2017年3月12日日曜日

超・日本刀入門 静嘉堂文庫(ちょう・にほんとうにゅうもん:東京)

東京都世田谷区岡本2-23-1
静嘉堂美術館で「超・日本刀入門」開催中!
会期中の3/4のみ 刀匠鞘師研師、それぞれ3名の方の実演が行われたので、展示刀剣も魅力的ですが今回は匠の技を中心にみてきました!
早いもので前回の静嘉堂文庫で催された「サムライたちの美学」から5年経ちました。
今回も国宝の包永ナド見どころ多しですが、展示物撮影禁止なので実演紹介でいきます。

刀匠 コーナー

焼入れ時の土の塗り方、刃紋、その他モロモロ話が聞けたので、ヒジョウに勉強になりました。
原料の玉鋼や鍛錬された材

全体に、見て手で触れて、疑問点を質問すると答えてくれる形態になっていました。

鞘師 コーナー

鞘の削る自作道具や使用法詳しく説明。 
巾木弛み対処法の小技ナドを聞いてきました。

とくさのヤスリ

ペーパーヤスリと比べてをとり過ぎない(丸まらない)ナドの利点ナドを色々と教えていただきました。
ミニ鉋やら専門道具をみるのが楽しい♪

研師 コーナー

砥ぎは写真のように砥いだり、時には刃を斜めにしたり、さらには砥石を多数使い分けるので、砥石に関しての質問も多かったです。
私自身も、包丁キャンプ用ナイフを砥ぐのでいろいろ聞けて楽しかったですよ。
目の前で刀を・・・

は完全にはついてないようですが目の前に出されると緊張します。
ポスター 会期は3/20(月、祝)まで、あとわずか!

超・・・ 入門」とゆうことで、
刃紋地金の肌の部分が図示され、現物の二重波紋ナド特徴を見て分かるようになっています。
また、各部名称パネル展示もあり、文字通り チョーわかりやすい美術展となっています。

オマケ! 現在 所持中の刀

このBlogのどこかに子供の頃は剣道を習っていたと書きましたが、いい歳になってまた居合を習いたくなって購入したです。 ←忙しさにかまけて未だ未修得ですが・・・

わたしのはがれていない模造刀状態なので安全ですが、振ると良い樋鳴りがします!

Link:静嘉堂文庫美術館

過去Blog Link:
2012/3/10 静嘉堂文庫美術館の「サムライたちの美学
2012/3/15 伊木家武家屋敷門

東急電鉄 田園都市線、大井町線 「二子玉川」駅下車、北西へ徒歩17分



近くには、北北東へ徒歩4分で伊木家武家屋敷門。 南東に瀬田城。 北西に大蔵館。 西北西には喜多見氏館

2017年3月10日金曜日

六波羅探題から東福寺に移築された門 (ろくはらもん:京都)


紅葉通天橋で有名な東福寺ですが、重森三鈴作庭の方丈庭園を観賞がてら六波羅門他を見てきました。
●六波羅門(重文)

六波羅に存在した平氏邸宅跡鎌倉幕府が六波羅探題設置、そこから東福寺に移築されたものです。

このには足利尊氏探題を攻めた際の矢傷が残ります。
●勅使門(重文)

1594年(天正18)に賜った門

六波羅平重盛邸(小松殿)のとの噂もあるが、どうでしょう??


●月下門
亀山天皇から下賜御所から1268年(文永5)に移築。
六波羅門と並び寺内最古の部類建築。 写真なし



●東司 (重文。室町時代)

お坊さんが使った現存最古トイレ(雪隠)だそうです。
格子から東司内部

埋められたが埋められたような穴が便器
作務座禅ナドの合間に短時間で1列に並んで用を足すのでしょうね!?

東司から六波羅門

京都の街中から来ると北から入ることになりますが、この六波羅門南面の正規参拝ルートです。

少し離れたところに重文の浴室も残ります。

その他、
建仁寺 勅使門六波羅探題北門、或いは平重盛邸のとゆう伝承あり。


平安鎌倉時代六波羅邸六波羅探題遺構とすると俄然興味がわいてきました!
平氏邸宅の残りがそのまま六波羅探題になり、そこから東福寺建仁寺移築されたと考えるのはやっぱり短絡的ですかね~?!

