2020年11月16日月曜日

土佐 安芸城 或は 安芸土居城(あきじょう:高知)

高知県安芸市土居953-イ(歴史民俗資料館のところ)
安芸川沿い県道29号線から安芸城

蘇我赤兄の子孫国人化した安芸氏が居城としたところが安芸城。と云われています。
(城主は安芸氏→長曾我部元親の弟 香宗我部親泰→山内一豊の家臣 五藤氏)
この辺りから先が廓中(城下武家屋敷)

遠くからでも城の麓城郭建築風書道美術館が見えるので城跡への目安になります。
西側から堀・土塁

奥の土橋のところが追手土橋
追手門跡(大手)

追手枡形となっております。
同じく県内の高知城でも大手追手となっているので追手で統一します。
土橋を渡ります

追手門跡は立派な石垣で構成されています。
追手の案内板

山内一豊が入れた五藤氏時代石垣が現在残っているようです。
五藤家安芸屋敷

追手を入ると五藤家があります。
この日は定休ではないのに閉ざされておりました。
伝統的保存建物群の案内板

五藤家安芸屋敷廓中武家屋敷は貴重な遺構です。
資料館と美術館の間から東側の土塁

見てのとおり内側が石垣となっています(外側は土塁)。
 
資料館には五藤家家宝矢じり展示されています。
これは織田信長朝倉攻めの際に山内一豊の頬にが刺さった時に五藤為浄主人である一豊の顔を踏みつけて抜いたが興味深いです。
毒井戸

安芸vs長宗我部の抗争で矢流れ合戦安芸国虎を破った長宗我部元親国虎の安芸城を攻めました。その時に城内横山民部を内通させ、民部はこの井戸を入れて戦意を喪失させたと伝わっています。国虎自刃安芸氏は滅びます。
落城後元親は弟の香宗我部親泰を入れました。
五藤氏を祀った藤崎神社

関ヶ原の戦の敗戦で長宗我部盛親の代わりに山内一豊土佐国に入り その家臣五藤氏が安芸を任されました。
登り口

本来の上り口なのでしょうか?
案内板

城のから西内堀を廻らせ、その延長のにはの城ヶ淵天然の堀となっていました。

外堀としては側の安芸川西側の矢の川が流れていました。
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三ノ段下部の石垣

五藤家安芸屋敷の背後には石垣があります。
三ノ段

三ノ段は狭く、先端が小山が櫓台では?と思います。
二ノ段

眺望が開けていて監視所として良し!
詰の虎口へ

ココが虎口跡のようです。
詰(本丸)

は建物を建てるナド充分な広さがあります。
ニノ段(虎口)側に土塁がありますが北ノ段側には土塁はありません。

北ノ段
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ココは三角形の曲輪で。北ノ段からに上る段差のところに石垣があります。
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GoToキャンペンーン利用で

駐車場:追手の前に歴史民俗資料館・書道美術館利用者用駐車場あり(手前4台分)。
他には、歴史民俗資料館・書道美術館の東側の土居の外が駐車可となっています。
また、徒歩圏内の廓中ふるさと館にも駐車できそうです。



安芸市立歴史民俗資料館:大人¥330、9:00-17:00(2020/10現在)
書道美術館:大人¥330
 
*「安芸」駅にある「ぢばさん市場」に無料レンタル自転車あり。

安芸城 MAP 追手前の駐車場のところ
土佐くろしお鉄道 ごめん・なはり線「安芸」駅下車、東北東へ徒歩26分
駐車場:あり
トイレ:あり(資料館利用、廓中ふるさと館、野良時計駐車場利用)

近くには、北西に岩崎弥太郎生家。南西に浄貞寺(安芸国虎墓所)。西南西に矢流古戦場。東に姫倉城がある。

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