2020年1月31日金曜日

大隅国 加治木館(かじきやかた:鹿児島)

鹿児島県加治木市仮屋町
西方から加治木館

加治木城から南南西に直線1kmの所の市街地にあり、加治木高校東の丸小学校資料館辺りが中の丸西の丸のようです。
いま調べているが明確に分かりません。
加治木図書館・加治木資料館

このときは休館でしたが館内には加治木館の模型が展示されています。
石垣をココで継いでるが!?

この継目の右が小学校、左が資料館図書館だが石垣の継目がある、これは西の丸を拡張した時のものだろうか? 後世の改変付けたしかは調べ中です。
ココは門跡のようである

小学校正門はすぐ右側にあり石垣は撤去されています。
小学校の案内板

案内図を参考にすればココは奥書院御対面所の辺りか?
中の丸-東の丸の間

はじめ堀跡かと思いましたが堀底道状の通路だったのようです。
案内板の図から兵具所の建物が渡櫓門のように見えますが如何でしょう?
その兵具所の後方には黒門がありました。
新納屋敷 敷地の角から東の丸

仮屋馬場通りの先の落込みが東の端になります。
ココは古城正門跡に当たり、電柱で見えないですが右裏門の2つが開いていたようです。
東の丸 古城正門

右側の護国神社参道は後世に開かれたようです。
島津義弘薨去の地の碑

島津義弘はココで生涯を終えました。
護国神社入口にある案内板

古くは加治木氏が加治木城にいましたが島津氏との争いで没落。
シンプルな縄張なのに境界がハッキリしない

島津義弘栗野城帖佐城平松城慶長12年(1607)に加治木城へ入ろうとしたが徳川幕府との兼ね合いで諦め中の丸東の丸からなる加治木館を新造し、義弘の死後に子である家久西の丸を増築しました。
これは幕末の図なので当時は違っていたかもしれません。
塀の笠木か?

の上にのっていたのでしょう。
門前の信号の辺りから南側

コチラは南側(鹿児島湾側)の日豊本線に向かって下っていきます。
東、西、南の3方に向かって下っており北側は落差がないようです。



椋鳩十文学記念館駐車場

加治木館の周りに駐車場は見当たらないので椋鳩十文学記念館を観覧して駐車場に置かせてもらいました。





加治木郷土資料館 地図

加治木館 地図
JR 日豊本線加治木」駅下車、西北西に徒歩8分
九州自動車道 加治木I・Cからクルマで2分
駐車場:なし
トイレ:なし

近くには、北北東に加治木城。東に。北西に蒲生麓、蒲生武家屋敷。

2020年1月23日木曜日

蒲生武家屋敷(かもうぶけやしき:鹿児島)

鹿児島県姶良市姶良郡蒲生町上久徳2308-1
正月休みで蒲生武家屋敷にやって参りました。

平安時代蒲生に移り住んだ蒲生瞬清の代から蒲生を名乗ったようです。
その後に蒲生城を築いて統治していたが島津氏が拡大していく過程で没落していったようです。
島津氏の時代には御仮屋(郡役所)を置き蒲生城からココに集住させました。
蒲生観光交流センター

蒲生の歴史は古く伝馬があったところ。
薩摩国府大隅国府間の蒲生駅が置かれた要衝で日本後記に804年には蒲生駅の記述があります。
蒲生観光交流センター内

観光交流センターには駐車場トイレは言うにお及ばず 土産ナド物産販売蒲生の紹介コーナーがあります。

自分はココで蒲生の資料コピーを¥90也で買いました。
蒲生観光交流センター駐車場

駐車場の奥に古民家の井戸が見えています。これは飲めないらい!?
西馬場

冬休みでもあり武家屋敷の落ち着いた風情が良いですね~
屋敷門の中はカフェ!

西馬場の通りにある武家屋敷の中には「あいら スウィーツカフェ らびゅー」とゆうカフェがあります。
には「庭ずい入っがないもんで(庭まで入れます)」と書かれています。
中へ入ってみました~
をくぐりを見にいくと流行りの古民家カフェが!
この他にも何軒かカフェがあります。
御仮屋門正面

鹿児島県指定文化財
薩摩藩蒲生の地頭仮屋である御仮屋敷(役所)のが残っています。
御仮屋門裏側とイヌマキ(犬槙)

樹齢400年にもなろうかとゆうイヌマキは移ろう時代の証言者でもあります。
御仮屋門の案内板

材木はが使用されているそうです。
県道42号線から蒲生城

関ヶ原の戦いで、蒲生の地頭 阿多長寿院盛淳が配下を引き連れ島津義弘のもとに駆けつけ義弘は大いに喜んだが、敗戦で敵陣前を逃亡する時に義弘の身代わりとなったそうです。
武家屋敷の門

