2021年8月16日月曜日

高知城3 獅子の段→杉の段→県庁前→搦手(こうちじょう3:高知)

◆獅子の段(梅の段)
本丸黒鉄門の前から西方(搦手)方面

獅子の段(梅の段)には何も残っていないですが、かつてがあり、黒門を出ると西の丸搦手へ下るコトができた。
*梅の段より獅子の段の方が引用例が多いので梅の段→獅子の段に修正しました。
獅子の段から本丸石垣

高知城3では、は北側の石垣の雰囲気が良かったので獅子の段杉の段から二の丸三の丸石垣追手門内堀沿いに搦手門跡へと廻ります。
獅子の段から廊下門櫓と西多門櫓

この石垣を見ると本丸へ攻められる気がしません。
獅子の段から二の丸乾櫓台

獅子の段のトイレ背後の石垣上にかつて二の丸乾櫓が建っていました。
二の丸北側の石垣

高知城には このような鈍角の隅石垣が散見されます。
綿倉門跡
跡は、この先の石階段の所ではなくこのスロープのとちゅにありました。
綿倉とは倉庫になっていた櫓門であろうか?


◆三の丸下(杉の段)
杉の段から三の丸石垣

綿倉門跡から下って来ました。
獅子の段もそうですが、曲輪の範囲が良く分からず? ココを杉の段と呼んで良いのか不安!?
証文蔵跡

北側下方を見ると証文蔵跡の案内板が見えます。
その背後の建物はトイレです。
こちらも三の丸石垣

写真では分かり難いですが、雨のためシットリした石垣が良い感じ。
三の丸北側の石垣

苔生した石垣。
同じく杉の段から

ココから左方に進むと山内一豊の妻像を経て追手門へ下る。


◆追手門、御馬場(現・丸ノ内緑地)
追手門を内側 

追手門まで戻ってきました!
撮影している所に塀でしきられていました。
トイレの向う側が御馬場跡。
追手門

土佐藩、表高20万4千石の門扉。
幕末の裏高は50万石近くの収入があったようです。
御馬場案内板

今は丸の内緑地となり馬場の存在は感じられません。
時代が下ると内堀の外に新馬場ができたようです(内堀跡西側地区のところ)。


◆下屋敷まえの内堀
内堀

思いのほか堀幅が狭いので道路ナドに取られたのであろうかと思います!?
下屋敷(現・高知県庁)

ココには御殿が立ち並んでいました。
県庁前の案内板

高知県庁からの登城路が無いので追手門搦手門跡へ廻る必要があります。



◆内堀跡西側地区
内堀跡西側地区

既に埋められてしまった内堀の位置を砂利で表現しています。
奥の山裾を進むと100m程で搦手門跡です。
内堀跡西側地区案内板

案内板によると発掘調査と古絵図から堀位置を確定したそうです。
古絵図入り案内板

もう一つの案内板には異なる時代の絵図を並べて表示されていて参考になるがそれぞれの絵図の方角がバラバラなので混乱するかも・・・



◆搦手門跡
致道館表門前から搦手門跡

ココは当時からある道のようで、90度右折して搦手門を通ります。
搦手門跡

のおおよその位置に赤線を入れてみました。こんな感じで櫓門が建っていたようです。
内側から搦手門跡

門はこの先で土橋で接続。先に見えている道路は水堀となっていました。

は無くなったのでピンときませんが石垣がいい感じに残っています。

搦手門跡 MAP


◆藩校 致道館表門(県指定重要文化財)
致道館表門

搦手門跡の目と鼻の先に吉田東洋が開いた藩校表門があり、現在は高知県立武道館となっている。
致道館表門の屋根

他にも、ココから北西方向に向かい江の口川を渡った先の小津高校の所に土佐藩 開成館移築門も残るが悪天候のため断念!
また、追手門近くに教授館跡があります。

案内図を基に作成

この日は風雨の中、傘をさしながらの登城だったので全体的に中途半端な写真になってしまったのが残念でした。

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◆桜馬場・外堀 *追加2021/9/4
桜馬場橋

搦手門跡から西の城西公園の所に架かるのが桜馬場橋です。
案内板によれば橋を渡ったところに二町三十三間桜馬場がありました
案内板

寛文9年(1670)の図をもとにしている。
桜馬場橋から南を見る

この後は龍馬記念館ナドを見に上町に向かいました。


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