六波羅門 地図
JR奈良線京福本線東福寺」駅下車、南東へ徒歩10分
市バス「東福寺」バス停下車、南へ徒歩10分
駐車場:あり 北門駐車場、東司前も駐車で来るようです(未確認)
トイレ:あり

2017年3月5日日曜日

北野天満宮 御土居 と 北野大茶湯 (おどい、きたのおおちゃのゆ:京都)

京都市
北野天満宮の御土居

船岡城大徳寺 聚光院龍源院北野天満宮参拝と御土居をみる為やってきました。
境内案内板

参拝してから御土居に向かおうとしたが入口がみつからず! 近くにいらした神職の方に尋ねたら「公開中の梅園から登れますが、料金が・・・」と案内されました。
北野天満宮北門附近の御土居

豊臣秀吉1590年(天正18)小田原合戦を終結させると翌、1591年(天正19)にの周囲に御土居を築き、その内側を洛中外を洛外としました。
御土居から出土した石仏(北門を出て天満宮北面の道路)

御土居は、低巾20m高さ6m総延長22.5kmにも及ぶ大規模なものですが、現代人の私でも想像できるように当時の都の人々からは大不評だったようです。
石仏アップ

天満宮を出て、この石仏から西へ30m歩き、右折して北へ100mほど行くと、約60mほどの御土居の別の残欠があります。
天神川(当時は紙屋川)

境内御土居公開中の梅園の一部となっていたのですね~
時間的余裕が無く梅園はパスしましした。人が少ないときにまた来ます。

太閤井戸と北野大茶湯之碑

太閤秀吉組立式金の茶室を持込み、千利休他、錚々たるメンバーがを披露しました。

天満宮駐車場にありますが、井戸の脇はバスが走り抜けます、1/28~3月下旬梅園公開観梅目的なのでしょう! 皆さん素通りです。


北野天満宮境 内御土居 地図 (案内板のところ)
天神の北方の御土居 地図 (約60mの遺構)
京福電鉄北野線「北野白梅」駅下車、案内板まで北東へ徒歩10分
駐車場:あり
トイレ :あり




2017年2月27日月曜日

応仁の乱 西軍の拠点 船岡城 (ふなおかじょう:京都)


東参道(建勲通)

船岡城は、応仁の乱が起こると、西軍の拠点として船岡山(標高112m)に築かれました。
言うまでもない話ですが、一帯に西軍陣を布いたので西陣の地名が残ります。
また、永正の錯乱のでも戦闘が行われました。
織田信長公を祀る建勲神社

平安京船岡山基準点として造営されたと云われ、清少納言枕草子で 「岡は船岡・・・」と書いてます。
グルリと囲まれた社殿裏の神域

中にナドが残るが神域のため入れない!
主郭一段下から

当時も同様の削平された平場だったのであろうか!?
主郭の辺りから北側に下りると堀が!

はじめて船岡山に登ってみて、
横堀と、山肌曲輪らしき段々の削平地がみられるのでこの状況が良く残ったものだと感心します。
堀まで降り東側を見る

横堀は長く残っていて、もっと深い堀があるようですが時間都合上みてません。
上の写真の反対側(西側)を眺める

ところで、
豊臣秀吉により勅許を受け織田信長公のをまつる天正寺造営しようとしたとき 或いは御土居構築したときに手を加えていないのか??
と、 Blogをつけていて ふと考えてしまいました。
現地案内から

青色→は撮影方向
南参道

● 応仁の乱 1468年(応仁2)
西軍 大内政弘山名教之vs東軍 細川勝元ら、 東軍に攻められ陥落。
● 永正の船岡山合戦 1511年(永正8)
船岡城を拠点とした細川澄元細川政賢vs足利義尹大内義興細川高国らが丹波から攻め上り勝利した。
船岡山南方にある船岡温泉

南参道を下ってきた先にあり、マジョリカタイルを使用したレトロな雰囲気の「キング・オフ・1010(銭湯)」
お勧めです! 通常15:00~、日曜は朝8:00~ 始業。


