2015年6月18日木曜日

生麦事件 と麒麟横浜工場(なまむぎじけん きりんよこはまこうじょう:神奈川)

神奈川県横浜市生麦1~3丁目

先日、「生麦事件」の事件現場を見に来たのと、キリン麦酒の生麦工場の見学も兼ねて行ってきました。
生麦駅から3分ほどの「生麦事件参考館
来ましたが休館日らしく見学不能!

ココは個人の方が情報収集、公開している資料館です。

*帰宅後webで調べたら平成26年5月以降休館となっています⁉ シッカリと調査されているようなのでみられなくて残念! 

2番目に来たのは、旧東海道沿いに石碑と案内板ある場所。

リチャードソン落馬、絶命の地です。

案内板拡大。

乗馬での遭難のため現場が広範囲です。
3番目は、旧東海道と国道1号線のぶつかる二又(キリン麦酒)のところにあるはずの碑が見当たりません。

この事件は薩摩藩の大名行列(藩主は島津久光)が東海道を下っていきます。 その行列を異人商人一団が乗馬でよこぎり、藩士によって無礼討ちにされました。
  と、 学校ではこんな感じで教わりましたね。

しかし、薩摩藩士がいきなり切付けたわけでもなく、下がれ、下馬しろナド注意をしていたにも拘らず 日本語が理解出来ずそのまま前進し、藩主の駕籠近くまで進んでしまったので、この事件が起こってしまったようです。

事件の問題点
●被害にあった人々は上海在住ナド日本について明るくない外国人だけでであった。
●外国人居留地の友人達が危ないからと留めたのに遊山に出掛けた。
●東海道は乗馬の一行と大名行列で幅いっぱいになった。
●大名行列に出合っても下馬しなかった。 ←下馬して帽子をとるぐらいで凌げたはず!
●日本語が理解できないため役人の静止をきかず、乗馬で行列を逆行した。
●藩主の駕篭に近づいたところで、役人の注意を「戻れ」と勘違いし反転して行列を乱してしまった。

薩摩藩の弁護のようになってしまいましたが、わたし自身ココに来ようとするまで商人をそんな無礼討ちにしなくても!? とおもっていたのですが被害者側にも非礼があったようなので書いてみました。

こうして改めてみると「郷に入りては郷に従え」とゆう言葉に尽きます。
事件直後は外国人居留地と薩摩藩士の間では一発触発だったようで、薩摩藩の一行は予定の神奈川宿を通り過ぎ保土ヶ谷宿まで急行したようです。
この事件が原因で薩英戦争に発展しますが、戦後のイギリスは薩摩を応援し、間接的には到幕にも繋がってゆきますから日本人にとっては大事件であったといえます。



☆キリン麦酒生麦工場
キリン生麦工場エントランス

生まれたて一番搾りの試飲は最高です!
レストランも付帯で食事もOK♪
コチラの工場は駐車場ありです。
煉瓦の建物にあるレストランでビール6種を注文
これで昼間から外を歩けない顔になりました~!


ビール工場見学し、生麦小学校近くのもう一つの生麦事件所縁の地にいこうと目論んでいましたが俄の大雨のため断念!
 今度は神奈川台場と絡めて来ようかと思っています。

生麦事件現場 地図 (リチャードソン絶命の地)
京浜急行生麦」駅下車、徒歩5分
駐車場:コインPか?
トイレ:駅ナド

近くには、南に神奈川台場

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