2018年7月19日木曜日

中久喜城 (なかくきじょう:栃木)

栃木県小山市中久喜43 附近
県道264からのアプローチ

前回の久下田城から栃木県中久喜城まで来ました。
この時点で18:30のため手早く廻りました。
曲輪Ⅱ

上の角を曲がると・・・
すっかり住宅となっていますが、案内板ではこの道の両側屋敷が建ち並んでいたと想定すると書かれています。
案内板と曲輪Ⅰの土塁

そのまま道なりに進むと石碑案内板が見えてきます。左の道を直進踏切を渡ればの南側も見学できます。
案内板

小山氏の祇園城鷲城と共に重要な拠点であったようです。
案内板から図の拡大

祇園城から東南東に4kmほどの所。
現在、城跡JR 水戸線南北に分断されています。
曲輪Ⅲから曲輪Ⅰ土塁

曲輪Ⅰ曲輪Ⅱ土塁も視界に入ります。

今回は早足でしたが、機会があれば曲輪居Ⅰの南側、曲輪Ⅱ土塁曲輪Ⅲの堀の窪みナドの痕跡探しもしたいとおもいます。

次は祇園城です!

中久喜城 MAP
JR水戸線「小田林」駅下車、西へ徒歩25分
JR東北本線、東北新幹線「小山」駅下車、東南東へ徒歩45分
駐車場:なし
トイレ:なし

近くには、西北西に祇園城。西に曲輪長福城鷲城。西南西に城。東に結城城がある。

2018年7月7日土曜日

水谷蟠龍斎の城 久下田城(くげたじょう:茨城)

茨城県筑西市樋口(主要部)
栃木県真岡市久下田(城下)
真岡鉄道踏切付近から

今回は、蟠龍斎こと水谷正村宇都宮領を狙う拠点として築城した久下田城です。
この写真を撮った辺りに外堀があったと思われます。
国道294号「久下田西7丁目」交差点から東へ850mの所

ココも城域とは思うけど、この先の突当りを右折、そして次を左折しないと1郭に辿り着けないので案内地図を建てて欲しい地点ですね。
土橋を渡ると1郭

恐るおそる入って来たを進むと1郭南西角の土橋に出ました。
2郭

土橋から今来た道を振返ると2郭一面の畑ですが、下の城址図を見るとで区切られもっと狭かったように見えます。

本丸に入ってすぐの案内図

南北に長い台地上で、東は五行川、西に離れて鬼怒川。周囲は湿地に囲まれた要害です。
GoogleMapでは県道の南側にある高見寺内戸児童公園南側堀跡のようにみえます。
城址碑

碑の文字近衛文麿の筆だそうです。
近くに社の跡がありますが東北大地震倒壊し他所へ移転したそうです。
前方は1郭北西角

正面には直線の土塁がみえます。
の向こうは2郭になります。
上の写真の右手の方向を見る

かつてのはもっと深かったのでしょうか?
1郭最高所

ココにナドがあったのかは不明?
1郭直下東側の堀

更に降りると、現在より城址側を流れていた五行川天然堀として機能していたようです。

見終えたときは既に18:00で、次に中久喜城に行く予定だったので2郭の堀や周囲を見学する余裕が無かったので1郭中心となりました。

*堀・土塁ナドがどれほど破壊されているか分からないため便宜的に1郭・2郭としています。

過去Blog:2009/3/22 水谷氏の城、下館城

㈱さむらい刀剣美術館刀剣・鎧兜展示(県道291号線の石碑から東に700m)

久下田城 MAP(県道294沿いの碑)
久下田城 MAP(本丸)
真岡鉄道久下田」駅下車、南東へ徒歩14分。北の踏切から回り込むと10分
駐車場:1郭にだが道幅狭し
トイレ:なし

近くには、北北東に八木岡城。北東に桜町陣屋。南に下館城。南西に結城城がある。

2018年7月6日金曜日

横浜市歴史博物館で小机城発掘調査展(こづくえじょう:神奈川)

