2022年5月19日木曜日

函南の 田中城 或は 桑原城(たなかじょう、まるやまじょう:静岡)

◆田中城
静岡県田方郡函南町桑原
田中城遠景

堀越公方の重臣 田中内膳居城とされる。
Wikipediaによると、
興国寺城伊勢盛時堀越公方の後見として鎌倉北条氏を継承(後北条)させたのが田中大善であるそうです。

「←丸山城 250m」案内板(田中城)

かんなみ仏の里美術館前の道路を北東に600mほど進んだ所に「丸山城址250m」の矢印案内左折する。
田中城先端部でクルマは行き止りに!

この先で路駐したが、すぐに農作業車がやって来ました。
畑の入口を避けて止めたので事なきを得ました。

徒歩で細道に入りすぐの所に丸山城(田中城)案内板が立っています。
北側の郭らしき所を見上げる

の取付きを探したが見つからないので北側に廻り、そこから登ろうとしましたが入城拒否感があり止め、田中城案内板まで戻って案内板本文を読むと「民地であるので見学できません」と書かれていました。
よって主郭には到達出来ず、敢え無く撤退しました。
案内板

田中城来光川とその支流に挟まれた小山にある。

来光川の上流には山中城があり、戦国時代田中城山中城の支城とされていて、豊臣秀吉小田原合戦の折には攻撃されたそうです。
山中城と田中城の位置関係

案内板にあるように韮山城ー山中城の連絡に良く、今は目立たない存在ですが繋ぎの城として重要拠点であったかとと思います。
山中城落城残兵小田原方面に撤退したと思っていたが一部の兵は韮山城への合流もありか?とゆう気がしてして来ました。 

*田中城の別称は、函南町桑原字丸山に存在するため桑原城丸山城とも呼ばれる

田中城 MAP(案内板のところ)
JR東海道線「函南」駅下車、北北東へ徒歩32分
駐車場:なし
トイレ:なし


◆かんなみ仏の里美術館
静岡県田方郡函南町桑原89-1
かんなみ仏の里美術館

仏像の写真は撮れなかったので美術館の紹介のみです。
明治廃仏毀釈仏像が散逸することを憂え守っていたが、有志で薬師堂を建て24体の仏像を納めた。
近年その仏像函南町に寄付され仏の里美術館を開館したそうです。
阿弥陀如来、脇侍仏、(実慶作)の解説

石橋山合戦戦死した北条時政の嫡男 北条宗時桑原にあると吾妻鑑に記されているので、時政が息子の供養のため実慶に造らせたと考えられています。

解説文によると仏内のサインの「」の上に「」を上書きして実慶から運慶となっている!? 偽造の事情は分かりませんが興味深いところです。
薬師如来像(平安中期)と12神将像の解説

足利市のお寺大日如来廃仏毀釈で行方不明になり、数年前に特徴の一致する仏像クリスティーズオークションで落札され日本に戻ってきました。 それを思うと仏像を大事に護ってきた地元の方々は素晴らしいですね!


他所にも、
伊豆 修善寺大日如来実慶が携わっと伝わっていて、韮山願成就院運慶作の仏像があり、伊豆ならんだの里 河津平安の仏像展示館にも平安時代の仏像が安置されています。

*2022/5/21修正

JR東海道線「函南」駅下車、北へ徒歩24分
駐車場:あり
トイレ:あり


2022年5月7日土曜日

妖しい熱海城天守(あたみじょう:静岡)

静岡県熱海市熱海1993
MOA美術館の駐車場から

熱海MOA美術館で「大蒔絵展」に行ってきました。

今回はその美術館から眺めた熱海城模擬天守の写真のみです。


MOA美術館の館内から模擬天守

熱海城 模擬天守昭和34年(1959)に鉄筋コンクリート造りで5層9階建て。
完全に観光施設なので模擬天守と云いつつこの場所に城があったとゆう事実はありません。(以前web上でこの辺りに砦があったと記憶してますが事実が分かりません!)


.

2022年4月8日金曜日

行田市の 皿尾城(さらおじょう:埼玉)

埼玉県行田市皿尾337
西から皿尾城

皿尾城忍城復興天守から北西直線で1kmほどのところにあります。
このの成立は定かではないようで、忍城の支城であるとか、上杉謙信忍城を攻める際の陣城であるとか云われています。
同じ西から

撮影者の辺りは湿地帯であったと想像します。
少し近づいて

左端に城跡碑、正面は久伊豆神社・大雷神社が見える。
目の前も農地湿地であったか??
皿尾城石碑

久伊豆神社大雷神社社殿裏に土塁らしきモノが残っているようです(時間の都合上未確認)。
現地案内図+航空古写真+書込み図

黄緑線はわたしがハザードマップの浸水地域や古い航空写真ナドからわたしが勝手に想定した城域
或は。神社周辺部のみの小さな城であったかもしれません。

古い航空写真を見ると、田園地帯の中にのように写っています。これは忍城のように湿地帯の中の浮島であつたかと思います。
土地改良事業水路や道路が直線になっているので現在の地図から想定するのは困難でした因みに、現在の忍川は往時とは全く違うようです。