船岡城 地図 (主郭のところ)
京福北野線「北野白梅」駅下車、バス利用船岡山」or建勲神社前」バス停
地下鉄烏丸線「北大路」or「出町柳」駅下車、西南西へ 。バス利用「建勲神社前」または「船岡山」バス停下車

地下鉄烏丸線「鞍馬口」駅下車、西へ徒歩19分。

近くには、南西に北野天満宮に隣接した御土居、その北にも御土居と御土居地蔵。 北西に鷹峯御土居。 南西に聚楽第跡。 南に二条城がある。

2017年2月22日水曜日

左京区の 宮内少輔城 (くないしょうゆうじょう:京都)

京都府京都市左京区一乗寺堀ノ内町
山城土豪宮内少輔官職名を持つ渡辺昌城館にやってきました。

渡辺昌は、足利織田豊臣主君を変えます。足利義昭信長に抗した時、渡辺昌義昭に従いこのに籠ったようですが詳らかなことはわかりません。
門前の城址石碑

の妻は、茶々乳母大阪城では一定の影響力を持った松栄尼
この2人の間に生まれた渡辺糺だとゆうことです。

渡辺糺の使い手で豊臣秀頼槍術指南となり大阪の陣では大野治長らと共に譜代衆として働きました。
曼殊院道から城址
この側溝は堀の一部とおもわれます。

城址個人宅なので眺めるだけ!

の周辺は高低差もありっぽいですが、石垣後世の構築のようです。
土塁と堀跡と思われるところ

ココは外側からだけでは本当に土塁なのか判別不能。 

クルマの場合は白川通りを北上し、途中 曼殊院道(府道104号)を右折し北に進むと雲母湯の看板がが見えてきたらその右手がこの写真です。
宮内少輔城 地図
叡山電鉄一乗寺」駅下車 東北東へ徒歩10分
駐車場:なし (短時間なら路上できます)
トイレ :なし

近くには、250m南下すると一乗寺下り松。下り松から東に200mで詩仙堂、そこから東へ登ると将軍山城。もっと奥には北白川城
南南東に大山出城中尾城。 東北東に一乗寺城。がある。

2017年2月9日木曜日

滝の城 第5次現地説明会 (たきのじょう:埼玉)

埼玉県所沢市城357
城公民館で受付後、各自城址へ移動
なぜか甲冑武者先導で!?

2/4開催の滝の城整備事業に伴う第5次発掘調査現地説明会に行ってきました。
10:00の回は申込み多数で2班に分かれての案内です。
写真正面が今回の発掘現場

現地では障子堀の一部が出ており、その中堀と繋がっていたようで、解説では中堀障子堀の可能性がある とのことです。
発掘箇所

外堀とおもわれるラインはほとんど住宅なので掘れないようです。今回発掘トレンチはこの2ヶ所です。
障子堀!

この障子堀平底。 県道に近い所の障子堀(畝堀)は幅広く、V字底深いそうです。
やはり後北条氏の大改修であるようです。


土塁法面

土塁角度60°且つ障子の底から・・
 これでは攻め手は登攀不可能!!
発表会の資料より

赤字が今回発掘されていたところ。

出土の目玉は障子堀ですが、
この他にも本丸二の丸三の丸馬出しもそれぞれ廻り発掘成果解説もありました。

正式見解では無いですが虎口の位置ナドから二の丸三の丸は逆転しているかも?! とも仰ってました。
三の丸、中堀、土塁

私自身、不明確だったところが、発掘による成果と繰り返し訪問によって本来の姿が徐々に見えるようになってきました。
今後の発掘整備が楽しみです。
過去に出土した展示物の一部

扇谷上杉遺跡でよく発見されるウズマキかわらけが多数出土。 その理由から後北条氏以前の滝の城扇谷上杉氏の支配下にあったとみられています。
所沢アンパン♪
所沢名物とやらを帰りに買ってみました。

過去Blog:
2014/5/18 第3回 戦国滝の城まつり
2013/5/1 第2回 戦国滝の城まつり
2013/3/15 滝の城 発掘調査 現地説明会
2012/12/9 滝の城模型 と 零戦来日
2012/4/ 第1回 滝の城まつり
2011/12/11 滝の城 part2 現地説明会
2011/11/20 滝の城

地図は過去Blogを見てください!

2017年2月1日水曜日