2014年3月8日土曜日

2014/3/8 小田原城 御用米曲輪、第5次現地説明会

神奈川県小田原市城内900番3外
今回で説明会資料も7まできました。
前回説明会とカブるところもありましたが最後の説明会(第5次)なのでシッカリ見学してきました。

きょうのコース、
小田原港で市場定食を食し→板橋口→2年前に公開された三の丸外郭新堀土塁(小峰の大堀切下方)→報徳二宮神社参拝(小峰曲輪)→銅門→二ノ丸で開催「おひさまマルシェ」で地ビール小田原エールを一杯→現地説明会会場





 最近まで、御用米曲輪には(戦国時代~江戸時代)蔵が立ち並んでいたと思われていました。

 ところが、

戦国時代の層から礎石建物や井戸はゆうに及ばず、石組水路、石組の暗渠を通して池に水を落とす、石積み方形竪穴遺構、切石敷き庭園、石列、井戸、砂利敷き遺構、庭園跡ナド他の同時代の遺跡からは出土しないモノも多数発見されました
そこで、ココには 当主の隠居所、当主の嫡男クラスの館、 あるいは貴賓をもてなす迎賓館ナドいろいろな意見があるようですが、わたしは専門家ではないので、
そちらは研究成果を待つとして・・・

ここで妄想タイム!
この庭園の独特さの北条の宇宙観とでもいいますか、設計施工センスはたいしたもので、
氏綱公、氏康公、氏政公、あるいは幻庵さんあたりか? それ以外の方もモチロン可能性がありますが、
 総合プロデューサーとして、ある意味 織田信長や本阿弥光悦にも似た宇宙(世界)観をもった人間が北条家に居たとゆうところに後北条ファンとしてはココロときめくものがあります。初代 早雲は 大徳寺で禅を修行、その子 幻庵さんは天台宗の三井寺(園城寺)で修行、そういった流れを少しでも受継ぐものか?すごく知りたいところです。 小田原の文化の高さを垣間見ますね~!
もう東夷と呼ばせません!!
護岸ブロックやモザイク柄の切石遺構などとっても手の込んだ作庭なので、
庭好きのわたしは中へ入って多方向から庭や建物(御殿や蔵?)の位置関係を考えてみたくなります ←妄想々々


話はかわり 説明会で、、
前から気になっていた石組の側溝は、建物跡に沿っているそうで、屋根の軒下にあたる部分に雨水用側溝を設置したらしく庭園の水路ではないようです。

さらに、
案内の方が専門家の方に「他にこのような遺構はないのか? ときいてみたら、
 そりゃー 飛鳥池かローマしかないでしょう! 」  と反ってきたそうです。  笑

わたしは 「11/23小田原城 御用米曲輪、後北条氏の庭園調査説明会」のなかで、飛鳥あたりの石敷の苑池や平安期の石の浄土庭園の雰囲気が・・・
 と書いてみたものの 何を大袈裟な!といわれそうだと思っていましたからチョット安心です!


さて、
御用米曲輪で思いもよらぬ遺構が現れてから興奮覚めやらぬモノがありました,何回でもみたいのですが今回で御用米曲輪の発掘調査現地説明会は最後で、これから順次埋め戻し作業に入るのでこれで見納めです。

入口の書籍販売で、天守閣特別展の目録「よみがえる小田原城」と「北条氏年表。黒田基樹氏編」が特別価格だったので二冊仕入れてきました。 





2014/03/11もう少し写真アップします。






*2014/11/8 御用米曲輪 第6次の調査発表会が行われます。

過去Blog
12/21 本日は、小田原城 御用米曲輪 説明会。後北条氏の庭園 2013/12/21
11/23 小田原城 御用米曲輪、後北条氏の庭園 調査説明会 2013/11/23
小田原城 御用米曲輪 本日は開放、見学自由でした 2013/2/16
小田原城 御用米曲輪 第4次発掘調査発表会 2012/9/19



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