過去BlogLink

秩父鉄道持田」駅下車、北へ徒歩11分
駐車場:大雷神社に若干のスペースが有るようです
トイレ:なし

近くには、西南西に成田氏館跡。南東に忍城行田角兵衛尉館跡。東南東に石田堤がある

2022年3月21日月曜日

成田氏発祥地 成田氏館跡と菩提寺 龍淵寺(なりたしやかた、りゅうえんじ:埼玉)

◆成田氏館
埼玉県熊谷市上之544
成田氏館

成田氏と云えば「のぼうの城」の忍城ですが、それ以前の成田氏の発祥の地とされるです。
成田氏館址碑

ココは私有地のようで柵に囲まれて中へは入れません。
右方には牛小屋があります。
案内標柱

ココは城跡石碑は城址となってますが・・・
サイドに成田氏館の案内も書かれています。

Wikipediaによると出自藤原氏説武蔵七党横山氏の流れの説が有るようです
西から館跡
 
ぐるりと廻り込んで龍淵寺へ向かう途中から方面を見る。
周辺は起伏が無いため、わたしの想像では低湿地に守られていたのではないか?と思っています。
成田氏館石碑前の道路は一方通行なのでクルマの場合この順路しかありません! 
R17号(熊谷バイパス)下り線からを過ぎ次の「上之」交差点直前一方通行左折する

*手前に「上之(雷電神社)」交差点が有りますが、その次の「上之」交差点です。

過去Blog:

JR高崎線、湘南新宿ライン秩父鉄道熊谷」駅下車、北東へ徒歩35分
国際十王バス利用「熊谷」~「宿裏」バス停下車、徒歩6分
駐車場:なし(路駐で碑だけ撮りました)
トイレ:なし


◆龍淵寺
埼玉県熊谷市上之336
龍淵寺参道

成田氏館の北、R17号線を越えた先に成田氏の菩提寺 龍淵寺があります。
龍淵寺由緒書

龍淵寺成田左京亮家時応永8年(1411)に建立
成田五郎家時の墓所

五郎家時成田家中興の祖と云われています。

残念ながら、成田氏歴代の墓所の撮影失敗しました~泣
鐘楼

鐘楼2010年建築ですが、梵鐘は寛文年間成田氏長没後200年を機に鋳造されたとそうです。
燈篭(部分)

東京 上野東叡山 寛永寺にあったものでしょうか??
由緒書きによると龍淵寺徳川家康との縁があるそうなので気になったので撮ってみました。


JR高崎線、湘南新宿ライン「熊谷」駅下車、北東へ徒歩40分。
国際十王バス利用で「熊谷」~「龍渕寺前」バス停下車 すぐ。
駐車場:あり
トイレ:あり

近くには、東南東に皿尾城忍城行田館兵衛尉館。南東に石田堤

2022年2月28日月曜日

源義朝館跡、扇谷上杉管領屋敷跡、道灌邸跡(みなもとのよしともやかた,うえすぎかんれいやしき,おおたどうかんてい:神奈川)

◆源義朝邸跡・寿福寺
神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-17-7
参道

鎌倉五山 第3位、風情のある参道が人気の寿福寺、元々ココには源頼朝の父 義朝が存在したと場所と伝わっています。

この参道は歩けますが特別公開日を除いて参拝は不可です。
寿福寺案内板

寿福金剛禅寺開基は北条政子開祖は栄西
源実朝も幾度となく訪れたお寺です。
脇から源氏山のハイキングコースにまわると北条政子源実朝お墓があります(近くに太田道灌お墓も)。
寿福寺境内案内

当初 源頼朝はココにを構えようとしますが義朝の菩提を弔うお堂があると聞きやめたそうです。

源義朝館跡・寿福寺 MAP




◆扇谷上杉管領屋敷跡
神奈川県鎌倉市扇ガ谷2-4-3
横須賀線超しに石碑

英勝寺側から撮影。
写真の更に右方の踏切を渡ればすぐの着きます。
後ろの広いところはお寺となっています。
扇谷管領屋敷跡石碑

4上杉家のうち扇ガ谷屋敷を構えたのが扇谷上杉家です。
その名の通り谷筋にあります。 
管領屋敷跡から太田道灌邸跡・英勝寺

今はJR線路が目立ちますが、谷筋の小河川を隔て扇谷上杉屋敷と太田道灌邸が向い合う形で建っていたのであろうと想像します。




◆太田道灌邸跡・英勝寺
神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-16-3

次は扇谷上杉家の家宰である太田道灌邸を構えていたところです。
扇ガ谷付近は、古くは源義朝の館室町時代扇谷上杉家屋敷太田道灌の館鎌倉の中でも高級住宅街であると思うところです。

