2022年8月18日木曜日

下鴨城 と瀬見の小川復元(しもかもじょう、せみのおがわ:京都)

京都市左京区下鴨泉川町
瀬見の小川を再現した流れと下鴨社参道

賀茂川高野川に挟まれたいわゆる鴨川デルタの内にある下鴨城(河合城)です。 城域は糺の森の南部にあたる河合神社とその南外側と云われている。

鴨川高野川合流点は当時と現在とであまり変わっていないようです。糺の森の中には瀬見の小川を含む小川が幾筋も流れていたので防御力はありそうです。
下鴨城(瀬見の小川復元)案内板

永禄年間に攻め寄せた三好松永方に対し下鴨城を守備する六角方が勝ったとされています。

文献には「鴨川の出口に城を立つる事(室町殿日記の巻10)」、「十条坊、磯谷等鴨川の頭に一城を築きたてこもり(陰徳太平記、巻三九)」。これらから鴨川、高野川合流点に近い河合神社周辺に築かれたと思われています。

案内板

発掘では平安時代~江戸時代水路の跡井戸土器ナドが出土している。に関する出土物は無いが、瀬見の小川を復元したと書かれています。




京阪本線叡山電鉄出町柳」駅下車、北へ徒歩7分
駐車場:下鴨神社or近隣の駐車場へ
トイレ:なし

近くには、東に中尾城、大山出城。東北東に北白川城、北東に宮内少輔城がある。

2022年7月17日日曜日

シンポジウム「戦国近江と六角氏の城」(せんごくおうみとろっかくしのしろ:東京)

東京都渋谷区神園町3-1
シンポジウム会場

国立オリンピック記念総合センターで行われた、
滋賀県主催のシンポジウム 近江戦国史 Ⅷ
-「戦国近江と六角氏の城」に行ってきました!
2022/7/17
レジュメ

全3部からなっており、
①近江の戦国時代
所用で遅れてあまり聞けなかったのが残念!!

②六角氏の巨大山城 観音寺城
観音寺城から眺めが利き、中山道や逢坂の関方面の動きが読めたようです。

まだ観音寺登城したことがなく、お話で気になる点が幾つもありました。
時期をみて行きたいと思います。 ←巨大過ぎて全山廻れるか不安?!

新幹線から見える部分の石垣を下刈りナドして整備中とのコトです。

③清水山城と高島七頭の城
高島七頭高島郡南部割拠した7家(多くは佐々木氏流)。

大溝城朽木谷以外にも、清水山城には畝状竪堀がある、ナド見逃せない城館が多数あるとのコトなのでユックリ廻ってみたいです。


会場から新宿方面

最後に、
今回初参加ですが、滋賀県シンポジウム東京で聴講できるなんて感謝しかないですね!!



2022年6月20日月曜日

赤坂に移築された岡崎藩 上屋敷表門(おかざきはんかみやしきもん:東京)

東京都港区赤坂4-10(山脇学園の北角)
牛鳴坂から

この牛鳴坂大山街道(R246、青山通り)の旧道のようです。 登った先の山脇学園敷地に大名屋敷表門移築されています。
桜の時期に訪れました

丸の内屋敷が在った時にはの両脇に120mほど長屋が連なっていたそうです。
門の両袖に番所が付いている

良く整備されていて今でも門扉を開放できて学園の門としても機能している。
案内板

何度か門の持ち主が変わり最後に山脇学園に渡る。同学園の千葉県の宿舎で保存していたが平成26年にこの地へ移築されました。
変遷は山脇学園H・Pに載っています。
丸の内大名小路の岡崎藩上屋敷跡

元々は、東京都千代田区丸の内大名小路、写真矢印の東京中央郵便局周辺に存在した岡崎藩5万石老中主座本多忠民屋敷の表門でした


東京中央郵便局 MAP (岡崎藩上屋敷跡)
東京メトロ 丸ノ内線、銀座線、半蔵門線「赤坂見附」駅下車、出口Aから南西へ徒歩5分
東京メトロ 千代田線「赤坂」駅下車、北西へ徒歩7分
駐車場:近隣のコインパーキング
トイレ:なし

