2012年10月1日月曜日

江戸城外堀。溜池、赤坂-喰違門 (ためいけ、あかさか-くいちがいもん:東京)

東京都千代田区永田町と紀尾井町

以前に虎ノ門付近の石垣ナドをアップしたので、そこから続く、溜池->赤坂御門(赤坂見附)ー>弁慶濠ー>喰違門ー>真田濠までいきます。

○溜池( 埋められ池は消滅 )
 文科省の辺りから赤坂御門の間ので、一部が瘤のように大池となっていたところ。
昔、わたしが溜池にあるレストランでバイトをしていたとき、都市型集中豪雨にみまわれ、お店の前を通る外堀通りに周囲から雨水が流れ込み、みるみる溢れ、ついには池となってしまい、お店の床上数cmまで浸水して休業になってしまったことがあり、そこが溜池であったコトを思い知らされました。


 ●赤坂門(赤坂見附)
ココ一部ですが立派な石垣が残っております。

  国道246号が真横を通り、弁慶壕に面している石垣の下には首都高速のトンネルが口を開けています。
なので、これらの工事で、よく破壊されなかったものだと感心してしまいます。

ココは、首都高速4号線新宿から上ってくると、トンネル直前の頭上に石垣が眺められます。




 ○弁慶濠 南の赤坂御門から喰違門までの間にある
貸しボート屋さんがありボートから釣りをしている人も見掛けます。
ココも首都高速4号新宿線に沿っているので走行中にチラリと眺められますが、運転手さんよそ見しないでくださいね

●喰違門 (喰違見附とも)
 外堀通りの「紀之国坂」交差点を曲がるとそこが喰違土橋で、その土橋を渡った先で入路を曲げているので、喰違門の名の由来となっており、その土塁も残っています。
台地上の高い位置にあるため、徳川氏が防御のため築城初期構築したので枡形を持たず、長い土塁を曲げて築いた古い形態であるようです。 
ここで妄想、 箱根山中城ナドの後北条の城によくみられる、土橋を渡り、を通過してから長く曲げた土塁進路を制限する虎口に似ているような・・・  <-しつこいようですが妄想です!

  埋められ上智大学真田堀グランドと東京メトロ(地下鉄)丸の内線「四ツ谷駅」となっており、もちろんJR中央線と総武線も濠の中です。

○真田濠
JR「四ツ谷」駅前には四ッ谷見附石垣がありますが、またの機会に!
*水色に着色したところの水面はもう少し低いかとおもわれます。
*注 通常、城郭は外堀ですが、江戸城の場合では外濠とされます。

江戸城外堀に関する過去blog
江戸城 外堀石垣 虎ノ門付近

赤坂御門(赤坂見附) 地図
東京メトロ半蔵門線、南北線、有楽町線「永田町」下車、9A出口すぐのところ
喰違門 (喰違見附)地図 
JR中央線、総武線、東京メトロ 丸の内線「四ッ谷」駅下車、南南東へ
東京メトロ 半蔵門線、南北線、有楽町線「永田町」駅下車、9Aから北西へ

近くには(赤坂御門中心として)、北に大久保利通遭難の地、四ッ谷見附石垣。南の文科省周辺には虎ノ門石垣群。

2012年9月21日金曜日

第38回管絃祭 乃木神社 (かんげんさい:東京)

東京都港区赤坂8-11-27
 今回はネタではなく、、
9月20日に行われました管絃祭です

今年は乃木神社 御祭神100年祭記念でもあります。

 この9月で、乃木夫妻明治天皇崩御に殉じて100年 
2012年は、いってみれば大正100年になります。



チョット疲れがでて、心地よい音曲で寝そうになったのは内緒です~~~
舞楽の写真をアップしたかったのですが撮影禁止でしたので、観覧者退場の曲だけ撮らせてもらいました。来年2013の管絃祭は10月に!


さて、演目は・・・

 乃木の舞、 乃木将軍の天皇に対する忠誠(まこと)が謳われています。
管絃
 林歌、 高麗から伝わりました。
 陪獹、 聖武天皇の御世に伝えられました。
 舞楽
 振鉾 鉾を振って勇ましい(適当ではないかな?)舞。
 左方賀殿、 仁明天皇の御世に藤原貞敏が唐より持ち帰った。
 右方古鳥蘇、嵯峨天皇の御世に伝わった。
最後に
 長慶子 源博雅 作と伝わる曲で送られ観客退出。

乃木神社 Link 乃木神社に隣接する乃木公園には、ご夫妻が自決した屋敷があり、命日にあわせて公開もあるそうです。 
乃木神社 地図
東京メトロ 千代田線「乃木坂」駅下車 1番出口の前
駐車場:近隣のPへ
トイレ :あり

