2013年12月28日土曜日

人吉城(ひとよしじょう:熊本)

熊本県人吉市麓町18 付近
今回で2度目の訪城なので、資料館とその周辺を廻ってきました。
写真追加予定です。
- - - 
おくればせながら写真現像と加工が済んだので前回撮影分の本丸まで、新旧織り交ぜてアップします。
まずは球磨川胸川沿いに多聞櫓が連なっていた合流点から、


大手の橋を渡り多聞を振返る
犬童市衛門屋敷跡

相良清兵衛屋敷跡に建つ歴史館へ、¥200也で入場。
まずは目当ての城址模型へ!  本丸の奥に戦国さながらの城域があるではないですか!(小田原城のように戦国と近世の城が合体している感じ)。ココで模型をみて人吉城の規模が初めてわかりました~

それらは、近世でも武家屋敷ナドとして使用されていたと思われますが、どうみても2万2千石の城としては大きすぎです。
或いは、
島津氏抑えのような意味合いがあったのかもしれませんし、
新城に造り替えた結果として旧状が残ったのかは分りません。 ただ前者の方が筋書きとしては面白いかと・・・

歴史館入口近くに 「史跡 人吉城(着色しました) 」と「 史跡 人吉城 散策マップ 」2種が置いてあるので、入場は後回しとしても 最初に寄って、マップ片手に廻られるといいとおもいます。


歴史館(武家屋敷)から内郭方面に進むと御館武者返し石垣がみえます。



ココから右方を見ると・・・
一直線に御館石垣があります。
はじめ石垣に沿ったこの道路は堀跡かと思いましたが、どうやら往時も道路であったようです。
御館の中に入ると相良神社が建ち、庭園遺構もあります。
武者返し石垣を反対側からみたところ、
本来、武者返し石垣上に多聞櫓が建ち、堀合門(復元)の内外には水の手門から荷揚げされる物資を納める蔵が建ち並んでいたようです。

復元門

この排水路、井戸や二の丸御殿の排水溝ナド
排水設備はしっかり造られているように感じました。
立派な石垣あり、この御下門を通過しないと三の丸、二の丸、本丸まで到達できません。
堀合門から登ると、大規模ではないですが二の丸石垣に圧倒されます。
中の御門跡を入ると二の丸御殿が建っていました。
庭園の庭石らしき遺構ものこっています。
井戸






石垣は二の丸までで、本丸は柵囲いで中世の雰囲気があります。

人吉城は古城部分をいれると敷地は倍以上にもなり、球磨川の水運と、平地 山上問わず井戸も要所にあり、
将に水の都といった感じですね!


人吉城歴史館
人吉城 MAP
JR肥薩線「人吉」駅下車 南東へ徒歩17分
駐車場:あり(歴史館横ナド数ヶ所:無料)
トイレ :あり(山上にはありません)


嗚呼壮烈 岩屋城(いわやじょう:福岡)

福岡県太宰府市観世音寺
 壮烈!
この文言に思いを馳せてめぐってまいりました。

携帯からアップです、
続き写真UPは正月明けに!

時間がかかりますが、
あしからず!!




 - - - -
※2014/02/26 追記中、Raw現像が終わり写真加工中です!

  前日の大野城で夕刻となり時間切れ!
大宰府の街から大野城や岩屋城へ向かう道の途中にあるホテル(天然温泉がある)に泊まったので、朝食をいただいて直ぐ昨日の道を岩屋城へ飛ばしました。
 駐車場スペースは前日にチェックしてあったので迷わずとめ案内板の後ろへ!
 なぜ、案内板を読まずに裏を覗くのか?
なぜなら、そこには「ホテルマンしゅうちゃんの日記」のしゅうちゃん(さん)がBlogで案内されていた城趾パンフレットが置いてあるのですよ!!
 裏側に置いてあるので下りて来てからもらったら価値が半減てした。
 しゅうちゃん(さん)ありがとー!!
 コースは、
案内板→本丸→畝堀状のところ(二重土塁か?)→道路下の紹運公のお墓がある二の丸→二の丸下方の土塁まで廻りました。

 個人的には、
島津軍の攻撃に対するには小さめな城だとおもいましたが、出丸やら砦やら奇襲やらに763人の兵を振り分けたらチョウドよい規模かもしれませんね。

わたしが特定の武将絡みで行ってみたい城は西日本では「我に七難八苦を与えたまえ!」の山中鹿之助像がある月山富田城とこの「嗚呼壮烈」高橋紹運の岩屋城でした。


 
欲をいえばもう少し細かく周辺を探りたかったのでですが、これで目出度く両城制覇したので良しとします!

