2011年4月28日木曜日

芦名城 (あしなじょう:神奈川)

神奈川県横須賀市芦名1-11
 三浦半島城跡めぐり2城目です、
この芦名の地は三浦氏から派生した芦名氏 発祥の地だそうです。
ココは鎌倉時代からの城館なので、どの時代まで機能していたのかは よくわかりませんが、大楠小学校居館跡、火急の場合は城山に籠もったものと思われ、南に流れる芦名川天然の堀といったところでしょうか。
南側は石取りで削られてしまっているようです。
城山の上は住宅が建ち残存遺構は絶望的。唯一 城山の下に庚申塔があり そこに建つ芦名城址庚申塔標柱をみるとココが城址と認識できます。

次は和田城(館)です。
芦名城 地図(PC)
芦名城 地図(携帯) *携帯サイトは拡大するために契約が必要なので消すかもしれません。JR横須賀線「逗子」駅からバスで20分「大楠小学校入口」下車 東へ100m駐車場:なし
トイレ :なし
近くには、北に鐙摺城。 南に和田館新井城三崎城。東に衣笠城怒田城浦賀城

2011年4月24日日曜日

鐙摺城 (あぶずりじょう:神奈川)

神奈川県葉山町堀内41-1
 

作家伊東潤氏の後援会でもある後北条氏歴史探求会三浦半島城跡めぐり参加してきました。
まずは1城目、鐙摺城相模湾側に突き出した小山で、源頼朝公が馬で登るときに(あぶみ)を地面に摺ったので鐙摺の名がついております。
石橋山の合戦に間に合わなかった三浦義澄本陣を布き、畠山重忠と小競り合いをしたので旗立山とも呼ばれています。
からは相模湾を一望でき、鎌倉方面で異変があればすくに行動でき、物見には最適です。その主郭奥に高まり(塚)の上には伊東佑親入道の供養塔があり、歴史を感じさせます。
それ以外の遺構は何もありません。

鐙摺城の後は、芦名城->和田館->三崎城->新井城->怒田城->浦賀城 とめぐっていきます。
鐙摺城 地図 (県道24号線で葉山港を目指し「鐙摺葉山港入口」信号すぐ)
JR横須賀線「逗子」駅下車、バス利用
駐車場:コインパーキングへ
トイレ :なし (葉山漁港に付帯する販売所にあるかも?)

近くには、北に住吉城。 南に和田館新井城三崎城。 東に衣笠城怒田城浦賀城

2011年4月16日土曜日

白金長者屋敷 (しろがねちょうじゃやしき:東京)

東京都港区白金台5-21-5 (自然教育園)

場所は、国立博物館 自然教育園東京都庭園美術館のところで、その西側一帯は 「●●● 長者丸」 とゆうマンション名が多数あり 気になるところです。
屋敷の主は白金長者と ゆうことになるのでしょうが、その実態はあまりわからず 室町~戦国期にかけての豪族であったようです。

 自然教育園HPには「 太田道灌のひ孫の新六郎がこの地を治めていたことが記録されています。また、いわゆる「白金長者」であったという言い伝えも残っています。 」 と記されています。

 江戸時代には高松藩 松平家下屋敷でもありました。
園内を歩くとを思わせる池・湿地があり、土塁も予想以上の規模で現存しています。 ですが私が訪れた昨年(2010年9月)は樹木が鬱蒼と繁っており写真にならないところばかり・・・

おまけにデジカメを忘れ 携帯電話での撮影とあいなりました~
できたら葉が繁る前にもう一度シッカリ撮影しんがら歩きをしてたいです。 

白金長者屋敷 地図
国立博物館付属自然教育園HP (大学生以上:¥300)
東京都庭園美術館HP (庭園のみなら¥200 )
JR山手線東京メトロ、東急目黒線目黒」駅下車、東北東に500m 8分
東京メトロ 三田線南北線 「白金台」駅下車 南南西へ400m 6分
駐車場:¥1000 (庭園美術館駐車場。最大3時間まで)
トイレ :あり

近くには、南東方向2.3kmに御殿山城。 西北西およそ3.5kmで渋谷城。 北東に江戸城

2011年3月10日木曜日

新川天神山砦・島屋敷 (しんかわてんじんやまとりで・しまやしき:東京)

東京都三鷹市新川2~5
 ◆新川天神山砦 (天神山城)
中央高速道路のすぐ北側。舌状台地の先端で、そこは仙川の流れが洗っており。 現在は新川天神山青少年広場となっています。 
さしたる遺構はありませんが土塁の痕跡が見受けられます。







