2022年9月22日木曜日

日野市の 田村氏館(たむらしやかた:東京)

東京都日野市万願寺4-20-8
田村山安養寺

武蔵七党日奉氏の一族である田村氏の館があったと云われています。
山門

特に遺構は無いが安養寺田村氏との関連があるようです。
本堂案内板

建物は江戸時代のモノであるそうです。

多摩モノレール万願寺」駅の近くに土方歳三資料館(2022/11に休館予定)があります。


多摩モノレール万願寺」駅下車、西へ200m
駐車場:なし
トイレ:あり

近くには、南南西に高幡城。南南東に百草城。北北西に立河氏館。東北東に三田氏館がある。

2022年9月19日月曜日

日野市、土方歳三記念館(ひじかたとしぞうきねんかん:東京)

 東京都日野市石田2-1-3
多摩モノレール「万願寺」駅

台風➰🌀が近づいていますが、
土方歳三資料館2022/11月で休館するとゆうので日曜日に行って来ました!
曲がり角に土方歳三資料館案内板

この角を右折し100mほどで到着!
石田村名主 伊十郎屋敷長屋門

名主 伊十郎さんの家は土方家の分家だそうです。
この長屋門が見えてきたら隣が土方歳三生家資料館です。
土方歳三資料館前の案内板

上段
土方歳三生家の案内

下段
歳三佩刀 和泉守兼定の案内(市指定有形文化財)。

和泉守兼定拵のみ展示されていました。
刀身は2022/9/19まで福島県立博物館で公開されていました。
このあと2022/10/1~11/23まで京都文化博物館で展示されます。
土方歳三資料館

開館時刻の12:00頃。台風が近づいているにも拘わらず列ができておりました。
行列ももう少し!

歳三の生家は平成2年に建替えられるまで残っていましたが建替えを機に資料館を造ったそうです。
土方歳三像

雨で胸像がテカテカですが、、

歳三所用鎖帷子歳三が売り歩いた石田散薬 他ありましたが、残念ながら館内は撮影禁止🚫なので外側の写真だけです。
歳三手植えの矢竹

土方歳三が武士になりたくて矢竹(篠竹か?)を植えたと云われている!

庭の柘榴

開館日が限られているので行かれる方は注意してください!
資料館の休館は残念ですが、必ずしも閉館では無いのでまたの機会があれば良いなぁ と期待します。

この後、日野市役所近くの新選組のふるさと歴史館(日野市神明4-16-1)に行く予定でしたが雨が酷く今回は止めておきました。

多摩モノレール万願寺」駅下車、南南東へ徒歩3分(200m)
駐車場:近隣のコインP
トイレ:未確認

近くには、西北西に田村氏館。南西に高幡城。南南東に百草城。北北西に立河氏館。東北東に三田城がある。

2022年9月13日火曜日

北白川城 或は 勝軍山城、一乗下り松(きたしらかわじょう:京都)

京都府京都市左京区一乗寺松原町
「一乗寺町」バス停から瓜生山方面

北白川城勝軍山城瓜生山城とも呼ばれる・
写真右手の方(城の南)は近江滋賀里へ抜ける白鳥越え志賀越え道(山中越え)を抑える拠点かとおもいます。

一乗寺下り松を過ぎ狸谷不動院に向かう

まだ傾斜は弛いが城址がある瓜生山まで全てが登り!

この奥 右手に詩仙堂宮本武蔵所縁の八大神社があります。
狸谷不動院の自動車の祈祷所まえの絵図

この祈祷所を横目に通り過ぎ その先に参拝者用駐車場ある。

奥の院と書かれている所が瓜生山北白川城

宮本武蔵不動院の滝で修業したと云われています。
架造りの狸谷山不動院

この日は火渡り祭の当日で、護摩木運びナド準備に追われているようでした。
不動様ガン封じで有名らしい
奥の院へ!

この先は京都東山トレイルともダブる。

三十六童子めぐりのコースを上がって行くと北白川城に行けます。修験道の寺院らしく 場所によっては鎖場もあるようです(自分は通っていない!)
谷筋を登ると北へ伸びる尾根が見える

上方に土橋状の尾根が見えます。
ココはwebで幾つかの縄張図を見ると城域に入っていないようですが敵を狙い撃ちでき守りに良いポイントと思います(妄想)。
土橋状の痩尾根

上の写真の痩尾根に登りました。
※追記。歴史群像 No.176 (2022/12月号)の戦国の城【山城】北白川城塞群香川元太郎氏のイラストを見るとこの痩尾根城内を通過する白鳥越え道と推定されています。
この尾根瓜生山と逆方向に歩いて散策撮影したので別の城郭群に少々侵入していたようです。
郭域へ!

