島根県安来市広瀬町富田
184mの月山一帯が富田城です。
尼子氏の居城で大内義隆が攻めるが撃退 -> 毛利元就が攻め落城、その家臣が入る -> 尼子家再興のため山中鹿介らが起ち上がり富田城奪還 -> 再び毛利氏所有 ->関ヶ原の戦功で堀尾吉晴が出雲・石見を得て入城し石垣を組み整備を行いましたが、利便性などを考慮し、松江城を築城し4年後に廃城。
まず、歴史資料館でパンフレットなど情報収集。
道の駅裏の尼子興久の墓地から数段の小郭を経て千畳平(せんじょうなり)へ、太鼓壇の山中鹿介の「七難八苦」の銅像を見て奥書院へ、ここには主屋と侍所が復元されている花ノ壇、その先が山中御殿 ここまでで小いさな城なら1城分の見応え。
広大な山中御殿奥から夏場は厳しい七曲りを井戸跡を見ながらダラダラと登ると 突然三の丸石垣が見えてきます。 二の丸からは中海から毛利元就が本陣を敷いた京羅木山も見渡せ、復元建物もあり。本丸進むと木が茂り眺望はイマイチ、一番奥には勝日高神社が鎮座しています、ココは蜂に注意の看板があったので、足場に写真を撮って降りてきました。
184mの月山一帯が富田城です。
尼子氏の居城で大内義隆が攻めるが撃退 -> 毛利元就が攻め落城、その家臣が入る -> 尼子家再興のため山中鹿介らが起ち上がり富田城奪還 -> 再び毛利氏所有 ->関ヶ原の戦功で堀尾吉晴が出雲・石見を得て入城し石垣を組み整備を行いましたが、利便性などを考慮し、松江城を築城し4年後に廃城。
まず、歴史資料館でパンフレットなど情報収集。
道の駅裏の尼子興久の墓地から数段の小郭を経て千畳平(せんじょうなり)へ、太鼓壇の山中鹿介の「七難八苦」の銅像を見て奥書院へ、ここには主屋と侍所が復元されている花ノ壇、その先が山中御殿 ここまでで小いさな城なら1城分の見応え。
山道で止めるスペースも無いし、方向が掴めないのでパンフレット片手に徒歩が最善とおもいます。
山中鹿介銅像MAP、山中御殿跡MAP、
月山富田城 MAP
駐車場:歴史資料館・道の駅広瀬、併設に無料Pあり。
トイレ:あり 山の上は難しい。
歴史資料館: 大人¥200 水曜休み
近くには、 飯梨川対岸に広瀬陣屋跡。 安来駅の北側700mで十神山城。東北東へ19km走ると米子城、そこから北に向かい境港に境台場+水木しげる記念館。
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