◆島屋敷

敷地が低湿地に浮かぶ島のようだったので島屋敷と呼ばれています。
新編武蔵風土記稿では中世に金子氏屋敷と伝え、その後 柴田勝家の孫で徳川家旗本 柴田勝重が元禄の頃まで陣屋を構えておりました。
現在の跡地は都営団地となっており遺構はありません。発掘調査で柱穴、井戸、心字池、土器片などが出土しています。 は、島屋敷通りなどに名をとどめており、地図でみるとよく判りますが周囲は堀跡を彷彿させるような円弧を描く道路が走っています。(堀と道路の場所が一致しているかはわかりません)

仙川を挟んで東は新川天神山、西側は島屋敷で、双方の距離は200m程度、 出丸のように対で機能していたようにも思えますが、まったくの別物かわかりません。 深大寺城を固守する上杉氏と攻め取ろうとする北条氏の間で どちらかの戦略に組み込まれていたら面白いのですが・・・

新川天神山 地図
京王線仙川」駅下車、 仙川駅から小田急バスで「新川天神山青少年広場」バス停すぐ
駐車場
:なし
トイレ
:あり
島屋敷 地図
駐車場:なし
トイレ
:なし


島屋敷から北西400mの勝渕神社柴田勝家の兜を埋めたといわれる兜塚があります。
西南西に2.6kmに深大寺城。北北東へ2kmで牟礼砦。 東南東へ4kmで烏山城

2011年3月2日水曜日

馬込城 (まごめじょう:東京)

東京都大田区南馬込1~5 付近
 後北条氏の家臣梶原三河守で、北は大田区立馬込図書館、西は湯殿神社、東は北野神社、南は臼田坂下までが城域といわれていて、西側の字名は根古屋でここにがあったそうです。
周囲は湿地と沼に守られていたと推察できますが、現在は残念ながら宅地化され何も残っておらずです。郷土資料館には時代は下りますが、立体模型地図が有るので地形の起伏を知るのに参考になります。
馬込図書館 地図
大田区郷土資料館 地図 (入場:無料、月曜休み)北野神社 地図
都営浅草線南馬込」駅下車 徒歩
駐車場:郷土資料館に10台。資料館正面にコインパーキングあり
トイレ :郷土資料館利用

2011年2月8日火曜日

南足柄の 春日山城 (かすがやまじょう:神奈川)

神奈川県南足柄市内山
 相模春日山城東駿河から侵攻してきた大森氏が、河村氏河村城攻略のため、付城として酒匂川内川合流点に築き、最後は大森氏河村城を攻め取りました。
後に、小田原に本拠を移した大森氏後北条氏によって追われます。
その後もとして機能していたのか? 気になるところです。

さて、現在の城址は、東京電力 内山発電所となり、水路など施設建設で遺構消滅しました。
酒匂の両河川がつかず離れずの状態で流れ。更には大手と思われるの辺りはくびれて細くなっています。 これによって周囲を天然堀として、守るに堅い城であったと思われます。

尚、上杉謙信の春日山城と同じく、春日神社(春日大社?)を勧請したから春日山となっています。

春日山城 地図
JR御殿場線「山北」駅下車 南へ2.3km 徒歩32分
伊豆箱根鉄道 大雄山線「大雄山」駅下車 北北西 4.6km 徒歩65分 どちらもバス路線未調査
駐車場:なし
トイレ :なし
近くには、北に河村城。西北西に河村新城。西に浜居場城。西南西に足柄城。南南東に小田原城石垣山一夜城

発掘された 篠原城 (しのはらじょう:神奈川)

神奈川県横浜市港北区篠原~大豆戸町
 篠原城は、小机城支城といわれ、後北条氏に属する金子氏城主であったので別名金子城と呼ばれています。
 去る、1/29に開発のための発掘発表会が行われました。
わたしは2月になってから見に行ったのでは埋め戻されてしまい、僅かなしか見られませんでした~ 
発掘ではかわらけや今まで未確認だったなどが出土し、だんだんと城址の様子が明らかになってきました。
取り敢えずは消える前に見られて良かったです
今回、発掘対象外の 虎口土塁らしき窪みが残る主郭はそのまま残すようです

*主郭は立入り禁止

篠原城 地図JR東海道新幹線横浜線横浜市営地下鉄新横浜」駅下車 南東へ、徒歩600m 10分
JR横浜線東急 東横線菊名」駅下車 西へ700m 10分
駐車場:なし (駅から近いのでコインPなど利用)
トイレ :なし

近くには、西北西へ小机城。北西に小机城攻略のための陣城 亀ノ甲山城。北東に大豆戸城。東北東の慶應大学内に矢上城跡