大石信濃屋敷。北北西に由木城がある。

2020年6月17日水曜日

八王子市 大石信濃屋敷(おおいししなのやしき:東京)

東京都八王子市下柚木2-35
大栗川越しの大石信濃屋敷

大栗川 川下の東へ向かえば鎌倉街道が通る関戸府中。北西に向かい野猿峠(160m)を越えれば八王子。西へ向かうと相模原津久井方面と交通の要衝であったと思われます。
大石やかた公園

大栗川に沿った所に大石やかた公園がありますが、ココから大石信濃屋敷には上れません!
大石信濃屋敷の北面

大石やかた公園前を通り過ぎ入口の階段へ!
ココにはナド防御施設が存在したのか?
或いは蛇行した大栗川屋敷下を洗っていたかもしれません!?

入口①(北東側の階段)

入口はこの北東の入口①の階段からと、南西の富士見台公園から徒歩での入口②、 南から蛇行して登る道路の3ヶ所になります。

入口① 階段部分

この道路はと云うよりは区画整理道路であろうか?

階段には自転車用?スロープが付いていますが急なので押上げは厳しいです。
石仏

大石氏源氏流の大石氏ですが、室町戦国時代には関東管領 上杉家の重臣として活躍します。
後北条氏が関東に進出すると上杉家は弱体化し大石氏は北条の傘下となります。
その時、北条氏康は次男の氏照大石氏の娘婿として大石家を継がせましたが、後に氏照北条姓に復し大石家の家督大石の一族に返しました。
ココの屋敷主の大石宗虎本家ではないようです。

広くとられている平場

台地上は最近まで耕作地だったように見受けられます。
Web情報では堀跡らしき所が!とありましたが、私有地のようなのでアチコチ歩き回らずに退散したので土塁ナドは不明です??
大石宗虎敷サルスベリ

大石宗虎屋敷のサルスベリ(百日紅)は戦国の当時から存在しています。
ココは墓地になっているので静かに見学しました。
サルスベリ案内板

八王子市天然記念物とのコトです。
富士見台公園からの入口②

富士見台公園台地(松木台)の先端に存在するのがよくわかります。
ココを堀切って竪堀で両側に落とせばよい感じなんですが・・・

一回りして痕跡は???
です。

京王電鉄 相模原線「堀之内」駅下車、西北西に徒歩16分
駐車場:富士見台公園P利用
トイレ:富士見台公園利用

近くには、南に小田屋敷、北西に由木城。南東に松木屋敷がある。

2020年6月10日水曜日

八王子市 小田屋敷(おだやしき:東京)

■富士見台公園
東京都八王子市 下柚木2丁目、下柚木905、松木9 ナド混在
富士見台公園駐車場

ココは滝山城八王子城 北条氏照家臣 小田野源左衛門小田屋敷です。
常陸小田氏の一族のようで、後に小田野から小田に復姓。
富士見台公園案内板

正直いって場所がよくわからず雰囲気を感じながら富士見台公園松木台公園まで歩きました。
由木中学校校庭前駐車場入口になります。
史跡広場

土塁のようにみえる所の下方の道は空堀と見立てることもできますが・・・ 如何に!
広場緩斜面になっていて平地は僅か、城館としては??

竈復元

遺跡の詳しい案内は無いですが住居跡のようです。
発掘成果を基に復元しています。


史跡広場案内

周辺には縄文から古代まで遺跡が眠っています。







■松木台公園
東京都八王子市松木12
富士見台公園から松木台公園を見る

公園から東側は造成されているので屋敷跡といった雰囲気はありません。

先程も書きましたが富士見台公園松木台公園間の道が堀跡だったら面白いのですが開発のため開削された道のような気もします。
松木台公園と富士見台公園東口

富士見台公園東口階段を降りると松木台公園は目の前です。
此方から東側は宅地造成されています。
松木台公園

いたって普通の公園です。
丘は削り残しなのか? どうでしょう??