神奈川県横浜市都筑区
前回に続き久下田城をアップする予定でしたが、横浜市歴史博物館小机城発掘展示'18/7/16(月)で終了するので先にアップします。

*常設展チケットが必要!
展示パネル
第18回東京オリンピックを控えた昭和39年(1964)の第三京浜道路開発での発掘調査成果展示です。
展示ケース

出土物常滑焼カワラケが多く出ているようです。
小机城図

いつも通っている第三京浜なんですが、破壊部分は勿体ないことをしました~!
第三京浜の向こう側に残る富士塚本丸(西曲輪)の間の状態がよく分かります。
本丸の折れがある塀

並びは不規則ですが屏風折れ塀の柱穴のようです。上の図で西曲輪となっているよころ。
道路による開削部分以外はよく残っているので大切にしていきたいですね。

過去Blog: 2010/6/1 小机城
2014/8/15 大塚・歳勝土遺跡
秦野市の菩提横手遺跡から

常設展前回廊で、発掘による「調査成果展示会」が行われています。新東名国道246号線建設に伴う発掘が多いようです。

その中の展示物の一つで3500年前の土偶をあげておきます。
高さは25cmあり、中空土偶なので これだけ残っているとは素晴らしい!
土偶顔面

空を見上げながら口を開けていてブタ鼻がユーモラスな土偶!?

*期間は7/3~7/8(日)迄で常設展の手前廊下なので「調査成果展示会」だけなら入場料はかかりません。
そういえば、国立博物館の「縄文-1万年の美の鼓動」に行かねば!!

横浜市歴史博物館 地図
横浜市営地下鉄 ブルーライングリーンラインセンター北」駅下車、南へ徒歩5分

近くには、東に隣接する大塚・歳勝土遺跡。 南に茅ヶ崎城。 東南に新羽城山。 東南東に篠原城。 南南東に小机城。 南西に佐江戸城。 北西に荏田城。 西北西に武蔵国都筑郡衙(荏田猿田公園)がある。

2018年6月29日金曜日

益子町の七井城 (なないじょう:栃木)

栃木県芳賀郡益子町七井
虎口パノラマ

幾度となく近くを通っている七井城なので勝手知ったる・・・ とから近づいたが、道がわかり辛く、一旦 西側へ廻込みクルマ一台分の路地を入ると程なく虎口が目に入ってきました。 駐車スペース確保が厳しいので今回はオートバイで正解でした!!
虎口に寄る

木が伐採されているのは史跡整備の為であろうか?
発掘の様子も無く、開発か? どうなるのか確認していませんが残った遺構を大事にしていきたいですね。
畑の奥には土塁が!

虎口の所から道路の反対側を見ると、畑の奥土塁が!!
こので農作業をされていたのでカメラを向けるのは気が引け、あまり写真を撮れなかったのが残念!
図は「益子町歴史文化基本構想(教育委員会)」を参考にしました

今回載せた写真は図中の虎口とL字型に残る土塁部分です。

益子氏から分派した七井氏のですが、現在は1部しか残っていませんが、の形状からみると方形館から拡張したようにみえます。
現在の立地をみると、七井城微高地にあり防御力が弱そうですが、北に小宅川、東に小貝川、南に大羽川に囲まれているので、3方を湿地に囲まれた要害とみても良いかと思います。

七井城 MAP (虎口のところ)
真岡鉄道七井」駅下車、北東に徒歩7分
駐車場:なし
トイレ:なし

近くには、南に益子城生田目城。南南東に益子古城がある。

2018年6月22日金曜日

真岡市の 東郷陣屋 (ひがしごうじんや:栃木)

栃木県真岡市東郷823 付近
県道61号線沿いの陣屋石碑

Blogの御前城から東北東へ1.6kmほど。
案内板

この案内板では何処が陣屋跡なのか判断できず?
できれば現況に沿った地図入りでお願いしたいところですね。
陣屋石碑と案内板

案内板によれば、幕末慶應4年(1868)に官軍の焼打ち焼失。そのため遺構はありません。
また、市内桜町陣屋附近で地域の復興に尽力した二宮尊徳ですが、東郷陣屋にも入ったそうです。


