2022年10月25日火曜日

横須賀市の 観音崎砲台(かんのんざきだいば:神奈川)

神奈川県横須賀市鴨井 周辺
横須賀美術館

先月の9月になりますが横須賀美術館に「運慶~鎌倉幕府と三浦一族」展を見に行ったので観音崎砲台跡にも寄ってみました。
(同展覧会は現在 神奈川県立金沢文庫で移動開催中 2022/11/27迄)
公園案内図

美術館屋上から公園に出て東京湾、とりわけ横須賀軍港の守りの要である観音崎砲台を廻ります。

画像を回転し北を上にしました。






■ 三軒家砲台跡
砲台下の倉庫

地下倉庫弾薬庫か?
三軒家砲台跡

いい感じで残っていますね。
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3軒家砲台昭和9年に廃止されました。
本文は27㎝加砲となっているが、見取り図には24加砲と書かれているがどちら??
通路?倉庫?

横穴にを付けたもののようだ。
はじめ倉庫とみたが、碑の図を見ると通り抜け可能なようです。
三軒家園地

階段を上り中に進むと見張り台があったようです。





■ 北門第一砲台
北門第一砲台跡

昔来た時はもっと廃墟感がありましたが煉瓦ナド部分補修を施されていました。
北門第一砲台案内碑

第一砲台大正初期に廃止されたようです。
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24㎝砲2門が海を睨んでいました。
砲台の石積

周囲より綺麗な石積は後補のようにも見えるが当時物であろうか?
大砲基台は撤去?地中かな?
第一砲台通路

ココには付いていたのだろうか?2門の大砲間を行き来できる。
地下兵員室弾薬庫





■ 北門第二砲台
第二砲台全景

コチラはあまり整備されていません。奥には煉瓦トンネル
砲台跡

1
北門第二砲台碑

どの砲台案内もかすれて読みずらい!
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6門設置されていました。
6門中のうち4門の砲座が残されています。
第二砲台弾薬庫

倉庫には鉄扉が残っています。






■ 大浦堡塁
戦没船員の碑

場所が分かり難い場合は戦没船員の碑練習船進徳丸の錨を目指しトイレの辺りが砲台跡です。
大浦堡塁跡

石敷きモザイク模様砲台中心と思うが如何でしょうか??
大浦堡塁塁壁

トイレにちょっと寄っただけなら砲台跡と気づかないでしょう!








■ 南門砲台
南門砲台

左ギリギリのところが砲台跡!
観音崎自然博物館駐車場

観音崎自然博物館前の駐車場からすぐ”!




他の砲台は廻りきれなかったのでまたの機会に!


京浜急行馬堀海岸」駅下車、バス利用
京浜急行「浦賀」駅下車、「浦賀駅」~「観音崎」バスで13分
或いは、浦賀駅前からレンタサイクル(*スマホ登録必要)  利用で観音崎レストハウスまで15分


近くには、南西に浦賀城和田城新井城。南南西に三崎城。西南西に怒田城佐原城。西に衣笠城芦名城

2022年10月11日火曜日

日野市の 高幡城(たかはたじょう:東京)

東京都日野市高幡733(高幡不動のところ)
高幡不動駅から高幡不動に向かう

高幡山金剛寺、通称 高幡不動大宝年間以前から、或は奈良時代から存在する古刹である。

高幡城の記録はあまり無いようで、室町時代には存在したようです。その後は滝山城・八王子城主 北条氏照配下であったであろうかと想像されます。
仁王門

境内に入り五重塔の辺りから高幡山(標高130m)に登るとそこが高幡城
土方歳三像と近藤・土方顕彰碑

仁王門を過ぎると左手に土方像と顕彰碑が見えてきます。

近藤勇・土方歳三顕彰碑案内板

多摩の英雄2名の顕彰碑
前回Blog土方歳三生家はココから1.5kmくらい、新選組史跡廻りもできます。
高幡不動尊案内図

北に浅川、南には程久保川
八十八ヵ所めぐりのコースがある。現在は多摩丘陵自然公園の一部となっています。整備されていて山内は歩きやすいですが城跡の雰囲気は希薄です。
本丸虎口か?

本丸の一段下には平な散策路が続きます、改変はされているとは思いますが、これは郭跡と思って良さそうです。
本丸から堀越しに郭

本丸北の郭の間はとしても良いでしょう。
本丸内部

本丸は北に向かってダラダラと下るが内部は何段かになっていものが崩れたのかもしれない。
本丸の縁土の高まりは見られますが土塁なのかは分かりません。
本丸から眺望

国立府中方面か?
本丸南側から

後に開かれた階段に見えるが如何でしょう?
本丸の南下方の郭

この辺りはイイ感じで郭跡と思われる平場があります。
馬場

下に見えるのが馬場のようです。
かたらいの路(多摩丘陵コース)案内板

遊歩道を辿ると平山城址公園に行けます。
高幡不動名物 高幡まんじゅう

高幡まんじゅう屋さんはもちろん新選組押し!





