2010年12月31日金曜日

江戸城 外濠石垣 虎ノ門付近 (えどじょう:東京)

東京都港区霞ヶ関3-2 (外堀通り沿い)
虎ノ門辺りのは埋め立てられてますが、文部科学省建て替えの為に出土した石垣とその近くに残る石垣の角石(隅石)をみてきました。
①角石外堀石垣の名残り。


②角石文部科学省前の石垣ラインの中間にある石垣

「 文部科学省内に残る石垣は、江戸城を取り巻く外濠の一部で、寛永13年(1636)に江戸幕府が全国の大名を動員して築いたものです。今回、中央合同庁 舎7号館の建設にともなう発掘調査成果をもとに石垣を保存し、文部科学省構内ラウンジ前と地下鉄銀座線虎ノ門駅の新庁舎連絡通路内に発掘された石垣の全貌 が見える展示コーナーを設けました。」文部科学省のHPから
虎ノ門から東に伸びる石垣(これは新シ門に近いか?)もJRAビル(日本中央競馬会)建て替え時に出土。
その一部がJRAの手により世田谷区馬事公苑内に移設保存されています(写真は馬事公苑の石垣)。

*2020オリンピック(OLIMPIC)のため 全面改装をしているので入場不可。石垣が撤去されないコトを祈ります。
おおよそ位置関係






*2012/05/29追加
 ⑤日比谷セントラルビル移設石垣
⑥文化庁文部科学省の間にある石垣






虎ノ門付近の石垣 地図
東京メトロ 日比谷線・銀座線「虎ノ門」駅下車 徒歩0~3分
駐車場:周辺ビル駐車場利用
トイレ :  〃

近くには、北に牛込城、西に渋谷城、南西に白金長者屋敷、南に御殿山城

2010年12月10日金曜日

つづき。 世田谷城址公園 (せたがやじょうしこうえん:東京)

東京都世田谷区豪徳寺2-14-1
 前回に続き、世田谷城址公園(東京都指定文化財)内部です。 別名世田谷御所
城址公園舌状台地の最先端部にあたり、土塁とY字のが見所です!

周辺はすっかり宅地になってしまいましたが、
 豪徳寺を主郭跡とすると西と南は湧き水が噴出し低湿地(or田んぼ)が広がっていたようです。
城址を取りまく烏山川(暗渠)も小さな川ですが湧水が集まり渇水時期でもそれなりの水量があったと想像されます。
写っているのは近年の崩れ止め石垣で、城のイメージをつかむのには有効ですが、まったく色気がありません。 その世田谷城石材は江戸城築城のために持ち去られた と云われていますが、基本構造は土塁のはずですから、どれだけの石材が運ばれたのでしょうか ?
ともあれ、23区内にあって二重堀と土塁が確認できるだけで素晴らしいことだと思います。

世田谷城 地図 (世田谷城址公園) 公園の角は「世田谷城址公園」信号
小田急線豪徳寺」駅下車 南へ1km 13分
東急世田谷線 「宮の坂」駅下車 南東へ300m 5分。 「上町」駅下車 北東へ200m 4分
駐車場:なし 近隣のコインパーキング利用
トイレ :あり

世田谷城址公園外、住宅地の土塁 (せたがやじょう:東京)

東京都世田谷区豪徳寺2丁目 付近

きょうは世田谷城(豪徳寺)へ寄り道しました。

少し前に、住宅地の中に残る土塁に茂っていた木が伐られ、綺麗に整地されていて、もしや公園化か? と思いましたが、
整備工事がはじまる気配もなく放置状態となっていました。
もしかしたらマンションにでも化けてしまうのか? どうなるかちょっと心配でみに来ました

1枚目、世田谷城址公園背後に繋がる土塁豪徳寺山門から土塁まで見渡せるようになっています。
2枚目、1と同じ土塁の反対側、整備前後の比較。
3枚目、豪徳寺参道脇の土塁