この後は人吉城へいきました。


岩屋城 MAP
西鉄大宰府線「大宰府」駅下車、北西へ50分
駐車場:なし (道路脇スペースに止めました)
トイレ :なし

朝鮮式山城 大野城(おおのじょう:福岡)

福岡県太宰府市、糟屋郡、大野城市 


出先なので、正月明けにUPします。




ただいま追記中

車で水城より同時代の大野城へ向かいます。その途上で道路は岩屋城内を通り抜けますがこちらは翌日の楽しみに残して先を急ぎます!
大宰府口門の上方にあるスペースに駐車。
コースは、駐車場焼米ケ原大原山持国天の先まで土塁上を反時計回りに1/4周。 そこからUターンし駐車場の下方にある大宰府口門で、門礎石石垣ナドを見学。

それから、
 あまたの遺跡の中でも百間石垣たけは見ておきたかったので車で移動、 四王寺県民の森センターで道を尋ねると・・・
  「ココから北へ900m行ったところのに見えてきますと」  と教えてもらい無事到着。
道路から見上げるとナカナカの圧巻で、石垣上と直下を歩けるようになっており、居ながらにして古代を感じることができるところでした。

北石垣にも後ろ髪を惹かれましたが、ここいらで当日のタイムアップでしたー!

 福岡県立 四王寺県民の森 HP
大宰府口門跡 MAP 
百間石垣 MAP 
西鉄大宰府線「大宰府」駅下車、大宰府口まで北西へ4.km
駐車場:大宰府口門近くの駐車場、県民の森センターP。
トイレ :要所にあり。

2013年12月27日金曜日

古代の長城? 水城(みずき:福岡)

福岡県太宰府市国分2-16付近 (東門跡、水城3信号前)
  福岡は、7世紀に築かれた水城大野城、そして戦国時代岩屋城にやってまいりました。
取り敢えずの携帯UPです。 追加しました

水城白村江の戦いで、大和朝廷・百済連合軍唐・新羅連合軍に破れたため、それら外国からの侵攻を怖れた中大兄皇子(天智天皇)が百済官吏らの手を借り大野城基肄城と共に大宰府防衛のために築きました。
この画像はRAW現像ができない為過去画像です!
大野城基肄城を含め長城の感がある水城ですが、
わたしが訪れたのは東門跡
駐車場の辺りに東門礎石もあり、道路を渡ったところにはを流し込むために土塁内に埋め込まれた木樋が発見されています。
この東門脇から東(大野城方向)に向かって山があり、その尾根が立上がっていく過程に郭状に削平された平場があります。 おそらく大宰府防衛ラインの一環の郭群と思いますが未確認です。
小水城ナド含め長大な水城の一部の訪問ですが他の残存部分はもちろん周辺の、佐賀基肄城(きいじょう)、更には熊本鞠智城(きくちじょう)にも興味があるので行く機会があったら報告します。

JR鹿児島本線「水城」駅下車、東門跡まで行かなくても水城駅の南側にも土塁があり。
西鉄 天神大牟田線「下大利」駅下車
駐車場:あり
トイレ :あり

2013年12月26日木曜日

小田原城八幡山古郭の散策路が開放されてます(はちまんやまこかく:神奈川)

神奈川県小田原市3-26-1付近
前回の御用米曲輪現地説明会の前日から公開されている、「八幡山古郭の散策路
ココは、学校のグランドの外周が市の管理になり、調査発表会の前日 (2013/12/20)から散策路として公開されています。

以前に参加した総曲輪ツアーのときにグランド奥の土塁は見せていただきましたが、いまは弓道場もなくなり塁壁がよく見えるようになっています。

この後遊歩道を抜け早川口二重土塁を廻り小田原港食堂で食事をして前回ブログの発掘現場へ向かいました。


*2015/11/2 写真追加/編集



八幡山古郭の散策路 地図

駐車場:なし
トイレ :なし

2013年12月21日土曜日

12/21 本日は、小田原城 御用米曲輪 説明会。後北条氏の庭園 (ごようまいくるわ:神奈川)

神奈川県小田原市城内900番3外
説明を追加
回を重ねる度に以外な遺物が出てくるので現地説明会に来るのが楽しみです。
取り敢えず携帯写真をUP(モザイク状切石を共なった穴遺構)
続き、
前日に公開された八幡山古郭の遊歩道(小田原高校周囲)を廻ったので、発掘現場は午後の回に参加です。
さて、
他に類を見ない護岸壁の池が出土したばかりですが、今回は独特の井戸状の遺構がでてきました。
これは切石をモザイク状に並べたもので、水が周囲から水が流れ込むような構造をしてます。
ココから湧水が湧き出て池になっていたとか? はたまた、この近くにある石造り暗渠のようなところから池に落としていたとか? ただいま妄想しまくりです。

いずれにしても、穴の用途は発掘成果に期待しましょう!










*相変わらずJPEG画像しか扱えないため携帯とコンパクトカメラからのアップです。


過去Blog
11/23 小田原城御用米曲輪、後北条氏の庭園 調査説明会
小田原城 御用米曲輪 第4次発掘調査発表会 2012/8/18
小田原城 御用米曲輪 本日は開放 見学自由でした 2013/2/13