2020年10月25日日曜日

三十三間堂、豊臣家縁の 南大門と太閤塀、土佐志士寓居跡(なんだいもん、たいこうべい、とさししぐうきょ:京都)

京都市東山区三十三間堂廻り
南大門と太閤塀

豊臣秀吉方広寺 大仏建立する際に蓮華王院(三十三間堂)、養源院法住寺南限とし南大門太閤塀を建設した。
南大門の正面東側の壁

流石、京都!と思わせる所
と住宅が接続しています。

南大門豊臣秀頼が再建したものでこの短い太閤塀かは不明。
南大門裏側から西側の太閤塀

に連なっている太閤塀です。
太閤塀

塩小路沿い。
太閤塀の瓦

桐紋瓦はおそらく当時のものでしょう?!
蓮華王院(三十三間堂)内側

太閤塀の外側は道路ですが内側は三十三間堂の拝観料必要!
お堂の前を奥まで進むと太閤塀案内板があります。
三十三間堂敷地内の太閤塀案内

太閤塀碑案内板
三十三間堂の1001体の観音様を拝んで帰ってしまいますが興味がある方は是非!!


南大門・太閤塀 地図 (南大門のところ)
京都駅からバスで「京都駅」―「三十三間堂前」バス停下車、南へ徒歩3分
駐車場:三十三間堂P(拝観必須)、 或いはコインP利用
トイレ:近隣の寺社利用


■土佐志士寓居跡
京都府京都市東山区新瓦町東組636-1
土佐志士寓居跡

石碑の正面に「此附近 坂本龍馬・北添佶磨など土佐志士寓居跡
東面は「大仏(方広寺)旧境内南限
西面には「池田屋事件もう一つの舞台地
となっています。
土佐志士寓居跡銘板

龍馬はココに住んでいた縁でお龍と知り合ったと書いてある。

また 池田屋事件の際京都所司代役人がココに踏み込んだが龍馬は不在で助かったとなっています。



土佐志士寓居跡 地図 南大門から東へ40m

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