近くには、北北東に高橋j是清邸跡(高橋是清翁記念公園)。 南方の六本木ヒルズと毛利庭園の周辺は長府藩邸の屋敷跡で乃木希典の家は長府藩士でした。因みに赤穂浪士の一部がこの長府藩邸にお預けとなりココで終焉をむかえています、

2012年9月19日水曜日

小田原城 御用米曲輪 第4次発掘調査発表会 (おだわらじょう ごようまいくるわ:神奈川)

神奈川県小田原市城内900番3外
 もうすぐで一月経ってしまいますが、去る8/18に本丸の東側にある御用米曲輪で行われた現地説明会にいってきました。
 早めに到着したので、まずは小田原駅近くにある北条氏政公、氏照公のお墓参りナドをして、ブラブラと大手方面へ廻ってから

現場へ到着!

説明会開始まですこし時間があったので現場の写真を撮りつつ事前調査(笑)をし、集合場所へ・・・


 ●江戸時代の遺構
土塁上にの跡がみつかり 一間6尺5寸(1.9695m)ある礎石が出たので、絵図とほぼおなじ位置に建物が建っていたことが確認されました。資料では蔵となっていますがこれは多聞櫓と考えて差し支えないと思います。 また、葵の紋入りの瓦がでています。
 そして今回の注目の瓦を重ねて積み上げた瓦塀は、発掘現場の土中からでるのは珍しいそうです。

それとは別の場所に、帯状の溝に瓦がビッシリ埋まっているところがあり、学芸員の方に溝いっぱいに割れた(故意に割った?)瓦を詰め込んだものは何でしょうか?
と問えば排水施設ではないかと申されていました。時代聞き忘れ


 ●戦国時代の遺構
江戸時代遺構の下には戦国時代(後北条)の礎石建物跡がでています。これは大きな屋敷や会所などではないか? とのことです。
掘礎石の1間(礎石間)は6尺2寸5分(1.89cm)とゆうことで、京間より狭く、江戸間より広い建物になり、
八王子城でも同サイズの建物跡がでている ので、この時代の東国の建築像がみえてくるそうです。 ごっそり掘り返して御主殿の威容を妄想してみたいとおもうのは自分だけでしょうか??

それと、前回の説明会時には障子堀もでています。
野球場の造成や駐車場への転用ナドで遺構は壊滅的なのではとおもっていたのでナカナカいいものが残っていて満足です!
ココからは北条関係の遺構もまだまだでてきそうですね♩

御用米曲輪(江戸時代):江戸へ送る御用米の倉が建っていたので御用米曲輪と呼ばれています。
明治時代には宮家の御用邸ー>野球場ー>発掘調査(S54年)ー>駐車場ー>そして発掘とゆう経緯です。
他にも、本丸御殿は将軍の宿泊所のため小田原藩主は二の丸以下を利用していました。 
お茶を将軍様献上するための御茶壺道中の御旅所とでもいいますか、お茶を納める御茶壺曲輪もあります。

北条氏政公、氏照公墓所 地図
御用米曲輪 地図
JR東海道新幹線東海道線。小田急線、箱根登山鉄道小田原」駅下車 700m 6分
駐車場:線路脇に市営P、周囲にコインPあり
トイレ:あり

2012年9月9日日曜日

桔梗濠石垣修復 完成間近 (ききょうぼりしゅうふくいしがき:東京)

東京都千代田区大手町1
簡単に報告だけ・・・

以前から工事風景を何度かアップしていますが、
三の丸 桔梗濠沿いの巽櫓と大手門間で行っていた石垣修復工事はもうすぐ足場が取れそうです。

あとは大手門の修復がいつ行われるかですね。

最近、桜田門前の桜田濠で工事がはじまっているようですが工事概要はよく分かりません。
*2012/9/21桜田濠は石垣修復工事のようです。

以前のBlog
2012/8/3将門公首塚・酒井家上屋敷
2012/3/29 江戸城大手門。修復なったが・・・

2012年9月8日土曜日

佐原から江戸崎へ (さわら、えどさき:千葉、茨城)

千葉県香取市佐原イ
茨城県稲敷郡江戸崎

●佐原
凄まじい夕立にみまわれた香取神宮からほど近い佐原まできたが雨止まず、
街中を傘を求めウロウロしてから駐車場に着くと、
あれ? 雨上ってるー!?
 ガクッときましたが、佐原の町並みをのんびり歩けたし、一時はあまりの雨に諦めようとおもっていたのでよしとします。