京王線、多摩モノレール高幡不動」駅下車、西へ200mで高幡不動仁王門、そして高幡城へ
駐車場:参拝者用あり
トイレ:あり

近くには、南西に平山城。南東に百草城、関戸の天守台。北東に三田氏館。北に立河氏館。西北に滝山城がある。

2022年9月22日木曜日

日野市の 田村氏館(たむらしやかた:東京)

東京都日野市万願寺4-20-8
田村山安養寺

武蔵七党日奉氏の一族である田村氏の館があったと云われています。
山門

特に遺構は無いが安養寺田村氏との関連があるようです。
本堂案内板

建物は江戸時代のモノであるそうです。

多摩モノレール万願寺」駅の近くに土方歳三資料館(2022/11に休館予定)があります。


多摩モノレール万願寺」駅下車、西へ200m
駐車場:なし
トイレ:あり

近くには、南南西に高幡城。南南東に百草城。北北西に立河氏館。東北東に三田氏館がある。

2022年9月19日月曜日

日野市、土方歳三記念館(ひじかたとしぞうきねんかん:東京)

 東京都日野市石田2-1-3
多摩モノレール「万願寺」駅

台風➰🌀が近づいていますが、
土方歳三資料館2022/11月で休館するとゆうので日曜日に行って来ました!
曲がり角に土方歳三資料館案内板

この角を右折し100mほどで到着!
石田村名主 伊十郎屋敷長屋門

名主 伊十郎さんの家は土方家の分家だそうです。
この長屋門が見えてきたら隣が土方歳三生家資料館です。
土方歳三資料館前の案内板

上段
土方歳三生家の案内

下段
歳三佩刀 和泉守兼定の案内(市指定有形文化財)。

和泉守兼定拵のみ展示されていました。
刀身は2022/9/19まで福島県立博物館で公開されていました。
このあと2022/10/1~11/23まで京都文化博物館で展示されます。
土方歳三資料館

開館時刻の12:00頃。台風が近づいているにも拘わらず列ができておりました。
行列ももう少し!

歳三の生家は平成2年に建替えられるまで残っていましたが建替えを機に資料館を造ったそうです。
土方歳三像

雨で胸像がテカテカですが、、

歳三所用鎖帷子歳三が売り歩いた石田散薬 他ありましたが、残念ながら館内は撮影禁止🚫なので外側の写真だけです。
歳三手植えの矢竹

土方歳三が武士になりたくて矢竹(篠竹か?)を植えたと云われている!

庭の柘榴

開館日が限られているので行かれる方は注意してください!
資料館の休館は残念ですが、必ずしも閉館では無いのでまたの機会があれば良いなぁ と期待します。

この後、日野市役所近くの新選組のふるさと歴史館(日野市神明4-16-1)に行く予定でしたが雨が酷く今回は止めておきました。

多摩モノレール万願寺」駅下車、南南東へ徒歩3分(200m)
駐車場:近隣のコインP
トイレ:未確認

近くには、西北西に田村氏館。南西に高幡城。南南東に百草城。北北西に立河氏館。東北東に三田城がある。

2022年9月13日火曜日

北白川城 或は 勝軍山城、一乗下り松(きたしらかわじょう:京都)

京都府京都市左京区一乗寺松原町
「一乗寺町」バス停から瓜生山方面

北白川城勝軍山城瓜生山城とも呼ばれる・
写真右手の方(城の南)は近江滋賀里へ抜ける白鳥越え志賀越え道(山中越え)を抑える拠点かとおもいます。

一乗寺下り松を過ぎ狸谷不動院に向かう

まだ傾斜は弛いが城址がある瓜生山まで全てが登り!

この奥 右手に詩仙堂宮本武蔵所縁の八大神社があります。
狸谷不動院の自動車の祈祷所まえの絵図

この祈祷所を横目に通り過ぎ その先に参拝者用駐車場ある。

奥の院と書かれている所が瓜生山北白川城

宮本武蔵不動院の滝で修業したと云われています。
架造りの狸谷山不動院

この日は火渡り祭の当日で、護摩木運びナド準備に追われているようでした。
不動様ガン封じで有名らしい
奥の院へ!

