2023年8月28日月曜日

土浦市の 木田余城(きだまりじょう:茨城)

茨城県土浦市木田余1211-4
木田余城

JR常磐線が城址の中心部を貫いています。
 しかも車両センターの中に城址碑があるので見るコトが出来ません(案内板は道路際にある)。
このJRに申込んだら見られるのでしょうか??

案内板の正面

コチラも推定城域ですが一面の蓮田になっている。
案内版

小田氏の家臣信田伊勢守であるが主家不仲となり菅谷氏(土浦城)によって誅殺された。

小田城を奪われた小田氏治土浦城やこの木田余城ナドを一時拠点として活動しました。
案内板拡大

航空写真(1979年)を見ると車両基地は無く、城址碑のところは耕作地のようです。
第一浅間下踏切

城址案内板から200mほど北寄りの踏切を渡ったところ!
線路は盛土らしいので道路も同様にスロープにされたかと思います。
踏切手前の蓮田は堀跡か?

web検索すると堀跡と紹介されており、確かに案内板地図の道路と照らし合わせるとそこにが存在しても良さそうです。

近くに旧城主 信田氏の供養塔があるようですが今回は寄れませんでした。


JR 常磐線「土浦」駅下車、北北東に徒歩23分(案内板)

駐車場:なし 案内板撮影だけなら路駐できる。
トイレ:なし

近くには、北東に土浦城移築門。南西に土浦城がある。

2023年8月21日月曜日

土浦城 ②外まわり(つちうらじょう ②そとまわり:茨城)

茨城県土浦市
搦手門跡
茨城県土浦市中央1-12
搦手門跡

現在は埋められ更地だが、かつてのはに囲まれた外枡形になっていたようである(左手が内側)。
搦手門跡の碑

他所では城址碑案内版は本来の場所からズレて設置された所が良く見られるが、土浦城の場合はおおよそ合っているようである。







大手門
茨城県土浦市中央1-10
大手門跡

大手門跡は土浦小学校の南端にあたり縄張図を見ると大手は枡形を形成していました。
大手門碑・案内板

枡形で90度折れる構造であったのでこの辺りには土塁が廻っていたかと思います。
大手門碑から城外方向

正確な位置は分かりませんが、正面道路が大手土橋跡と思われ、道はこの辺りで鉤の手に折れていたようです。




西曲輪
茨城県土浦市大手町13付近
小学校を含む周辺が西曲輪

土浦小学校の塀は城郭風
博物館第2駐車場から郁文館正門へ向かう

手前は西曲輪に当たると思われます。
この辺りに西曲輪の堀が廻っていたようです。




藩校 郁文館 正門
茨城県土浦市文京町3-1
郁文館門正門

郁文館師範学校ナドを経て土浦第一中学校となっています。
正門の部分

昭和46年(1971)に解体修理が施されています。

案内板

1廃城後郁文館は利用されていたようですが昭和10年(1935)に解体され正門のみが残りました。




神龍寺
茨城県土浦市文京町1-7
神龍寺

菅谷氏の菩提寺
三の丸は埋められ寺域は拡張しているようです。

菅谷氏は西国赤松円心の流れを汲むようである。

西門
茨城県土浦市中央1-15-33
郁文館正門の辺りから西門跡

郁文館正門を過ぎると右に神龍寺、その先に西門跡があります。
西門跡

西門の外にはかつては丸馬出があった。
西門の跡石碑

目立たない所に西門の跡碑がある。





土浦城 移築高麗門
土浦市木田余3140付近
移築門

木田余城から1kmほど、
土浦市内JA水郷つくば の販売所「サンフレッシュはすの里」の裏手に高麗門が移築されている。
家の方がいらっしゃれば声をかけて撮らせていただきたいところですが、サッと写真だけ撮ってきました。




まだまだ見落とした所がありそうなので時間を見付けてまた来たいとおもいます。


JR常磐線「土浦」駅下車、
駐輪場:あり
トイレ:あり

近くには、南南西に木田余城。南西に土浦城がある。

2023年7月31日月曜日

土浦城 ①中心部(つちうらじょう ①ちゅうしんぶ:茨城)