世田谷城 地図 (豪徳寺)
小田急線豪徳寺」駅下車 南へ900m 11分
東急世田谷線上町」「宮の坂」駅下車 どちらも 400m位、5分
駐車場:なし コインパーキング利用
トイレ :世田谷城址公園にあり
近くには、北西に烏山城。北に赤堤塁。南には大場代官屋敷、もっと南に兎々呂城奥沢城。東に三宿城。南南西には瀬田城

追記:梅ヶ丘駅に行ったら新しい駅地図では ナント!
写真2,3のところが世田谷城址公園となっていました。 いよいよ公園域を拡張するのでしょうか?
いま暫らく様子を見ていきたいと思います。(2011/3/4)
続きを読む

2010年11月30日火曜日

御殿山城 (ごてんやまじょう:東京)

東京都品川区北品川4丁目付近
 太田道灌江戸城を築くまで、御殿山(長禄年間)に居城を構えていました。
後に 後北条氏の家臣鈴木氏居城として使用され、江戸時代には将軍家鷹狩の休息場として御殿を造営しました。
場所は、JR山手線大崎駅品川駅の中間くらいにあり、西から南にかけて目黒川が流れ、東側JR東海道線の東側は江戸湾(東京湾)に囲まれた台地要害な地形であったと想像できます。
残念ながら、幕末台場造営のための土取り、旧国鉄(JR)東海道線の敷設のために削られ見る影もありません。
御殿山ガーデン(↑の撮影場所ではない)下には樹木の生い茂った遊歩道があり、なんとなくではありますが 当時の雰囲気を楽しめる遊歩道になっています。

御殿山城 地図 (おおよその場所)
JR京浜急行品川」駅下車 南へ900m 10分。
JR大崎」駅下車 北東1km 13分。 京浜急行北品川」駅下車 南西に400m 5分。
駐車場:なし
トイレ :不明
近くには、北北西に白金長者屋敷。南西に馬込城。 東北東にお台場。 北に高輪原古戦場が ありあます。 沢庵和尚賀茂真淵板垣退助のお墓。

2010年11月14日日曜日

赤堤塁 又は 赤堤砦(あかつつみるい・あかつつみとりで:東京)

東京都世田谷区赤堤2
赤堤は知らないこともない地ですがの存在は大人になってから知りました
吉良氏の、世田谷城支城として築かれ、戦国期には後北条氏の傘下に入りましたから後北条氏の手によって改修も無きにしも在らずか? 江戸時代には旗本 服部氏領地となり、善性寺の周辺に陣屋が構えられました。
赤堤とゆう地名で よく言われているのは関東ローム層(富士山の火山灰)の赤土でできたがあったとゆう解釈が一般的(赤い堤土塁)です。
自分なりの考えられるのは、
1 善性寺六所神社に比べ微高地になっており地理的有利。
2 六所神社勧請天正12年跡に建てた可能性も拭えない。
3 どちらでもなく他所にあった(だとすれば、平地にを廻らした単郭館のようなものか?)

発掘以前に宅地化の波がきてしまったのでの場所はハッキリせず。 一般的にはお寺か? 神社か? となっていますが、自分は3の別物も有りかな? とも思います。
いずれにしても北沢川に沿ったどこかなのは間違いないでしょうが、今は北沢川もまっすぐな暗渠となり元の地形を想像することすらできません。

善性寺 地図 比定地1
小田急線豪徳寺」駅下車 北北西へ 200m 4分 善性寺まで
六所神社 地図 比定地2
世田谷線松原」駅下車 南南東へ 200m 4分 六所神社まで
世田谷城(豪徳寺)から善性寺(比定地1)まで直線距離600m、さらに善性寺から六所神社(比定地2)まで更に直線距離で400m。
駐車場:なし
トイレ  :なし(六所神社のトイレは祭礼以外は閉鎖のようです)

近くには、南南西に世田谷城。東南東に三宿城 。北西には烏山城あり。 これらは全て世田谷城の支城
*読みは「あかつつみ」「あかづつみ」のそれぞれの発音をする方がいらっしゃいますが、おそらく「あかつつみ」であろうと思われます。