 佐原には自分が尊敬する人物のひとり 伊能忠敬がいますが、忠敬の家は佐原の商家で、隠居してからの日本全土を歩き地図を作成する行動力は凄いです!
いまみても忠敬の地図はうつくしいですね。
今回は残念ながら、伊能忠敬旧宅は震災の影響で見学不可、被害が大きかったらしく屋根にシートが掛かっている状態でした。
 他にも、東日本大震災で被害でブルーシートが掛けられた家屋がちらほらと見受けられ、運河を埋立てた所に建てられた鉄筋建築の基礎下部が見えてしまっているところもあり地震の凄さを物語っていました。
一日もはやい復旧を切望します。

伊能忠敬記念館HP伊能忠敬旧宅 地図
JR成田線「佐原」駅下車 南東へ500m
駐車場:数ヶ所あり
トイレ :記念館ナドにあり





●江戸崎城
江戸崎土岐氏の本拠、のち佐竹氏の城になったが「関が原の戦い」絡みで廃城。
城域は、北の江戸崎中学校から瑞祥院、鹿島神社、江戸崎小学校を含み南の市民研修所あたりまで!
思い通りに予定が運ばず、時間に余裕がなくなりました、期待されている方はいらっしゃないと思いますが、今回の江戸崎城は遠景のみで失礼します。

江戸崎城 地図
電車より高速バスが便利。

佐原、江戸崎ともに霞ヶ浦・利根川をりようした水運の町で、
蝦夷・東北から船で太平洋を南下して来航、更には利根川利用で江戸まで物資が運搬できる要衝でした(利根川を霞ヶ浦に付け替えたのは徳川ですが・・・)。
豪族、大名や城を知るには物流、産業から!(情報・財力) とおもっていますので時間切れで諦めずに寄ってヨカッタです。

2012年8月22日水曜日

香取神宮にある要害 遺構 (かとりじんぐう ようがい:千葉)

千葉県香取市香取1697(神宮のところ)
 前々回、前回の鹿島から香取にやってきました。
 神宮無料駐車場から参道産物屋さんの間をぬけ、鳥居をくぐった先を左に登る要石道があります。そこを登る上がると香取要害です。
主郭らしきところに土塁や、周囲には腰曲輪ナド削平地が散見されます。
  土塁平場を有しており、荒れた時代は、当然、神社仏閣武装自衛しなければならなかったでしょうから城郭と捉えても問題なさそうですが・・・

見ようによっては神社仏閣によくある 建物のための削平地と、社殿お堂或いはナドを守るための施設にもみえます?
城郭体系6によりますと、香取坊山砦 として紹介されており、一時はお寺長吉寺になっていたようです。
個人的に・・・
城址と併せ神社仏閣もよく廻りますが、寺院平場も郭にみえてしまうこともあるし、廃寺に至っては城址にいるような錯覚に捉われるようなところもあります。 小領主自衛する村単位でのナド多々ありますが、廻っていると考えすぎて判別が難しい場合が多々あります。
また、道路を走っているとふいに丘が数基並んでいるところに出くわし、これは土塁か?か?と調べてみると古墳であったりします。 お城のことばかり考えていると耕作地すら曲輪にみえてしまいますのでシッカリ調べていきたいところです。

ただ、城郭とおもって訪れているので写真はその気で撮影しています。
拠りどころとなる資料不足で微妙なレポートですみません!  

このあと神宮でお参り、宝物館に寄っている間に雷雨に襲われしばらく身動きがとれなくなり、イカズチ(雷)の神に見送られて佐原、江戸崎へと廻るのでありました。

香取神宮HP 
香取神宮 城・砦遺構 地図 東関東自動車道佐原香取IC」を降り、北西へ1km
JR成田線「香取」駅下車、南南西へ
 同じく成田線「佐原」駅下車 バス利用
東京」駅から関鉄グリーンバスで「香取神宮前」下車、徒歩5分
駐車場:無料P (参道入口)
トイレ :あり

2012年8月18日土曜日

鹿島市にある 館山城 (たてやまじょう:茨城)

茨城県鹿島市鉢形
 ココは、鉢形にある館山城とゆうややこしい名です。
場所は鹿嶋市役所の南南東方向で、光福寺の南200mのところにある鷲神社のところになります。
台地と切り離すような(天然地形か?)があり、期待して神社に登ってみると、
掘り残し状の土壁があり、これは土塁にもみえますが実はなんとも微妙な感じです。

また、神社裏山土取りが為されているようで遺構は壊滅的のようです。なので社殿の後ろは高くなっているが大きくエグられているらしいです。

帰りがけに南方に下り、そこから眺めるとの雰囲気は十分なんですけどね・・・ 

館山城 地図
JR鹿島線「鹿島神宮」駅下車 南東へ4km
駐車場:なし
トイレ :なし
近くには、南東に800mで粟生城。 北西に鹿島城