茨城県土浦市中央1-15 (博物館第1Pのところ)
博物館脇から

土浦市立博物館令和6年1月まで大規模改修のため第1駐車場と共に利用出来ません。そのため東櫓を公開しているようです。

※クルマは第二駐車場へ!
博物館脇から本丸西櫓

このは後世に架けられたのモノで、は改変されています。
本丸側から振り返る

この先の博物館角の辺りは三の丸
本丸内から西櫓

元和6~7年(1620〜1621)の建築。
コノ西櫓昭和24年の台風で小破し、解体保存した部材を使い復旧
本丸土塁から内側

本丸は野球が出来そうな広さ。
霞門外から

霞門外枡形を形成、本丸進入路は太鼓門とコノ霞門の2ヶ所。
※博物館側は後世のもの
霞門

は旧来のモノです。
連なる東櫓復興のようです。
霞門部分

木材の継ナド年代を感じます。
東櫓

再興された東櫓
東櫓内部

現在、特別公開中
立派な建築です。

西櫓の鯱

博物館側にある西櫓にあがっていた
東櫓展示

瓦葺き、壁構造木組み模型ナドが飾られています。
東櫓2階窓から

の向こうはが建っていました。
二の丸土塁でへだてられていたが、のスペースは二の丸に内包されるようです。
太鼓門

再建される前は土浦城と云えばこの太鼓門でした!

太鼓門前から前川口門

太鼓門外は二の丸
見えている本丸二之門(前川口門)の間はのスペース。
二之門跡(移築 前川口門)

土塁の手前は
撮影者後方は外丸
堀跡と思われる所


右は外丸
二の丸西側

現在は直線に改変されていますが横矢をかけるため土塁には折れがありました。
この他 随所に折れが存在したようです。
太鼓門前の案内板より

かつては霞ヶ浦に面した水城の様相であったと想像できます。







JR 常磐線「土浦」駅下車
駐車場:あり
トイレ:あり

近くには、西に高井城。東北東に木田余城。北東に土浦城移築がある。

2023年7月3日月曜日

宇治川太閤堤跡(うじがわたいこうづつみ:京都)

京都府宇治市菟道丸42(歴史公園の茶ずな のところ)
お茶と宇治の町歴史公園

前回の先陣争いの碑から宇治川をっ渡って宇治川太閤堤の野外展示があるお茶と宇治の町歴史公園まで足を伸ばしました。
 

写真はは京福電鉄宇治」駅から徒歩1分ほどのところ。
石出し①

先のところから公園に入って行くと川の流れを緩める石出し①がある。
左先に石出し②

進むと、
・左、石出し②
・中央、丸山古墳(菟道稚郎子尊宇治墓)と浮舟宮跡
・右手、ちゃずなはレストランやお茶の石臼で挽きナド体験型情報発信施設
石出し②

石出しはほぼ90m間隔です。
黒い幕は茶畑の日除け。
石出し③前の碑

更に進むと石出し③の近くに宇治川太閤堤跡があります。
石出し③

コチラは平面復元されています。
石出し③案内版

見る角度によっては素通しの案内板と現物を重ねて見られそうですが傘をさしながらの撮影なので確認していません。
展望デッキから石積みと石出し④

ココが一番広くデッキから石積石出し④松杭がを一望できます。
石積みの案内板

案内板の絵の様に当時は土手上を歩いたようです。
宇治川太閤堤の整備案内板

遺跡は土中にと保護されています。
復元された松杭

なかなかリアル。

石出しは、構築されて間も無く宇治川の氾濫で埋もれたので良好な状態で発見されました。
石出し④案内板

他の3ヶ所石出しのみですが公園北エリアでは護岸石積から突きだす石出しが見られます。

案内板

太閤堤:豊臣秀吉伏見築城と共に城下へ水運を集めるために宇治川巨椋池周辺に築いた
以前訪れた伏見城の舟入りは思ったより高い位置にあったのは川の水位がもっと高かったのか? 或は もっと堀下がっていたのだろうか??(上流に天ヶ瀬ダム)
 
太閤堤槙島堤小倉堤ナドがありますが、今回訪れたのはどちらにも属さない2007(平成19年)に発見された宇治川太閤堤となります。



京阪電鉄宇治」駅下車、北へすぐ
JR 奈良線「宇治」駅下車、北東へ徒歩12分
駐車場:有料あり
トイレ:あり

近くには、西に槇島城。北東に伏見城。南東に日の出山城