近くには、北東に江戸城赤坂見附。東に星ヶ丘城。北に喰違い見附。西南西に高橋是清翁記念公園(高橋是清邸)。南に今井城がある。

2022年6月7日火曜日

川崎市の 作延城(さくのべじょう:神奈川)

神奈川県川崎市高津区下作延5-10-25
霊園入口にある事務所前の案内図

JR 津田山駅南口からへ向かって登ると霊園事務所前にこの案内図があるのでココで確認すれば迷わず城址碑まで行けます。
※注 北向き図ではない!
登ってくるとY字路に作延城の方向案内がある!

事務所から少し登ると矢印案内板が見えてきます。
上の写真の矢印案内拡大

案内板の指示
に従って城址碑に向かいます。
城址石碑が見えてきました

ココには石碑案内板がありますが大きく造成されているので城の雰囲気は無いです!
作延城址碑

遺構は無く この城址碑のみです。
作延城址 案内板

本文には、これらは鎌倉を守る防衛ラインで、鎌倉時代稲毛三郎が築城したものでると書かれています。

2022年現在の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」ですが案内に出てくる妙楽寺源頼朝の弟である阿野全成お寺です。
地図部分拡

川上から大丸城小沢城寺尾城枡形山城、この作延城ナドが多摩川・多摩丘陵防衛ラインのようです。
また、多摩川(東京方面)を監視するためJR南武線を隔てた反対側の丘に郭か出丸があったと推察します。
城址碑から90mほど南から

城址南方の眺め往時の雰囲気を感じられるか?
現地に居るより城らしく見える!

平瀬川尾根下の暗渠になっているので川の推定ラインを入れてみた。

丘陵地尾根を堀切ればそれなりに要害になるのか!?
発掘報告書でもあれば助かるのですが・・・
霊園の下の段

ココが城域分からないが雰囲気がある。



過去BlogLink


作延城 地図(石碑の所)
JR南武線「津田山」駅下車、南へ徒歩6分
駐車場:石碑の写真くらいなら路駐出来そう!?
トイレ:霊園で!

近くには、北西に枡形山城寺尾城小沢城。北東に瀬田城がある。

2022年5月19日木曜日

函南の 田中城 或は 桑原城(たなかじょう、まるやまじょう:静岡)

◆田中城
静岡県田方郡函南町桑原
田中城遠景

堀越公方の重臣 田中内膳居城とされる。
Wikipediaによると、
興国寺城伊勢盛時堀越公方の後見として鎌倉北条氏を継承(後北条)させたのが田中大善であるそうです。

「←丸山城 250m」案内板(田中城)

かんなみ仏の里美術館前の道路を北東に600mほど進んだ所に「丸山城址250m」の矢印案内左折する。
田中城先端部でクルマは行き止りに!

この先で路駐したが、すぐに農作業車がやって来ました。
畑の入口を避けて止めたので事なきを得ました。

徒歩で細道に入りすぐの所に丸山城(田中城)案内板が立っています。
北側の郭らしき所を見上げる

の取付きを探したが見つからないので北側に廻り、そこから登ろうとしましたが入城拒否感があり止め、田中城案内板まで戻って案内板本文を読むと「民地であるので見学できません」と書かれていました。
よって主郭には到達出来ず、敢え無く撤退しました。
案内板

田中城来光川とその支流に挟まれた小山にある。

来光川の上流には山中城があり、戦国時代田中城山中城の支城とされていて、豊臣秀吉小田原合戦の折には攻撃されたそうです。
山中城と田中城の位置関係

案内板にあるように韮山城ー山中城の連絡に良く、今は目立たない存在ですが繋ぎの城として重要拠点であったかとと思います。
山中城落城残兵小田原方面に撤退したと思っていたが一部の兵は韮山城への合流もありか?とゆう気がしてして来ました。 

