2020年11月26日木曜日

安芸市 土居廓中武家屋敷(どいかちゅうぶけやしき:高知)

■土居廓中武家屋敷

□野村家(無料公開)
高知県安芸市土居994
野村家

安芸城(安芸土居城)へきたら城下の土居廓中武家屋敷を廻らなければいけません!!
野村家の門

案内板によると野村家は五藤家の重臣で与力・騎馬として仕えた家で建物は幕末の建築であるそうです。
門を入ってすぐ右側の塀重門

敵の襲撃に備えて門の内側の左右に塀重門があり枡形の様な構造となっています。
門の左側の塀重門

門を入って左側にある別の塀重門です。
また住宅の玄関は三畳ほどの広さで有事の際に刀を抜いて立回りができない仕様になっています。
建物内から塀重門越しに表門

外の門と塀重門の位置関係。このサイズで枡形の機能を有しています。
南側

南面し庭が存在したようです。
侍が文机で書き物をしていそうな佇まいがありました。
野村家室内

一家5人以上であれば手狭なように感じましたが他に付属する建物が有ったのかも!?
もちろん、道沿いの長屋や蔵に使える建物があるので中元や女中さんの住まいはありそうです。
台所

流石に流しは後の時代のものでしょう!?
野村家から安芸城

安芸城まで直線で200mほど。




□土居廓中武家屋敷群
この先は堀端

現在の土居廓中武家屋敷は40軒ほど残っています。これらが全て江戸期の建築であるか?は未確認です。
土居廓中武家屋敷

武家屋敷には土用竹の垣根が多くみられ当時の雰囲気が守られています。
茅葺のお宅

本来はこの様な茅葺の家が立並んでいたと思われます。
土居廓中武家屋敷から安芸城

ココは城の西側に当たります。
もっと武家屋敷の写真を載せたいのですが殆どが個人宅なのでこのくらいにします。



土居廓中 MAP(野村家のところ)
土佐くろしお鉄道 ごめん・なはり線「安芸」駅下車、北へ徒歩27分
 *「安芸」駅にある「ぢばさん市場」に無料レンタル自転車あり。
駐車場:歴史民俗資料館ナド
トイレ:歴史民俗資料館ナド


2020年11月16日月曜日

土佐 安芸城 或は 安芸土居城(あきじょう:高知)

高知県安芸市土居953-イ(歴史民俗資料館のところ)
安芸川沿い県道29号線から安芸城

蘇我赤兄の子孫が国人化した安芸氏が居城としたところが安芸城。と云われています。
(城主は安芸氏→長曾我部元親の弟 香宗我部親泰→山内一豊の家臣 五藤氏)
この辺りから先が廓中(城下武家屋敷)

遠くからでも城の麓に城郭建築風の書道美術館が見えるので城跡への目安になります。
西側から堀・土塁

奥の土橋のところが追手土橋。
追手門跡(大手)

追手は枡形となっております。
同じく県内の高知城でも大手は追手となっているので追手で統一します。
土橋を渡ります

追手門跡は立派な石垣で構成されています。
追手の案内板

山内一豊が入れた五藤氏時代の石垣が現在残っているようです。
五藤家安芸屋敷

追手を入ると五藤家があります。
この日は定休ではないのに閉ざされておりました。
伝統的保存建物群の案内板

五藤家安芸屋敷と廓中武家屋敷は貴重な遺構です。
資料館と美術館の間から東側の土塁

見てのとおり内側が石垣となっています(外側は土塁)。
 
資料館には五藤家家宝の矢じりが展示されています。
これは織田信長の朝倉攻めの際に山内一豊の頬に矢が刺さった時に五藤為浄が主人である一豊の顔を踏みつけて抜いた矢が興味深いです。
毒井戸

安芸vs長宗我部の抗争で矢流れ合戦で安芸国虎を破った長宗我部元親は国虎の安芸城を攻めました。その時に城内の横山民部を内通させ、民部はこの井戸に毒を入れて戦意を喪失させたと伝わっています。国虎は自刃し安芸氏は滅びます。
落城後に元親は弟の香宗我部親泰を入れました。
五藤氏を祀った藤崎神社