東郷陣屋 MAP
真岡鉄道北真岡」駅下車、東北東に16分
駐車場:なし
トイレ:なし

近くには、西南西に御前城。西に真岡城真岡陣屋。北東に七井城がある。

2018年6月20日水曜日

真岡市にある芳賀氏の 御前城(ごぜんじょう:栃木)

栃木県真岡市田町1256 付近
国道294号線「御前信号」から御前城

5月奈良京都、下旬は AirRace 第3戦 千葉
6月上旬は TwinRing茂木トライアル世界選手権観戦+GPコース体験走行。 と、モータースポーツづいていて更新が遅れがちでした。
TwinRingついでに幾つか城廻りしたのでアップしていきます。
城址主要部真岡東中学校ではなく、1枚目写真右側の住宅から切れている所と田圃の辺りですが、時刻は早朝4:00、エンジン音が響くのでサッ!と見てすぐにその場を離れたので撮りそこないました。
城址碑と案内板

中学校西側道路沿い城址碑があります。
案内板からの想定堀位置

案内板を参考にの位置を入れてみました。本来はを伴った土塁があったと思われますが見ての通り何も残っていません。

芳賀氏が源頼朝奥州征伐後従軍後に築いたので単郭館であったろうと想像します。 このでの恩賞でこの地を得たのかは不明!?
芳賀氏が真岡城に移った時に御前城廃城となったようです。

栃木県さくら市氏家に同名の御前城があるので注意!

御前城 MAP(案内板のところ)
真岡鉄道真岡」駅下車、東へ徒歩23分
駐車場:なし
トイレ:なし

近くには、東に真岡城真岡陣屋。南西に八木岡城。北東に東郷陣屋

2018年6月14日木曜日

奈良市高畑の史跡 頭塔(ずとう:奈良)

奈良県奈良市高畑921
西方院山城周辺を歩きながら頭搭へ!

奈良時代仏塔と思われる、国指定史跡 頭塔G・Wに特別公開されていたので見学してきました。
ホテルウェルネス飛鳥路から入る

特別公開時は自由に通れますが、当然 ホテルの宿泊者が居るので静かに通過! 駐車場は🈲利用禁止
頭塔の復元部を北東角から

各層屋根が葺かれていたようです。外周には木製デッキが廻っている。
案内板から1

30m x 30m x H10m ,7段版築で囲んだで、1面に11体4面で44体石仏が納められていた。
案内板から2

奈良時代日記土塔と書かれているが、平安時代に早くも玄昉の首塚であると書かれているそうです。 土塔(ドトウ)が訛ったのと玄昉の首塚説と併せ頭の搭(ズトウ)となったようです。
重要文化財の石造の1つ

仏様44体納まっていたが、現地では28体しか発見されていません。
その中に大和郡山城石垣の中に同様石像があり、どうやら石垣用材として頭搭から持ち去られたモノらしいです!?
上の石仏の拓本

拓本では中央に如来両脇持仏、下方に2持者がわかります。
南面の露天石仏

復元されていない部分は露天石仏が置かれている。
頭塔の南側

過去に発掘調査が為され、北半分の2面を復元、南半分は現状維持としている。
受付でいただきました

入場には¥300也の協力金が必要ですがリーフレットクリアファイルが付いてきます。
南側の門

通常 空いていません! 特別公開していない時は史跡頭塔保存顕彰会(FaceBookあり)」に申し出ればこの門から入れてもらえます。
*現在はホテルウェルネス飛鳥路受付しているようです(9:00-17:00)。

*類似の塔に大阪府堺市中区大野寺 土塔(国指定史跡)がある。

頭塔 MAP(ホテルウェルネス飛鳥路入口)
近鉄奈良線近鉄奈良」駅下車、南東に徒歩19分。
ホテルウェルネス飛鳥路前に「破石町」バス停あり(奈良交通)
駐車場:なし(南へ100mに、コインP有)
トイレ:なし