2014年1月2日木曜日

岡山城(おかやまじょう:岡山)

 岡山県岡山市丸の内2-3付近
夕刻の鬼ノ城から高速利用でホテルへ直行! 現地から携帯アップです。
写真は西の丸の堀跡に建つホテルから西の丸にある西手櫓。

このホテルは西の丸の堀の中(堀跡)に建てられておりまして、西の丸(小学校跡地)にある石垣と現存 西手櫓も窓の視界に入るとゆう立地なので城好きのわたくしには☆☆☆ホテルです!

因みに禁酒会館から裏手に西手櫓が見えるようです。
ホテルに荷物を置いてから夜の徘徊です。
但し正月の夜のなのでかなり寂しいですよ~
この自転車は本丸下を川沿いに進んでいきましたがこの先は何もないような・・・
一夜明けて、
西の丸石垣と城下駅下の地下道の石垣から廻ります。
かつてココは堀の中だったはずなので、これは移設石垣と思われます。
西の丸の石垣です、この後に旧小学校正門から入り西手櫓へ向かいます。
他所のH・Pをみると池に水が張ってあり、櫓の壁も土色をしていたのですが、今は様子が変わっているようです。
小学校の校庭・校舎そのままの状態で残っていますが、ココを公園利用などされるのかはわかりません。
石垣は旧本丸といわれているところで、独立の曲輪となっています。
対面所(林原美術館)も独立した空間で、堀の水面まで石垣はもう少し高さがあったとおもわれます。
本丸中の段では小早川氏から池田氏、その後の改修ナドの石垣が楽しめます。
本丸下の段には建物基壇を復興中、門や蔵ナド往時の様子がうかがえます。
中の段には御殿が所狭しと建ち並んでいたようで、その分 絵図でも池はこのサイズに描かれています。
中の段、宇喜多秀家時代の角石、地中に続きが眠っています。
廊下門渡櫓の門の上は御殿に渡る城主専用の廊下です。
1
先に紹介したNHK岡山横の宇喜多直家時代の旧本丸を北側の旭川土手から見てみました。
土手上から振り返ると天守と月見櫓が、
二の丸内屋敷内。
二の丸は広大で、ややこしいのはこの門から堀を隔てた外側も二の丸外郭となるようです。
対岸から城址を撮影して帰途を急ぎます。






過去Blog
伊木家 武家屋敷門 2012/3/15

岡山城H.P
後楽園H.P
岡山シティミュージアム
岡山県立博物館HP
林原美術館H.P

岡山城 MAP(烏城公園駐車場のところ)
JR山陽新幹線、山陽本線、吉備線、宇野線、津山線「岡山」駅下車、市電利用あるいは、東へ徒歩20分
駐車場:あり (烏城公園駐車場1時間300円(30分毎100円)※天守入場者は半券で150円割引。他に後楽園の北側にもあり。)
トイレ :あり

*2014/04/22写真点数が増えすぎたので後楽園は別ページで立上げます。

2014年1月1日水曜日

明けましておめでとう御座います。広島大和ミュージアムにて

広島県呉市宝町5-20

本年も宜しくお願いします。

本日は呉の大和ミュージアムにきています。
元日なのにナカナカの賑わいで、朝一の入場なのでタオルをいただきました。

目玉は戦艦 大和の1/10模型!
他には回天、ゼロ式戦闘機62型 ナドを展示しています。

駐車場:あり (3時間近くで¥300)
トイレ:あり

鬼が棲む? 鬼ノ城(きのじょう:岡山)

岡山県総社市黒尾1101-2(鬼城山ビジターセンター)
広島は呉の「大和ミュージアム」をあとにし、鬼ノ城へやってきました~

追記
鬼ノ城は古代山城の中でも神籠石いわれます、正史に出てこず、後世の鬼ノ城縁起ナドの文献には載っている?な城です。

駐車場があるビジターセンターは城外で、5分ほど歩くと角楼に辿りつきます。
城外から遠望

実際には石垣も積まれていたようです。

吉備の人々も楯にある様な柄(刺青)を顔に彫っていたのでしょうかねー?
門の上にそんな射手が狙っていたらビビりますねー  !
西門から中心に近い礎石建物群まできました。
、平地も少なく、建物跡はココに集中しているようです。
斜面ばかりでふつうのトレッキング道と変わらないので、どれだけの人数が常駐できたのかは不明?



掘立住居跡ナドの状況からないのでもう少し資料があればとおもっています。


次は第5水門を経て屏風折石垣へ!