関ヶ原の戦の敗戦で長宗我部盛親の代わりに山内一豊が土佐国に入り その家臣の五藤氏が安芸を任されました。
登り口

本来の上り口なのでしょうか?
案内板

城の南から西に内堀を廻らせ、その延長の北にはの城ヶ淵が天然の堀となっていました。

外堀としては東側の安芸川、西側の矢の川が流れていました。
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三ノ段下部の石垣

五藤家安芸屋敷の背後には石垣があります。
三ノ段

三ノ段は狭く、先端が小山が櫓台では?と思います。
二ノ段

眺望が開けていて監視所として良し!
詰の虎口へ

ココが虎口跡のようです。
詰(本丸)

詰は建物を建てるナド充分な広さがあります。
ニノ段(虎口)側に土塁がありますが北ノ段側には土塁はありません。

北ノ段
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ココは三角形の曲輪で。北ノ段から詰に上る段差のところに石垣があります。
1
GoToキャンペンーン利用で

駐車場:追手の前に歴史民俗資料館・書道美術館利用者用駐車場あり(手前4台分)。
他には、歴史民俗資料館・書道美術館の東側の土居の外が駐車可となっています。
また、徒歩圏内の廓中ふるさと館にも駐車できそうです。



安芸市立歴史民俗資料館:大人¥330、9:00-17:00(2020/10現在)
書道美術館:大人¥330
 
*「安芸」駅にある「ぢばさん市場」に無料レンタル自転車あり。

安芸城 MAP 追手前の駐車場のところ
土佐くろしお鉄道 ごめん・なはり線「安芸」駅下車、東北東へ徒歩26分
駐車場:あり
トイレ:あり(資料館利用、廓中ふるさと館、野良時計駐車場利用)

近くには、北西に岩崎弥太郎生家。南西に浄貞寺(安芸国虎墓所)。西南西に矢流古戦場。東に姫倉城がある。

2020年10月26日月曜日

伏見城から移した血天井がある養源院(ようげんいん、ちてんじょう:京都)

京都府京都市東山区三十三間堂廻り町656
養源院正面

左が養源院で左に見えるのは勅使門、その先が南門(拝観口)。
左奥は後白河天皇陵と天皇縁の法住寺。
右側には三十三間堂(蓮華王院)、道路の先に見える門は一つ前のBlogの豊臣秀頼建立の南大門と太閤塀があります。
南門

目的の養源院は茶々(淀殿)が祖父 浅井久正・父 長政の追善供養のために建立。その後 焼失したが淀殿の妹 江の願いにより徳川秀忠が伏見城の殿舎を移築し再建しました。
南門の門扉

主要な文化財は、紺地着色松図、着色杉戸絵、像(重要文化財)
俵屋宗達の杉戸絵(象、唐獅子、麒麟ナド)
同じく宗達の障壁画(松)。
狩野山楽の襖絵。
庭園は小堀遠州の庭園です。
血天井の立札

徳川秀忠が再建した時に関ヶ原の戦いの前哨戦の伏見城の戦いで徳川方の主将  鳥居元忠以下の将兵が切腹して果てた血まみれの伏見城殿舎の床板を天井板に用い血天井として供養しました。
本堂

本堂(客殿)と護摩堂は伏見城の遺構。
 堂内の牡丹の間と松の間は伏見城の遺構ですが撮影禁止🚫なので写真は外観のみです。
本堂

中で拝観料を納めるとすぐ杉戸を見るコトができます。
杉戸絵や手形が残る血天井を暫く見ていると お坊さんが現れの解説が始まりました。

お話で「殿舎の床板の並びのまま天井に使用しています」、「ココが胴体で腕で・・・」ナドと教えてくれます、それを聞きながら黒ずんだ痕を見ると確かに420年前の人の姿が見えてきます。
 