こんな門構えのお家がたくさん、
個人宅なので細かい撮影がし辛いところでもあります。
蒲生八幡神社

蒲生観光交流センター 駐車場の北側の蒲生神社境内には日本一の大きさと云われる蒲生の大楠があります。
また、写真右側の小学校のところにあった永興寺廃仏毀釈廃寺となっています。
鹿児島県廃寺になった寺院が多いように見受けられますが廃仏毀釈の嵐が相当厳しかったものとおもわれます。

蒲生武家屋敷 観光交流センター 地図
蒲生武家屋敷 御仮屋敷門 地図
蒲生城 地図
JR 日豊本線帖佐」駅下車、北西に9km
駐車場:あり
トイレ:あり

近くには、南に蒲生城吉田松尾城。東南東に加治木館加治木城。東南東に岩剣城がある。

2020年1月18日土曜日

鹿児島の 鶴丸城、御楼門 再建中 (つるまるじょう、ごろうもん:鹿児島)

鹿児島県鹿児島市城山町7-2(黎明館住所)
御楼門復元案内

正月休みを利用して完成間近の御楼門見学者通路に行ってきました。
黎明館前からフェンスに沿って行く

現在 工事中での通り抜けが出来ないので北御門跡が最寄りになります。

見学者通路はは2020/1/21まで!

あと数日で見学通路の公開は終わり。
現場の様子はwebでライブ配信もしています。
御楼門覆屋

正面が見学者通路の入口
見学者通路から冠木

これは檜材
展示パネルと工程のサンプル

見学者通路はこのくらいの広さ。
屋根に使用される瓦

.
屋根の下地の釘止め見本

.
何通りかの組み物見本がある

バラスことができるがこれはシッカリ組まれていて固かった。
御楼門に繋がる塀跡

塀もじきに再建されるでしょう。
*塀跡のホゾ穴は明治以降に彫られたものかもしれません!2020/2/9
天璋院 篤姫像

大河ドラマ天璋院篤姫」の頃に建てられたようです。


再建前の門跡(2009年)

現在御楼門跡は再建のため2020/3月まで通行出来ません。
石垣には弾痕が残っています。

*2020/4/11 御楼門の完成式が行われました!

鶴丸城 御楼門 地図

市電市役所前」駅下車、西北西に5分
駐車場:あり(黎明館P)
トイレ:あり(黎明館利用)


2020年1月12日日曜日

五島美術館で「茶道具取合せ展」(ごとうびじゅつかん:東京)

東京都世田谷区上野毛3-9-25
12月に静嘉堂文庫美術館で「名物裂と古渡り更紗」で茶道具と目玉の窯変天目茶碗をみてきました。
続いて、五島美術館で「館蔵 茶道具取り合せ展 ~200/2/16迄」をみてきました。
五島美術館入口

館内展示の撮影📷ができないので外観だけ!
上野毛駅から近く駐車場もあります。
戦国武将関係の展示もあり!

・「豊臣秀吉消息 御祢宛秀吉小田原の陣所からねねに宛てた手紙。
・「千利休書写 豊臣秀吉消息 大政所宛秀吉大政所宛てたものの写し。
織田信長本能寺に寄進した唐物文琳茶入銘 本能寺」。

他に古田織部片桐石州(定昌)、小堀遠州松平不昧ナドの茶道具も出品されています。
庭園の赤門

国分寺崖線の斜面を利用した庭園は3000坪あるそうでゆっくり回ると30分は掛かります。
春山荘門

お寺の門石仏灯篭ナドも多数置かれています。
守山城跡碑

北条時政公守山城跡」って刻まれているが?
東急五島慶太さんが昭和20年代に寄贈したらしい⁈
伊豆韮山守山城にあった物をココに移したのでしょうか??
過去BlogLink:2016/11/5 堀越御所の詰めの城 守山城
稲荷山古墳

敷地内に古墳も!
多摩川沿いの世田谷区大田区国分寺崖線に沿って古墳が多数存在します。
多摩堤通りトンネル上から美術館方面

他にも名物があるのですが自分が好みの楽焼が出品されていたので蛇足ながら・・・
千利休安土城を造った職人長次郎に頼んで焼いてもらった楽焼ですが轆轤を回さず手づくねで成型。
歪なのにバランスが良く手にシックリと馴染む茶碗

・初代 長次郎 黒楽 「千声」、赤楽 「夕暮
・二代 常慶 黒楽「悪女
・三代 道入 のんこう黒楽「三番叟
・四代 一入 黒楽「若松
・五代 宗入 黒楽「あやめ
本阿弥光悦所有だった黒楽「七里」、赤楽「十王」もあり。
この機会にゼヒ!!

五島美術館 地図(正面入口)
東急電鉄 大井町線「上野毛」駅下車、西へ徒歩5分
東急電鉄 田園都市線、大井町線「二子玉川」駅、東へ徒歩14分
駐車場:あり
トイレ:あり