2017年5月12日金曜日

足利氏縁の鎌倉 浄妙寺、 延福寺跡 、足利直義墓所 (じょうみょうじ、あしかがただよしぼしょ:神奈川)

鎌倉市浄妙寺3-8-31
◆鎌倉五山第5位 浄妙寺

円覚寺から渋滞巨福呂坂を抜け、杉本寺杉本城の東方にある浄妙寺にやってきました。
門前の案内板


源頼朝に従った足利吉兼公がこの付近にを構えたので一門お寺史跡がかたまっており、足利氏の鎌倉での本拠地といえるところです。
浄妙寺本堂

往時は多くの塔頭が建っていたようです。
鎌倉の語源になったと云われる鎌足神社も境内にあり。
足利貞氏公墓所

浄妙寺墓地の一角にあります。
石窯ガーデンテラス、延福寺跡、直義公墓所へ!

少し進むと延福寺跡と思われる場所があります(現在は浄明寺内)。
石窯ガーデンテラス前

ココも円福寺跡か?
ココから正面右手へ1段下ったところもお堂を建てるには充分なスペースがあります。
延福寺跡にある直義公墓所

鎌倉で「やぐら」と呼ばれる、3つの横穴墓が見えてきました。
前方にはお堂が建っていたのでしょうか?
足利直義公墓所

哀しい兄弟喧嘩の史跡。
延福寺跡は足利尊氏の弟の直義幽閉され亡くなったところ(一説に毒をもられたとも・・)。
石窯ガーデンテラス

この洋館貴族院議員の自宅として大正時代に建てられたそうです。
店内

こちらは落ち着いた雰囲気のレストランになっています。石窯で焼いたパンの販売も!


以上はすべて浄妙寺内。
浄妙寺 地図 (浄妙寺駐車場のところ)
◆足利直義邸跡 (大休寺跡)

足利直義菩提を弔うために建立したが、正確な場所は不明です。
一般に浄妙寺の西で熊野神社参道の下部辺りが大休寺と云われていますが、よくわかりません。

また、「新編鎌倉志」の絵図からおおまかなに推察できますが、熊野神社の参道が現在は付替えられていないか? とか判断が難しいところです。

足利直義邸跡 地図 (この辺りか?)



JR 横須賀線「鎌倉」駅下車、東南東へ2km 徒歩27分。
 或は、鎌倉駅からバス「浄妙寺」バス停下車、徒歩3分。

近くには、西に杉本城。 東方に鎌倉府が存在した。 北には公園化された頼朝建立の永福寺跡がある。

2017年5月9日火曜日

鎌倉の 円覚寺 舎利殿 特別公開(えんがくじ しゃりでん:神奈川)

神奈川県鎌倉市山ノ内409
参道

G・W 5/3~5/5日の3日間、鎌倉五山 第2位円覚寺で 舎利殿特別公開されたので来てみました。
三門、仏殿を通り過ぎ奥へ

右手の方丈ではG・W中だけ抹茶を楽しみながら庭園を眺めることが出来ます。これで権力者の気分になれるかも!?
大方丈・書院前の庭園

妙香池と共に夢窓疎石 作庭と云われる。 方丈へあがらなくてもこの写真の様に眺められます。
妙香池

創建当初からの絵図に基づき、旧に復しました。岩盤は「虎頭岩
いよいよ特別公開の舎利殿へ

拝観料金を払いをくぐったところ。舎利殿を間近でみるのは今回初めて、 かなり前に門の間から遠目に見た記憶はあります。
国宝 舎利殿

舎利殿なのでお釈迦様遺骨が納められているとばかり思っていましたけど、が納められているそうです。
舎利殿の軒

初代舎利殿は焼失し、
その後の戦国時代後北条氏三代目氏康公が、鎌倉の他の寺からココに移築したのが現在の建物です。
仏日庵

円覚寺開基であり、若くして亡くなられた8代執権 北条時宗公の参禅の場であり廟所です。

入山料とは別に拝観料 ¥100。
抹茶所望の場合(落雁付き)は ¥500也


次は、五山第2位の浄妙寺、円福寺跡ナドへ!