北の大栗川南の大田川合流点の内側にある丘陵、その西北部の先端の所が小田屋敷大石信濃屋敷になります。
屋敷同じ丘陵東京都立大学南大沢プレミアムアウトレットがあります。
今まで寄れなかったのですが富士見台公園駐車場が使えるので気軽に寄れるコトがわかりました。

小田屋敷 地図(松木台公園のところ)
京王電鉄 相模原線「堀之内」駅下車、西に徒歩15分
駐車場:コインP利用 or 富士見台公園P
トイレ:富士見台公園利用

近くには、北に大石信濃屋敷、北北西ニ由木城。南東に松木屋敷がある。

2020年6月2日火曜日

阿弥陀寺の織田信長墓、十念寺の曲直瀬道三墓 、 本満寺の山中鹿之介墓(あみだじ、じゅうねんじ、ほんまんじ:京都)

本日6月2日本能寺の変で没した信長命日であり、 大河ドラマ麒麟がくる」放映中なので、過去に訪れた中から京都市上京寺町通り沿いに隣接するお寺を北から織田信長公本廟がある阿弥陀寺から十念寺本満寺と廻ります。

■阿弥陀寺 (織田信長、信忠と森蘭丸ら家臣の墓所)
京都府京都市上京区今出川上る鶴山町2-4
阿弥陀寺

お寺を創建した清玉上人織田家と縁が深かったので織田家のお墓が多くあります。

この阿弥陀寺は元は今出川大宮の辺りにありまたが豊臣秀吉によりこの地に移されました。

本坊

数ある織田信長公廟所の中でココには本廟があります。

一般的な本能寺の変では御殿に火をかけ切腹したとなっていますが、
その後があり、の一報を受けた阿弥陀寺清玉上人を引き連れ本能寺へ駆けつけると、切腹した信長の亡骸家臣本能寺外の藪に退避させ、荼毘に付されようとしているところに出会い、その亡骸阿弥陀寺まで引き取ってきたので阿弥陀寺廟所があるとなっています。


渡り廊下の先に廟所がある

上記の話が本当であるなら疑問点が2点!
包囲されている最中に亡骸を運び出すのは並大抵ではないので、怪我を負った信長家臣が脱出誘導し 藪で切腹したのか?
また、荼毘にしようとしていたとの記述は、から立ち上った煙を見て明智軍が不審に思い駆けつけるのでは??
脱出に関しては、塀の破れなど脱出穴があっても差し支え無いでしょう。 
ナドと、素人の疑問です。


廟所

正面に信長、信忠父子墓所
周囲には森蘭丸ほか家臣たちのがあります。
他にも織田家と家臣のお墓があります。
灯篭

信長忌の日(毎年6/2)には織田信長公座像公開されています。
この座像は亡くなって程なく制作されたので本人に姿が近いと云われています。





京阪本線叡山電鉄 叡山本線出町柳」駅下車、西北西へ徒歩10分
駐車場:コインP 寺町通り沿い数か所あり
トイレ:未確認



■十念寺 (医師 曲直瀬道三墓所)
京都府京都市上京区鶴山町13
十念寺

歴史小説を読んでいると良く名前があがる曲直瀬道三室町~桃山時代に活躍!
その道三墓所があります。

十念寺は門の写真のみです。


曲直瀬道三永承4年(1507)~文禄3年(1594)。
都の禅寺足利学校で学んでいる間に医療に目覚めていったようです。
天文12年(1546)に上りで医師として活躍。
皇室将軍義輝細川勝元三好長慶毛利元就ナドを診療し、織田信長からはお香 蘭奢待下賜されています。
また、啓迪院とゆう医学校を創設するなど医療に尽力しました。

京阪本線叡山電鉄 叡山本線出町柳」駅下車、西北西へ徒歩8分
駐車場:コインP 寺町通り沿い数か所あり
トイレ:未確認




■本満寺 (山中鹿之介墓所)
京都府京都市上京区今出川2-16
本満寺

ココが寺町通り沿いの参道になります、
クルマの場合は入ってすぐ左にコインパーキングがあります。

門前の石碑アップ

山中鹿助幸盛尼子家再興のため何度も立上がった忠義の臣として知られ私も大ファンであります。
尼子家は毛利元就によって滅亡!
尼子家臣である山中鹿介僧籍に入っていた当主の弟晴久を還俗させ尼子家を再興月山富田城を回復します。
紆余曲折があり、最後は織田方として毛利と戦ったが織田・羽柴秀吉に見放され籠っていた上月城落城し捕らえられた山中鹿助備中高梁川毛利方により成敗された。

山中鹿助幸盛墓所

左側の石碑には「尼子忠臣山中幸盛卿之墓」と刻まれています。

発音は「しかのすけ」ですが墓石文書には鹿介となっており、過去Blogの月山富田城鹿介と記述したので今回もそのままでいきます。
参道の石碑には鹿之助となっております。


お堂前のハス





京阪本線叡山電鉄 叡山本線出町柳」駅下車、西北西へ徒歩7分
駐車場:コインPあり(1park本満寺)
トイレ:未確認

*出町柳駅近くにレンタル自転車「エムジカ」あり
応仁の乱勃発の地である御霊神社も徒歩5分ほど。