全体的に遺構が明瞭ではありませんが城域に入ってきました。
上の写真中央部とその奥の郭の境界の堀

を隔てるとみて間違いないでしょう!?
本丸(瓜生山山頂)

本丸は平らに均されています。
東山三十六峰9峰目の守りである幸龍大権現が祀られている。
瓜生山・北白川城案内板

は幾度となく争乱の舞台となりその度に拡張されていったようです。
足利将軍家細川畠山三好松永六角 他。
織田vs 浅井・朝倉の争いでは明智光秀が北白川城主となったようです。
お堂裏に勝軍地蔵を納めた石室

瓜生山(301m)の最高所はこの石室のようです。

ココに安置されていた勝軍地蔵像は、瓜生山勝軍地蔵山北白川幼稚園の辺り→現在は禅法寺に移されている。
本丸西側の郭

下方にが連なっています。
本丸に戻り東側の郭に下る

広くないが重なっている。
土橋状の痩せ尾根まで戻る

ココへ行く前に地図+航空写真を見る限り不動院瓜生山はそれ程離れていなかったのであまく見ていました!

バス停から城址がある瓜生山頂まで全て登りで、更に真夏の京都は厳しく流石に北白川城郭群全体は諦めました~
よって今回は中心部のみの散策でした。

時代とともに改修・拡張さながら利用され続けたので広範囲に城域が広がり最低4~5ブロックにも及ぶ城郭群となっています。
一部しか廻っていないので歩きやすい季節にゼヒ来て全体把握したとおもっています。

京都市営バス京都バス一乗寺町」バス停下車、狸谷山不動院まで徒歩20分、更に20分で瓜生山
駐車場:狸山不動院参拝者用あり
トイレ:あり

近くには、周辺に北白川城城郭群。北北西に宮内少輔城。南に大山出城中尾城如意ヶ岳城。北東に一乗寺山城。北北東に雲母坂城。西南西に下鴨城がある。


◆一乗寺下り松
京都府京都市左京区一乗寺町花ノ木町
一乗寺下り松
 
地名はかつて此付近に一乗寺が存在しました。
宮本武蔵vs吉岡道場の決斗の候補地の1つ。
足利尊氏vs楠正成の係争で楠正成本陣を置いたところでもあります。
詩仙堂:徳川家康譜代大坂の陣戦功をあげる抜駆けの為叱責され牢人浅野家に士官するも致仕詩仙堂に隠棲し文人となる。


下り松の木は現在5代目。
一乗寺は中世に廃寺となっている。

2022年8月18日木曜日

下鴨城 と瀬見の小川復元(しもかもじょう、せみのおがわ:京都)

京都市左京区下鴨泉川町
瀬見の小川を再現した流れと下鴨社参道

賀茂川高野川に挟まれたいわゆる鴨川デルタの内にある下鴨城(河合城)です。 城域は糺の森の南部にあたる河合神社とその南外側と云われている。

鴨川高野川合流点は当時と現在とであまり変わっていないようです。糺の森の中には瀬見の小川を含む小川が幾筋も流れていたので防御力はありそうです。
下鴨城(瀬見の小川復元)案内板

永禄年間に攻め寄せた三好松永方に対し下鴨城を守備する六角方が勝ったとされています。

文献には「鴨川の出口に城を立つる事(室町殿日記の巻10)」、「十条坊、磯谷等鴨川の頭に一城を築きたてこもり(陰徳太平記、巻三九)」。これらから鴨川、高野川合流点に近い河合神社周辺に築かれたと思われています。

案内板

発掘では平安時代~江戸時代水路の跡井戸土器ナドが出土している。に関する出土物は無いが、瀬見の小川を復元したと書かれています。




京阪本線叡山電鉄出町柳」駅下車、北へ徒歩7分
駐車場:下鴨神社or近隣の駐車場へ
トイレ:なし

近くには、東に中尾城、大山出城。東北東に北白川城、北東に宮内少輔城がある。

2022年7月17日日曜日

シンポジウム「戦国近江と六角氏の城」(せんごくおうみとろっかくしのしろ:東京)

東京都渋谷区神園町3-1
シンポジウム会場

国立オリンピック記念総合センターで行われた、
滋賀県主催のシンポジウム 近江戦国史 Ⅷ
-「戦国近江と六角氏の城」に行ってきました!
2022/7/17
レジュメ

全3部からなっており、
①近江の戦国時代
所用で遅れてあまり聞けなかったのが残念!!