Link
円覚寺 H・P
仏日庵 H・P

円覚寺 地図
JR 横須賀線「北鎌倉」駅下車、降りてすぐ南
駐車場:あり 円覚寺駐車場1H/¥600
トイレ:あり

2017年5月6日土曜日

第53回 小田原北條五代まつり 2017(ほじょうごだいまつり:神奈川)

神奈川県小田原市城内 付近
初代、北条早雲公(合田雅吏さん)

富士山陣場から小田原城 北條五代まつりに移動しました。

着いたら 凄い人出で常盤木門の石段を並んで登るほどの混雑! 五代まつりには数回きていますが、これは初めてです。
小田原城馬廻り衆

後北条氏の旌旗をみると気分が高揚しますねー!
さて、この中に「がありますが、これは禅にある「鑊湯無冷処」で、
煮えたぎる釜の湯には冷たいところが無い! = 何事も全力で当たる! とゆうことのようです。
4代目、北条氏政公(高嶋政伸さん)

大河「真田丸」で北条氏政役だった高嶋さんですが、ニコニコと好感度アップです!
風魔忍者隊

前回Blog富士山陣場の西方風祭(かざまつり)にある風間谷(かざまだに)に風魔(ふうま)が住んでいた云われています。
本丸、天守も賑わっています

今回は堀を渡る馬出門前で見学しましたが出遅れてイイポジションを確保できず、頭や柵ばかり写って写真が撮れずでした~↓
北條六斎市(於:二の丸)

パレード前の腹ごしらえ!
これも祭りの楽しみの一つ♪

小田原城 地図 (出陣式舞台付近)

2017年5月3日水曜日

富士山陣場 或は 板橋城(ふじやまじんば:神奈川)

神奈川県小田原市板橋
箱根板橋駅から箱根方面

きょうは、まつりにきたので、まずは小田原から箱根登山鉄道で一つ目「箱根板橋」駅から富士山陣場にやってきました!
箱根板橋駅前から陣場を眺める

改札を抜けると国道1号線が走り箱根方面を見ると富士山陣場が目の前。 この先の「上板橋」交差点を右折。
←左、石垣山一夜城。 ↑直進、富士山陣場。 

石垣山一夜城前身小田原城支城笠掛山城と云われています。同様に富士山に北条方のがありました。
小田原合戦豊臣方細川幽斎忠興父子が攻め取り細川軍陣場となりました
「私有地です」看板

私有地なので(登城路も私道)あまり気儘には歩かず、上の浅間神社へお参りがてら見学には注意を払いました。
いよいよ陣場へ!

ココは、跡か帯郭跡とおもいましたが自信なしです。
陣場西寄り土塁状遺構


らしくなってきましたが、二重堀ナドなかったのでしょうかね~?
一段上ると平場が!

全体的に遺構は、土塁はモチロンの形状も判別できます。
ただ、過去に耕作地として改変されていなければの話ですが・・・
更に奥から上の写真の平場を見下ろす
あちらこちらに平場が・・・

主要なの下段には平場があるので帯郭があるようです? これらは藪のため全体像が掴みにくくなっております。
富士山から降りてきました

次は板橋口を経て「まつり」に向かいます。


過去Blog Link:
2015/5/30 箱根古道を制する湯坂城 と 早雲寺
2014/10/19 第30回 一夜城まつり
2014/10/28 石垣山一夜城

富士山陣場 地図
箱根登山鉄道箱根板橋」駅下車、西北西に徒歩17分
駐車場:なし
トイレ:なし

近くには、南南東に石垣山一夜城御所山城。 南東に湯坂城がある。

2017年4月21日金曜日

「屏風に遊ぶ 春のしつらえ」泉屋博古館分館(いずみやはくこかん:東京)

東京都港区六本木1-5-1
先日の小机城まつりは行われたようですが自宅周辺が雨だったのでパスしました!!
その代わりではないですが、泉屋博古館分館で開催の「屏風に遊ぶ 春のしつらえ  5/7(日)迄」へ行って参りました!

