2017年6月2日金曜日

頼朝緒戦敗退! 石橋山古戦場(いしばしやまこせんじょう:神奈川)

神奈川県小田原市

相模湾沿いの国道135から離れ、230mほど走ると地図入り案内板がある。そこを右折して正面にこの駐車場案内がみえます。
石橋山古戦場碑

先の駐車場案内のとおり進み130m来ると、この石碑のところに出ます。
佐奈田霊社駐車場

朝早くに駐車場にとめ、周囲の写真を撮っていると、到着したクルマから「おはようございます!」と挨拶され、振向くと霊社お坊さんでした。
佐奈田霊社 裏の参道

そのお坊さんと話しながら石段を登っていくと、
今から境内案内をしましょうか?」と云われ、
お仕事が忙しくなければ・・・ と答えると、 
大丈夫です! ではコチラに・・・」と、ゆうことで案内していただいたのですが、これが講釈師のように流暢な(失礼!) ガイドで楽しく聞かせていただきました。


佐奈田霊社から古戦場附近

与一闘死の地はこの視界からは外れています。

現在は真言宗、祭神は佐奈田与一義忠)

お坊さんのお話では、現在は真言宗で、明治維新の時に神仏分離出来ず、鳥居銅鑼注連縄護摩壇仏像鎧姿の与一像と、神仏習合となっているので霊社と云うそうです。生きていた人間を祀るところで、日光東照宮ナドと共に全国でも数少ない所であると仰っていました。
与一塚と観音堂

お坊さんは、与一鎧を着用したまま埋葬されていると仰っていました。




文三堂
頼朝勢300騎ほどしかいなかったので合戦場は狭い範囲に限られるようです。
案内板から

お坊さんに遠くに見える横浜ランドマークタワーの位置を教えてもらいました。

よく晴れた日には東京スカイツリーまで見えるそうです。 武蔵=634m恐るべし!
江戸城の残念石であろうか?

ねじり畑の近く、矢穴と刻印があったのが気になってweb検索したが分らず! 石垣とは関係ないのかもしれません。

帰り、国道135号線合流直前から小田原城天守


合戦経緯:
平氏追討綸旨を得た源頼朝韮山伊豆国 目代 山木襲撃したあと、に堅い石橋山布陣頼朝方との合流を目指す。

対する敵方 大庭景親はそうはさせじと、谷を隔てたところに布陣。南から来た伊東祐親は背後に布陣。これで挟撃されるカタチになり、しかも合流を目指した三浦勢酒匂川の増水で渡河できず

戦闘は大庭景親3000騎源頼朝300騎夜襲を仕掛け源頼朝軍敗退頼朝は辛くも安房国に落ちのび再起を計りました。」


石橋山古戦場 地図

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