屏風折れからの眺めですが、どこまてか分かりませんが内海が入り込んでいたようで、瀬戸内に漕ぎでるための港もあったと思われます。



再び第5水門へ戻り東門へ!

東門の礎石には柱穴の加工跡も見られ、背後上方は鍛冶工房跡もあります。
ココは第2水門です。 城内には池がいくつかありますが、かなり埋まっていると思われ今より広大な池か湿地が広がっていたのではないでしょうか? 灌漑用水のように一部堰き止めて出来た池とも考えられます。いずれにしても水は潤沢に使えたようです。
水門は城内の沢から流れる水を排水する設備のようです、現地に行くまで水門は もっと大規模ものかと思っていました。

第3水門のすぐの石列で、この先は排水溝を伴った石畳があります。

南門まできました。





先にも書いたように、城内には平地が少なく、どのように守る(籠もる)のか興味がありますが、いつ誰が築いたのかも分らず、オマケに
戦国時代の城郭とは思想思考を異にするものですから超難解ですよね!?
このあと、国分寺、作山古墳、足守陣屋や高松城にも寄りたかったのですが夕暮れで打ち止めです!!
温羅伝説: 温羅(うら)は百済から渡来した王子と謂われ、大和へ送る物資や婦女子を強奪したので人々からココを鬼ノ城といって怖れられ、大和朝廷によって討伐た と伝承されています。

この話とダブルように桃太郎の昔話も伝わっているようです。

鬼ノ城 MAP (ビジターセンター前の駐車場)
電車:JR吉備線「服部」駅下車 北北西へ5km 。或いは総社」駅からタクシー
クルマ:岡山総社IC 北へ8.6km 20分
駐車場:あり (ビジターセンター前、)
トイレ :あり (ビジターセンター)

近くには、南南東に 長良山城。 南西に 経山城。 東に 足守陣屋。南東に備中高松城 がある。

2013年12月31日火曜日

隈之城にある 二福城(にふくじょう:鹿児島)

鹿児島県薩摩川内市隈之城町1460-6(二福城跡の碑)
小学校前(地頭屋敷跡)から
子安観音のところに二福城跡の碑があります。
.
城址の南側を前を流れる隈之城川の支流が堀の役目を担っていたと思われ、その川辺りを通う薩摩街道を城が押さえるようです。

現在は、最高所より少し低いところに城址碑があるのみで遺構は何もないようです。
小学校の南西の丘が城址で、江戸時代の隈之城麓(支城)の時代には小学校のところに地頭屋敷が置かれ、

現在でも城址北西の「隈之城」交差点(隈之城郵便局のところ)周辺に武家屋敷の門構えのお宅が多く見られます。

携帯でパノラマ写真にしてみました、後で差し替えるかも・・・ です!

*2014/3/19編集中
二福城 MAP(子安観音、案内板のところ)

近くには、隈之城。北に平佐城。

2013年12月29日日曜日

九州攻めの一夜城 猫岳(ねこだけ:鹿児島)

鹿児島県薩摩川内市高江町
場所は、川内隈之城道路(全線未開通)を南下し、川内川を越えてすぐの高江I・C前の山が猫岳です。
案内標柱に導かれ路端に駐車し、かつての登城路とは異なるようですが秋葉神社がある頂上(120m)までつづら折れの階段が整備されていますが、ほとんどが階段なのですが小山と侮るとけっこうキツイ!!
鬱蒼とした山を秋葉神社まで登ると城砦の雰囲気が漂ってきます。
 頂上付近には土塁と堀の痕跡があり、南西に向けて数段の平場と、北東の藪の中を覗くと平場が続いています。
  猫岳城とゆう記述は少ないようです、九州攻めの際に豊臣方が構えた付城or陣城としてみれば、猫岳城といってもいいでしょう⁉︎
 すぐ北西に連なった山にも猪子岳城と陣を張ったであろう南方神社があったのですが、時間の関係で鉢巻城ともどもパスしました。

周辺には小西軍などの旗が林立していたのでしょうね!
薩摩川内市は薩摩の国府の地で国分寺や府庁の瓦の窯跡などは整備されており、歴史資料館にも展示されています。
これに反して多数ある中世の城址ナドはあまり認識・宣伝されてないので、消滅してしまったところもあり、猫岳の遺構が当時のものであるならひじょーに勿体無いことです。
*2014/3/18更新中

薩摩川内市歴史資料館H,P
川内戦国村Link
丸竹産業H,P 戦国村の親会社、甲冑製作販売
猫岳 MAP (ココから上る)

近くには、西北西に川内戦国村。高江麓、東に百次城、東に平佐城、錨山城。北東に太閤道、薩摩国府、国分寺跡がある。