まづ地下鉄「青山一丁目駅」下車、泉ガーデンタワーアークヒルズ・サウスの間に設置されたエスカレターから分館へ向います。
チラシ裏面

屏風茶道具新収蔵品ナドが展示されています。

その中でも目玉は寛永3年(1626)に徳川秀忠、将軍家光の招きに応じた後水野尾天皇行幸を描いたのが「二条城行幸図

貴族が乗る牛車の沿道には、いつも威張っている武士平伏し その後方には遊山気分庶民が描かれており。その対比が興味深いです。
他にもありますが今回は手短にします。
次回は「名刀礼賛 もののふ達の美学(6/1~8/4)」


因みに博古館分館旧住友会館で、本館は京都鹿ヶ谷にあります。 もっと言えば住友屋号泉屋です。

Link :泉屋博古館東京分館(住友コレクション)


過去BlogLink:
2015/8/8 二条城part1
2015/8/8 二条城part2

博古館分館 地図

*2019/4/21編集中!

2017年4月8日土曜日

「弥生時代の 大塚・歳勝土遺跡」過去blog再構築

2014/8/15付けのBlog「弥生時代の大塚・歳勝土遺跡」はエラーを起こして未完成だったので再構築しました。


さて、
明日4/9(日)は 茅ヶ崎城大塚・歳勝土遺跡から南南東へ直線4km程に小机城があります。そこで小机城址まつりが催されるので行くつもりですが、空模様がハッキリしないので心配です。

過去blogLink:
 2016/6/1 小机城
 2012/8/1 茅ヶ崎城

2017年4月3日月曜日

江戸、薩摩藩上屋敷(さつまはんかみやしき:東京)

東京都港区芝2-21、3-10、3-21、3-23、3-34、4-1、5-7 付近
少し前になりますが薩摩藩上屋敷跡に行ってきました。


JR「田町」駅と芝公園の中間辺りの日比谷通り都道409号線)を挟んだ両側が薩摩藩上屋敷で、幕末の動乱焼落ち、それが元で鳥羽伏見の戦いが起こったとされる戊辰戦争での因縁の地でもあります。
案内板アップ

跡地は再開発され、そこに含まれるセレスティンホテル三井信託銀行芝ビルの狭間に造られたビル群の中の遊歩道「薩摩の小道」があります。
ガラス面に屋敷図をあしらったオブジェ

薩摩の小路庭園をイメージした流水があり、その傍らには幾つかのオブジェがあり屋敷をイメージさせます。

夜のオブジェ


夜になるとこのように光ります。
上屋敷の北

この通り沿いにが繋がっていたとおもわれる所。
案内板をみると、道を隔てたNTT三田ビル側も「嶋津修理太夫77万石」となっているので、同屋敷地であるようです。
上屋敷北から南を見る

NEC敷地はギリギリ薩摩上屋敷跡ですが、NEC本社ビルが建っている辺りは池田伊勢守屋敷になります。
NEC本社の「薩摩屋敷跡」石碑

NEC本社北側の歩道上に石碑があります。
この辺りは庭園ですぐ南(NEC本社ビル)は敷地外になります。


案内板の図地図に照し合せると、地図上で屋敷地東側折れが続く道が確認できるので、また確認しに行こうとおもって
います。


過去Blog Link: 2017/1/5 水野監物邸跡 (近く)

薩摩藩上屋敷「薩摩の小道」 地図
薩摩藩上屋敷「石碑」 地図

JR 山手線、京浜東北線「田町」駅下車、北へ5分
都営地下鉄三田」駅「芝公園」駅下車、すぐ
駐車場:コインパーキング利用
トイレ :近隣のビル利用

近くには、北に増上寺 徳川家墓所。南東に水野監物邸跡。 南南西に江戸城無血開城 談判の地跡。 南南西に東海道高輪口木戸跡。 北東に芝離宮