■深根城
国道414号線を下田から河津方面へ向かい「箕作」交差点を直進(河津方面のR414号ではなく松崎方面 県道15号)し100m程の所に箕作郵便局前を過ぎ局のすぐの深根橋を渡った川沿いの道を左折し、400m程進むと深根城の登口に出ます。
一般的に、伊勢新九郎(北条早雲)に堀越御所を急襲された足利茶々丸は深根城主 関戸吉信に伴われこの地に落ち籠城しましたがやがて落城しました。
*写真中の箕作橋は✖で深根橋が正解
暫く上ると削平地が!
後世の宅地、耕作地跡のようですが ココはかつての家臣屋敷跡ナドと考えたいところ!?
削平地の少し登って振返ったところ
同じく削平地の上部に小沢が流れます。
櫓台と土塁と思われているところ
更に上ると主要部(個人宅)に出ます。には立派な櫓台と土塁らしきモノが残っています。現状では防御に乏しいので この道が堀底道か?と妄想して見ています。
深根の枝垂れ桜
櫓台に樹齢160年を越える深根の枝垂れ桜があり名所となっている。機会があったら桜の季節にもう一度来てみたいです!
土塁から南西側の斜面を見る
主郭を見下ろせる高台には物見台ナド防御施設はあったのだろうか?
個人宅なので遠慮して奥まで行かなかったのですが、どうやら深根の枝下れ桜の麓に城址案内板があったようです。
深根城 地図 (進入路入口)
深根城 地図
伊豆急行「稲梓」駅下車、東へ徒歩2km。或は東海バス「箕作郵便局」バス停下車、徒歩。
■足利茶々丸墓所
県道15号線沿いの石碑
電柱と下地のコンクリートに同化して碑が目立たない!
足利茶々丸之墓 石碑を入る
ココを登った何処かにある茶々丸夫妻と云われる宝筺院塔・五輪塔を探しに小道を入ってみます。
登って行きましたが・・・
地元の方の墓地まで行ってこれ以上進んではいけないと思い諦めて戻ったのですが、帰ってから調べると
あと少し登れば足利茶々丸の墓所があったようです。
下調べが不十分で敢えなく撤退となりました。
足利茶々丸:堀越御所を急襲された後の足どりは諸説あり。
〇伊勢新九郎に堀越御所を急襲され、守山城 或は願成就院へ逃れて自害した。
〇堀越御所から関戸信吉の深根城へ逃れたが、伊勢新九郎に深根城を攻められ自害した(この場合は深根の墓所が有力になるか?)。
〇伊豆諸島へ逃れて抵抗した。
〇甲斐の武田氏に身を寄せて再起を計った。
ナドと諸説あり 終焉の地はよく分からないようです。
また、一定の年齢に達していたと思われますが茶々丸とゆう幼名しか伝わっておらず謎が多い人物ですね。
※足利茶々丸の墓所は伊豆の国市の願成就院にもあります(北条時政開基、国宝の運慶仏あり)。
※関戸吉信 墓所は国道414号線の河津ループ橋下の枝道に入り、ループ橋から南東に600m程の所に在ります。
過去Blog:
2016/9/18 伊豆国 北条氏邸(時政)、円成寺跡
2016/10/25 堀越御所 或は 堀越公方館
2016/11/5 堀越御所 詰めの城 守山城
足利茶々丸墓所 地図 (入口の案内の標柱のところ)
交通手段は深根城と同じ様に深根橋から西へ80mで道路沿いの石碑のところ。
後世の宅地、耕作地跡のようですが ココはかつての家臣屋敷跡ナドと考えたいところ!?
削平地の少し登って振返ったところ
同じく削平地の上部に小沢が流れます。
櫓台と土塁と思われているところ
更に上ると主要部(個人宅)に出ます。には立派な櫓台と土塁らしきモノが残っています。現状では防御に乏しいので この道が堀底道か?と妄想して見ています。
深根の枝垂れ桜
櫓台に樹齢160年を越える深根の枝垂れ桜があり名所となっている。機会があったら桜の季節にもう一度来てみたいです!
土塁から南西側の斜面を見る
主郭を見下ろせる高台には物見台ナド防御施設はあったのだろうか?
個人宅なので遠慮して奥まで行かなかったのですが、どうやら深根の枝下れ桜の麓に城址案内板があったようです。
深根城 地図 (進入路入口)
深根城 地図
伊豆急行「稲梓」駅下車、東へ徒歩2km。或は東海バス「箕作郵便局」バス停下車、徒歩。
駐車場:なし(稲尾沢川沿いの側道に置けそうです)
トイレ:なし
県道15号線沿いの石碑
電柱と下地のコンクリートに同化して碑が目立たない!
足利茶々丸之墓 石碑を入る
ココを登った何処かにある茶々丸夫妻と云われる宝筺院塔・五輪塔を探しに小道を入ってみます。
登って行きましたが・・・
地元の方の墓地まで行ってこれ以上進んではいけないと思い諦めて戻ったのですが、帰ってから調べると
あと少し登れば足利茶々丸の墓所があったようです。
下調べが不十分で敢えなく撤退となりました。
足利茶々丸:堀越御所を急襲された後の足どりは諸説あり。
〇伊勢新九郎に堀越御所を急襲され、守山城 或は願成就院へ逃れて自害した。
〇堀越御所から関戸信吉の深根城へ逃れたが、伊勢新九郎に深根城を攻められ自害した(この場合は深根の墓所が有力になるか?)。
〇伊豆諸島へ逃れて抵抗した。
〇甲斐の武田氏に身を寄せて再起を計った。
ナドと諸説あり 終焉の地はよく分からないようです。
また、一定の年齢に達していたと思われますが茶々丸とゆう幼名しか伝わっておらず謎が多い人物ですね。
※足利茶々丸の墓所は伊豆の国市の願成就院にもあります(北条時政開基、国宝の運慶仏あり)。
※関戸吉信 墓所は国道414号線の河津ループ橋下の枝道に入り、ループ橋から南東に600m程の所に在ります。
過去Blog:
2016/9/18 伊豆国 北条氏邸(時政)、円成寺跡
2016/10/25 堀越御所 或は 堀越公方館
2016/11/5 堀越御所 詰めの城 守山城
足利茶々丸墓所 地図 (入口の案内の標柱のところ)
交通手段は深根城と同じ様に深根橋から西へ80mで道路沿いの石碑のところ。
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