*田中城の別称は、函南町桑原字丸山に存在するため桑原城丸山城とも呼ばれる

田中城 MAP(案内板のところ)
JR東海道線「函南」駅下車、北北東へ徒歩32分
駐車場:なし
トイレ:なし


◆かんなみ仏の里美術館
静岡県田方郡函南町桑原89-1
かんなみ仏の里美術館

仏像の写真は撮れなかったので美術館の紹介のみです。
明治廃仏毀釈仏像が散逸することを憂え守っていたが、有志で薬師堂を建て24体の仏像を納めた。
近年その仏像函南町に寄付され仏の里美術館を開館したそうです。
阿弥陀如来、脇侍仏、(実慶作)の解説

石橋山合戦戦死した北条時政の嫡男 北条宗時桑原にあると吾妻鑑に記されているので、時政が息子の供養のため実慶に造らせたと考えられています。

解説文によると仏内のサインの「」の上に「」を上書きして実慶から運慶となっている!? 偽造の事情は分かりませんが興味深いところです。
薬師如来像(平安中期)と12神将像の解説

足利市のお寺大日如来廃仏毀釈で行方不明になり、数年前に特徴の一致する仏像クリスティーズオークションで落札され日本に戻ってきました。 それを思うと仏像を大事に護ってきた地元の方々は素晴らしいですね!


他所にも、
伊豆 修善寺大日如来実慶が携わっと伝わっていて、韮山願成就院運慶作の仏像があり、伊豆ならんだの里 河津平安の仏像展示館にも平安時代の仏像が安置されています。

*2022/5/21修正

JR東海道線「函南」駅下車、北へ徒歩24分
駐車場:あり
トイレ:あり


2022年5月7日土曜日

妖しい熱海城天守(あたみじょう:静岡)

静岡県熱海市熱海1993
MOA美術館の駐車場から

熱海MOA美術館で「大蒔絵展」に行ってきました。

今回はその美術館から眺めた熱海城模擬天守の写真のみです。


MOA美術館の館内から模擬天守

熱海城 模擬天守昭和34年(1959)に鉄筋コンクリート造りで5層9階建て。
完全に観光施設なので模擬天守と云いつつこの場所に城があったとゆう事実はありません。(以前web上でこの辺りに砦があったと記憶してますが事実が分かりません!)


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2022年4月8日金曜日

行田市の 皿尾城(さらおじょう:埼玉)

埼玉県行田市皿尾337
西から皿尾城

皿尾城忍城復興天守から北西直線で1kmほどのところにあります。
このの成立は定かではないようで、忍城の支城であるとか、上杉謙信忍城を攻める際の陣城であるとか云われています。
同じ西から

撮影者の辺りは湿地帯であったと想像します。
少し近づいて

左端に城跡碑、正面は久伊豆神社・大雷神社が見える。
目の前も農地湿地であったか??
皿尾城石碑

久伊豆神社大雷神社社殿裏に土塁らしきモノが残っているようです(時間の都合上未確認)。
現地案内図+航空古写真+書込み図

黄緑線はわたしがハザードマップの浸水地域や古い航空写真ナドからわたしが勝手に想定した城域
或は。神社周辺部のみの小さな城であったかもしれません。

古い航空写真を見ると、田園地帯の中にのように写っています。これは忍城のように湿地帯の中の浮島であつたかと思います。
土地改良事業水路や道路が直線になっているので現在の地図から想定するのは困難でした因みに、現在の忍川は往時とは全く違うようです。

過去BlogLink

秩父鉄道持田」駅下車、北へ徒歩11分
駐車場:大雷神社に若干のスペースが有るようです
トイレ:なし

近くには、西南西に成田氏館跡。南東に忍城行田角兵衛尉館跡。東南東に石田堤がある