2014年8月23日土曜日

蒔田の吉良氏、横浜市歴史博物館(まいたのきらし:神奈川)

神奈川県川崎市都筑区中川中央1-18-1
これから千葉大名誉教授 佐藤博信氏の公演「関東吉良氏とその世界」を拝聴なので、またあとで追記します。
歴博から茅ヶ崎城を望む。
オマケ、 帰りの車窓から二子玉川花火大会。

すべて携帯カメラで!


*2014/8/30には、研究講座の3回目「吉良氏研究の最前線 (谷口雄太氏)」入場制限あり、無料 。



 ~~追記~~ 2014/8/31追記・改変

○企画展 「蒔田の吉良氏-戦国まぼろしの蒔田城と姫君-

吉良氏は足利尊氏公に近いの血筋です。三河国の吉良定家が奥州探題として東北へ下行、その後に鎌倉公坊に仕え上野国に所領を得て、後に武蔵国の世田谷城 (世田谷御所)へ移ります。
その領国は、港区芝から世田谷区、川崎市一部。飛び地として横浜市の一部(蒔田を含)と埼玉県富士見一帯、これらを全てあわせると結構な広さになります!
 このあたりはこの図録からの地図をご覧ください。

手紙ナド文書類は豊富です。 世田谷郷土資料館で見ているものもありますが、概ね納得の充実した展示がなされています。
今回 横浜英和学院の歴史部で作成した城趾模型が展示されており蒔田城の鳥瞰図は見ていたのですが、様子がより分かるようになりました。
ここは、世田谷城の模型も見てみたいところですが本格的に発掘しなければ作成は難しいところですかねー??

資料として図録を購入しました。



○講演「関東吉良氏とその世界 蒔田御所と世田谷御所」


お話は関東の戦国史に詳しい千葉大名誉教授 佐藤博信氏です。
従来は武蔵吉良氏と云われているが、講演タイトルに「関東吉良氏」とついているのは、
蒔田とゆう地名人名ナドが他に鎌倉材木座、藤沢、上総国ナドに広く分布しているので蒔田、世田谷に収まらず、もっと大きな括りで見なければならないので関東としたとのことです。
なぜか吉良より蒔田の痕跡のほうが残っていつようです。

自分自身、吉良氏のことは良く分かってなく、期待して参加しましたが、やはり資料が非常に少なく難しいようで、先生も今回の講演資料を集めるのに苦労されたようです。
小田原合戦で北条方として降伏した側ですからやむをえませんが・・・

後北条氏は古河公方や吉良氏の権威を利用
後北条氏勢力下に入る前は、関東公坊、関東管領、他有力大名の中でどのような関係、権威、権力を持っていたのでしょう??
この辺り非常に興味があります。


--城郭-- (他にも砦などがあったものと思われますが知る限り)

世田谷城:現在は 豪徳寺、宅地、世田谷城趾公園となっています。
弦巻砦 :弦巻神社の辺りといわれている。
赤堤塁 :世田谷城の支城といわれています。
三宿城 :吉良氏の多聞寺があったので多聞寺砦とも、
八幡山番屋:吉良氏と直接関係があるか不明。
上北沢番屋 :吉良氏と直接関係があるか不明。
烏山城 :横浜に移転する前の泉沢寺は烏山城近くにありました。
奥沢城 :吉良氏の家臣 大平出羽の居城。現在は九品仏(浄真寺)となっています。
蒔田城 :横浜市の横浜英和学院となり、一段下の道路は犬走りとされております。

上記の城郭は、「世田谷の中世城塞」世田谷教育委員会編が一番わかり易いです。
わたしは以前に世田谷郷土資料館で購入しようとしたら完売だったので、全頁コピーしました。

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