この先は京都東山トレイルともダブる。

三十六童子めぐりのコースを上がって行くと北白川城に行けます。修験道の寺院らしく 場所によっては鎖場もあるようです(自分は通っていない!)
谷筋を登ると北へ伸びる尾根が見える

上方に土橋状の尾根が見えます。
ココはwebで幾つかの縄張図を見ると城域に入っていないようですが敵を狙い撃ちでき守りに良いポイントと思います(妄想)。
土橋状の痩尾根

上の写真の痩尾根に登りました。
※追記。歴史群像 No.176 (2022/12月号)の戦国の城【山城】北白川城塞群香川元太郎氏のイラストを見るとこの痩尾根城内を通過する白鳥越え道と推定されています。
この尾根瓜生山と逆方向に歩いて散策撮影したので別の城郭群に少々侵入していたようです。
郭域へ!

全体的に遺構が明瞭ではありませんが城域に入ってきました。
上の写真中央部とその奥の郭の境界の堀

を隔てるとみて間違いないでしょう!?
本丸(瓜生山山頂)

本丸は平らに均されています。
東山三十六峰9峰目の守りである幸龍大権現が祀られている。
瓜生山・北白川城案内板

は幾度となく争乱の舞台となりその度に拡張されていったようです。
足利将軍家細川畠山三好松永六角 他。
織田vs 浅井・朝倉の争いでは明智光秀が北白川城主となったようです。
お堂裏に勝軍地蔵を納めた石室

瓜生山(301m)の最高所はこの石室のようです。

ココに安置されていた勝軍地蔵像は、瓜生山勝軍地蔵山北白川幼稚園の辺り→現在は禅法寺に移されている。
本丸西側の郭

下方にが連なっています。
本丸に戻り東側の郭に下る

広くないが重なっている。
土橋状の痩せ尾根まで戻る

ココへ行く前に地図+航空写真を見る限り不動院瓜生山はそれ程離れていなかったのであまく見ていました!

バス停から城址がある瓜生山頂まで全て登りで、更に真夏の京都は厳しく流石に北白川城郭群全体は諦めました~
よって今回は中心部のみの散策でした。

時代とともに改修・拡張さながら利用され続けたので広範囲に城域が広がり最低4~5ブロックにも及ぶ城郭群となっています。
一部しか廻っていないので歩きやすい季節にゼヒ来て全体把握したとおもっています。

京都市営バス京都バス一乗寺町」バス停下車、狸谷山不動院まで徒歩20分、更に20分で瓜生山
駐車場:狸山不動院参拝者用あり
トイレ:あり

近くには、周辺に北白川城城郭群。北北西に宮内少輔城。南に大山出城中尾城如意ヶ岳城。北東に一乗寺山城。北北東に雲母坂城。西南西に下鴨城がある。


◆一乗寺下り松
京都府京都市左京区一乗寺町花ノ木町
一乗寺下り松
 
地名はかつて此付近に一乗寺が存在しました。
宮本武蔵vs吉岡道場の決斗の候補地の1つ。
足利尊氏vs楠正成の係争で楠正成本陣を置いたところでもあります。
詩仙堂:徳川家康譜代大坂の陣戦功をあげる抜駆けの為叱責され牢人浅野家に士官するも致仕詩仙堂に隠棲し文人となる。


下り松の木は現在5代目。
一乗寺は中世に廃寺となっている。

2022年8月18日木曜日

下鴨城 と瀬見の小川復元(しもかもじょう、せみのおがわ:京都)

京都市左京区下鴨泉川町
瀬見の小川を再現した流れと下鴨社参道

賀茂川高野川に挟まれたいわゆる鴨川デルタの内にある下鴨城(河合城)です。 城域は糺の森の南部にあたる河合神社とその南外側と云われている。

鴨川高野川合流点は当時と現在とであまり変わっていないようです。糺の森の中には瀬見の小川を含む小川が幾筋も流れていたので防御力はありそうです。
下鴨城(瀬見の小川復元)案内板

永禄年間に攻め寄せた三好松永方に対し下鴨城を守備する六角方が勝ったとされています。

文献には「鴨川の出口に城を立つる事(室町殿日記の巻10)」、「十条坊、磯谷等鴨川の頭に一城を築きたてこもり(陰徳太平記、巻三九)」。これらから鴨川、高野川合流点に近い河合神社周辺に築かれたと思われています。

案内板

発掘では平安時代~江戸時代水路の跡井戸土器ナドが出土している。に関する出土物は無いが、瀬見の小川を復元したと書かれています。




京阪本線叡山電鉄出町柳」駅下車、北へ徒歩7分
駐車場:下鴨神社or近隣の駐車場へ
トイレ:なし

近くには、東に中尾城、大山出城。東北東に北白川城、北東に宮内少輔城がある。