2010年11月8日月曜日

杉並の 今川陣屋 (いまがわじんや:東京)

東京都杉並区 (桃井1、2丁目と上荻2、3丁目の境がクロスする所が八丁)
青梅街道
青梅街道の下り線の「荻窪警察署前」を右折
 杉並区今川とゆう町名があります。
これは今川義元から4代目の直房江戸幕府旗本(高家)として仕え、知行したところで、知行地は当時の井草村鷺宮村中村村(中村か?)で。土地面積八町歩あったので青梅街道八丁交差点にその名を残します。 遺構は完全宅地化により地名にのみ残っています。
明治維新を迎えた最後の当主 範叙嫡男早世したため明治になってから今川嫡流は絶えてしまいました。





*追記2015/10/4
今川氏真が駿府に居たころ、
北から武田、西から徳川からの圧迫を受けた氏真は城を支えられなくなり掛川城に移り、2勢力に抗しますが駿河国掛川城から室の実家である小田原北条氏政を頼り退去しました。

北条家の庇護を受けた氏真ですが、しばらくして徳川家康を頼ります。
この時期に長篠の戦い、諏訪原城攻めにも参加し、牧野(諏訪原城)城主となりますが解任され、
氏真はに京都に移り住みます。 ←京都へ移った理由は詳らかではありません!
そして品川に屋敷を与えられたようで、この陣屋(現・杉並区)は孫の高家となり範秀が営んだようです。
2015/10/9 品川の今川氏真の館 今川氏館 (品川区)

今川陣屋 地図 (八丁交差点のところ)
観泉寺 地図 (今川家菩提寺は氏真の孫 直房が建立)
駐車場:なし
トイレ :なし

近くには、南西に牟礼城。北西に石神井城。東には和田館。 離れますが品川区に今川氏真館品川氏館(今川一族)の伝承地あり。

2010年11月2日火曜日

本佐倉城 (もとさくらじょう:千葉)

千葉県酒々井町本佐倉 ・佐倉市大佐倉 国指定史跡
次は、京成佐倉駅から1駅の大佐倉駅が最寄りである千葉氏の佐倉城以前本城 本佐倉城へ!
北側の長く、深い東山の虎口を 頭上から攻撃されるさまを想像しながら進み、東山馬場の上の段に出るとずらりと並んだ千葉氏家紋入りの楯が出迎えてくれます。

そこからあちらこちらへ・・・
本城: 発掘成果に基づいて門跡塀跡建物などロープを張って示してあり写真付き案内板がるので、主郭全体の様子が一目瞭然。 
奥の山: いまは草地に。妙見社が祀ってあったようです。

倉跡: 東光寺ビョウからダラダラと階段状(小郭の連続)に登っているので要害性が無い。 或いは 後の削平か?
セッタイ山又はセッテイ山: 林となっています、周囲の堀は10mと深く見応え充分!
東光寺ビョウ:城内に寺があったのか? もしくは千葉氏関連の廟所があったのか? 現在、千葉氏所縁の東光寺酒々井町役場の南200mにあり。

荒上: いまは耕作地ですが周囲の土塁がよく残っており、南側に土塁折れが見受けられる。

向根古屋: この曲輪は岩槻城新曲輪のような本城域とは分断された出曲輪になっており、台地続きを大きなで分断し、馬出しによってに守られています。 物見台と思われる小山には祠があります。

縄張りも独特ですが、特徴のある地名も多く興味が尽きません、また機会があれば周辺の史跡もゆっくりまわってきたいと思います。

本佐倉城 地図
東山馬場駐車場のところ
京成本線
大佐倉」駅下車 0.8km 約11分(東光寺ビョウまで)

駐車場:無料 東山馬場のところ
トイレ :同じく東山馬場駐車場のところに一箇所

近くには、西には佐倉城。更に西へ行くと臼井城とその支城群があります。