英勝寺

右端に太田道灌邸旧跡碑が見えます。参拝入り口は右手から。
太田道灌邸跡石碑

英勝寺の裏山太田道灌の墓所がありますが寺域では無く源氏山ハイキングコースから行けるようです(数十年前に源氏山に行きましたがよく覚えてない!)。
英勝寺案内板

英勝寺開山徳川家康側室であった お勝の方でありますが、
家康没後に落飾し英勝院となり、先祖の古地を賜わって英勝寺を建立。 徳川頼房の養母となった関係から水戸家の庇護をうけております。
仏殿

仏殿阿弥陀三尊像運慶作と伝わります。
竹林と書院

現在の鎌倉唯一の尼寺唐門仏殿鐘楼祠堂ナド当初の建物(重要文化財)が残り江戸初期の風情が垣間みえるお寺です。小規模ですが竹林が美しいと評判になっています。

お勝の方(お梶の方):太田道灌の4代の孫 康資の娘。徳川家康側室となり関ヶ原合戦に馬上で同行、さらに大坂の陣にも従軍。
「お勝の方」の名は従軍時に戦に勝つといった意味合いだそうです。
お勝の方の駕篭の席次は春日局より上位であったそうで、家康にとって側室に止まらず有能な秘書としての役割を担ったようです。

JR横須賀線「鎌倉」駅下車、北へ徒歩10分 


過去Blog
2011/9/5 2つの波多野城(源実朝公紹介あり)

駐車場:近隣のコインP
トイレ:寿福寺参道手前にあり。

2022年2月2日水曜日

鎌倉歴史文化交流館で「北条氏展 vol.1」(ほうじょうしてん:神奈川)

神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-5-1
鎌倉歴史文化交流館入口

鎌倉歴史文化交流館の「北条氏展 vol.1 伊豆から鎌倉へ ー北条氏の軌跡をたどるー(会期2022/1/4~3/26)」にやって来ました!
今回のvol.1では、伊豆鎌倉発掘された遺物歴史資料ナドを展示
「鎌倉殿の13人」安達盛永案内板

入ってすぐ左に「鎌倉殿の13人安達盛永の関連箇所の案内板が建っています。
ココは安達盛長の孫の安達義景屋敷地であり傍らに無量寿院(廃寺)を建立した。
北条氏展ポスター

vol.1のあとも vol.2「鎌倉武士の時代」vol.3「北条義時とその時代」vol.4「北条義時の子供たち」と続きます。
物指・墨壺

左、物指 (武家屋敷と思われる個所から出土)
右、墨壺 (東大寺南大門の梁の上から見つかった墨壺や中世の絵巻に描かれているものに似ている。)
白磁四耳壺

大蔵幕府跡の辺りから出土和賀江島湊の繁盛振りが偲ばれます。
大蔵幕府鎌倉初期の幕府所在地
永福寺出土柱

永福寺(廃寺)は源頼朝が建立
VR体験あり。
鎌倉闘諍録(複製)

複製本ですが本物は鎌倉歴史文化交流会館蔵書
吾妻鏡

左、江戸時代の写本
右、北条本(複製)。 小田原北条氏から黒田孝高に贈られたもの。
鎌倉市内の出土物

左、青磁(大蔵幕府推定地から出土)
右、かわらけ(鎌倉各所から出土)

この他、伊豆の韮山駅前韮山文化センター韮山劇場隣接して鎌倉殿の13人 伊豆の国 大河ドラマ館がOpenしています。

◆常設展
VR永福寺体験案内

既に廃寺になった永福寺VRグラスで体験できるコーナーです。
VR永福寺体験コーナー

宇治の平等院や平泉の毛越寺のような浄土庭園を持つお寺。谷隘なのに広々とした須浜をもつ寺でした。
赤絲縅大鎧(畠山重忠所用大鎧写)

武蔵御嶽神社畠山重忠が奉納した大鎧レプリカ
本物は青梅市御嶽神社宝物殿で見られます。
無量寿院庭園跡

安達氏建立無量寿院(廃寺)がありました。 歴史文化交流会館裏にはその庭園跡があります。鎌倉 瑞泉寺の様な庭園だったと云われています。

この他、伊豆韮山駅前韮山文化センター韮山劇場隣接して鎌倉殿の13人 伊豆の国 大河ドラマ館がOpenしています。

✳︎注 日曜・祝日休館

過去Blog

JR横須賀線江ノ島電鉄鎌倉」駅西口下車、北北西に徒歩6分
駐車場:なし
トイレ:あり