血天井は思っていたより長くて本堂廊下部分の天井は正面と左右の面を合わせ全長88mもあります。
戦闘後の亡骸は8月~9月中旬まで伏見城内に放置されたと言われており当時の惨状を想わずにはいられません! 合掌

京都駅から市バス「京都駅」バス停-「三十三間堂前」バス停下車、南へ徒歩2分
駐車場:なし
トイレ:あり
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2020年10月25日日曜日

三十三間堂、豊臣家縁の 南大門と太閤塀、土佐志士寓居跡(なんだいもん、たいこうべい、とさししぐうきょ:京都)

京都市東山区三十三間堂廻り
南大門と太閤塀

豊臣秀吉は方広寺 大仏を建立する際に蓮華王院(三十三間堂)、養源院、法住寺を南限とし南大門と太閤塀を建設した。
南大門の正面東側の壁

流石、京都!と思わせる所
壁と住宅が接続しています。

南大門は豊臣秀頼が再建したものでこの短い壁が太閤塀かは不明。
南大門裏側から西側の太閤塀

門に連なっている塀が太閤塀です。
太閤塀

塀は塩小路沿い。
太閤塀の瓦

桐紋瓦はおそらく当時のものでしょう?!
蓮華王院(三十三間堂)内側

太閤塀の外側は道路ですが内側は三十三間堂の拝観料必要!
お堂の前を奥まで進むと太閤塀と案内板があります。
三十三間堂敷地内の太閤塀案内

太閤塀碑と案内板。
三十三間堂の1001体の観音様を拝んで帰ってしまいますが興味がある方は是非!!


南大門・太閤塀 地図 (南大門のところ)
京都駅からバスで「京都駅」―「三十三間堂前」バス停下車、南へ徒歩3分
駐車場:三十三間堂P(拝観必須)、 或いはコインP利用
トイレ:近隣の寺社利用


■土佐志士寓居跡
京都府京都市東山区新瓦町東組636-1
土佐志士寓居跡

石碑の正面に「此附近 坂本龍馬・北添佶磨など土佐志士寓居跡」
東面は「大仏(方広寺)旧境内南限」
西面には「池田屋事件もう一つの舞台地」
となっています。
土佐志士寓居跡銘板

龍馬はココに住んでいた縁でお龍と知り合ったと書いてある。

また 池田屋事件の際に京都所司代の役人がココに踏み込んだが龍馬は不在で助かったとなっています。



土佐志士寓居跡 地図 南大門から東へ40m

2020年10月6日火曜日

伏見城の遺構 洛翠の不明門(あけずのもん:京都)

 京都市東山区南禅寺下川原町67
不明門

前回に続いて今回も伏見城遺構です!
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「南禅寺前」交差点から白川通りを北へ、疎水記念館、京都市動物園を左に見て そこから80m進むと右側に門が見えて来ます。(南禅寺前交差点から不明門まで200m)
案内板

洛翠が立てた案内板。
小さいながらも品があり 伏見城の中でも御殿附近ナドに建っていたのでしょうか?? ナカナカ良い門でした。
白川通り沿いにある

この様に目立たないところに有るのでクルマで通り過ぎてしまいそう。
因みに不明門とは開けてないとゆうことのようです(或は不浄門であったか?)。

洛翠: 実業家の別邸として建てられ庭園は 小川治兵衛の作庭。
旅館や企業の研修施設になったりしていましたが現在は閉館中のようです。
見学が出来れば門を中から観察できるのだが・・・ 2020年に所有が譲渡されたようなので今後の公開に期待します!


地下鉄 東西線「 蹴上」駅から北へ、徒歩10分
駐車場:なし
トイレ:なし

京セラ美術館 小川治兵衛の庭+杉本博のガラスの茶室

近くの京セラ美術館に寄っ立ち寄ったので庭も観てきました。
この付近は要人の別邸が立ち並んだ地で無鄰菴、南禅寺、白河院庭園、京セラ美術館、平安神宮ほか多数の小川治兵衛の庭があります。