②六角氏の巨大山城 観音寺城
観音寺城から眺めが利き、中山道や逢坂の関方面の動きが読めたようです。

まだ観音寺登城したことがなく、お話で気になる点が幾つもありました。
時期をみて行きたいと思います。 ←巨大過ぎて全山廻れるか不安?!

新幹線から見える部分の石垣を下刈りナドして整備中とのコトです。

③清水山城と高島七頭の城
高島七頭高島郡南部割拠した7家(多くは佐々木氏流)。

大溝城朽木谷以外にも、清水山城には畝状竪堀がある、ナド見逃せない城館が多数あるとのコトなのでユックリ廻ってみたいです。


会場から新宿方面

最後に、
今回初参加ですが、滋賀県シンポジウム東京で聴講できるなんて感謝しかないですね!!



2022年6月20日月曜日

赤坂に移築された岡崎藩 上屋敷表門(おかざきはんかみやしきもん:東京)

東京都港区赤坂4-10(山脇学園の北角)
牛鳴坂から

この牛鳴坂大山街道(R246、青山通り)の旧道のようです。 登った先の山脇学園敷地に大名屋敷表門移築されています。
桜の時期に訪れました

丸の内屋敷が在った時にはの両脇に120mほど長屋が連なっていたそうです。
門の両袖に番所が付いている

良く整備されていて今でも門扉を開放できて学園の門としても機能している。
案内板

何度か門の持ち主が変わり最後に山脇学園に渡る。同学園の千葉県の宿舎で保存していたが平成26年にこの地へ移築されました。
変遷は山脇学園H・Pに載っています。
丸の内大名小路の岡崎藩上屋敷跡

元々は、東京都千代田区丸の内大名小路、写真矢印の東京中央郵便局周辺に存在した岡崎藩5万石老中主座本多忠民屋敷の表門でした


東京中央郵便局 MAP (岡崎藩上屋敷跡)
東京メトロ 丸ノ内線、銀座線、半蔵門線「赤坂見附」駅下車、出口Aから南西へ徒歩5分
東京メトロ 千代田線「赤坂」駅下車、北西へ徒歩7分
駐車場:近隣のコインパーキング
トイレ:なし

近くには、北東に江戸城赤坂見附。東に星ヶ丘城。北に喰違い見附。西南西に高橋是清翁記念公園(高橋是清邸)。南に今井城がある。

2022年6月7日火曜日

川崎市の 作延城(さくのべじょう:神奈川)

神奈川県川崎市高津区下作延5-10-25
霊園入口にある事務所前の案内図

JR 津田山駅南口からへ向かって登ると霊園事務所前にこの案内図があるのでココで確認すれば迷わず城址碑まで行けます。
※注 北向き図ではない!
登ってくるとY字路に作延城の方向案内がある!

事務所から少し登ると矢印案内板が見えてきます。
上の写真の矢印案内拡大

案内板の指示
に従って城址碑に向かいます。
城址石碑が見えてきました

ココには石碑案内板がありますが大きく造成されているので城の雰囲気は無いです!
作延城址碑

遺構は無く この城址碑のみです。
作延城址 案内板

本文には、これらは鎌倉を守る防衛ラインで、鎌倉時代稲毛三郎が築城したものでると書かれています。

2022年現在の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」ですが案内に出てくる妙楽寺源頼朝の弟である阿野全成お寺です。
地図部分拡

川上から大丸城小沢城寺尾城枡形山城、この作延城ナドが多摩川・多摩丘陵防衛ラインのようです。
また、多摩川(東京方面)を監視するためJR南武線を隔てた反対側の丘に郭か出丸があったと推察します。
城址碑から90mほど南から

城址南方の眺め往時の雰囲気を感じられるか?
現地に居るより城らしく見える!

平瀬川尾根下の暗渠になっているので川の推定ラインを入れてみた。

丘陵地尾根を堀切ればそれなりに要害になるのか!?
発掘報告書でもあれば助かるのですが・・・
霊園の下の段

ココが城域分からないが雰囲気がある。



過去BlogLink


作延城 地図(石碑の所)
JR南武線「津田山」駅下車、南へ徒歩6分
駐車場:石碑の写真くらいなら路駐出来そう!?
トイレ:霊園で!

近くには、北西に枡形山城寺尾城小沢城。北東に瀬田城がある。