2013年11月23日土曜日

11/23 小田原城 御用米曲輪、後北条氏の庭園 調査説明会(ごようまいくるわ:神奈川)


駅前立体通路より

前回の記事が完成していないのに次に行くなと怒られそうですが
、、

相変わらずRAW現像できないので、取り敢えず携帯JPEG画像で!
成型された石の護岸壁が周囲を廻る構造の庭園の池はひじょーに珍しいものです(後北条時代)
わたくしめも想像すらしていなかったので、これは見ねばならん!!

  とゆうことで、
小田原にやって参りました。
2月の説明会より範囲は狭く、その分短時間で終わりましたが、わたくし庭造りにも興味があるので見応え充分でした!
過去Blog(2013/2/13)の中で五輪塔を石材として使用した石敷きの滝として紹介しました
が!
今回発掘範囲が広がり、ナント!

池の周囲を廻る15段の五輪塔石材の護岸壁が明らかになりました
池のほとんどが石敷きと州浜(砂利敷き)で覆われております、よくある禅寺の庭園にも似ず、以前にも書いた飛鳥あたりの石敷きの苑池や平安期の浄土庭園の雰囲気があります。 <-あくまで個人的妄想・感想!

 復元されたら面白い庭園になるとおもうよころですが、
残念ながら復元案は江戸期の小田原城と決まっていますので調査が終わったら埋め戻されてしまいます。
まぁ地中でそのまま保存されるわけですからそれはそれでいいことです。
横浜「三渓園」の小舟
ところで、
ココで使用された五輪塔石材は加工された新しいものを使っています。

何故なら、
多くの出土したものには風化の跡が無い(エッジ)が立っている)、凡字、銘文ナドが刻まれていないことから新しく加工されて出荷待ちの石材ではないか?

 と聞きおよびました。
 しかし、わたしの中では、
 ストゥーパ = 卒塔婆 = 五重塔 = 五輪塔

 とどれも同列なので・・・

この石は、ちょうど形がいいから五輪塔の一部を使用したわけでもなく、
この石に発展、祈念、鎮護の思いを込めた生きた石材なのではないか??
 と感想を持っています。 ←信憑性ゼロ!!

とここまで色々妄想しましたが、御用米曲輪の御主殿?迎賓館?ナド戦国期の用途、庭園の原型が気になるところであります。



 
次回の現地説明会は、2013/12/21(土)です、次回はココの北側を掘り広げるそうです。
是非この機会に!


以前のBlog
小田原城 御用米曲輪 第4次発掘調査発表会 2012/8/18
小田原城 御用米曲輪 本日は開放 見学自由でした 2013/2/13

2013年11月12日火曜日

更新遅れてすみません。



三増合戦まつりの更新途中で、
RAW現像ができないと書きましたが更に状況は悪くなり、
Windows7は何を考えてるのか? 
モニターの中で「正規版ではありません」とアラートが出てます。
WebはLinux利用でokなのですが、慣れた写真現像ソフトがWin版なので ただいま放置状態となっています。

嗚呼! Mic⚫︎osoftめんどくさー⁉︎
OS Xは無償になったしWinやめてMac復活かな〜〜〜

ちょっとグチりましたが、
復旧までもう少々お待ちください。

写真はオマケ(もう終わってますが、山田寺仏頭展ポスターと国立博物館 池田家の門)

2013年10月6日日曜日

第14回 三増合戦まつり2013 (みませかっせんまつり:神奈川)

神奈川県愛川町三増

三増合戦まつりには何度目かになりますが
今年も思い立って来てしまいました〜!


いま開会したところなので、また後で写真UPします。

-------------
続き・・・
今回は午後からよんどころない用事あったので開会式から昼くらいまで現地にいました。
 到着したときにモーターパラグライダーの飛行練習をしており、派手なパフォーマンスもありか? と思いつつ会場へ!
(後から知りましたがモーターパラグライダーでプレゼントを散布したようです)
   件の陣鍋と焼鳥をいただきながら和太鼓やらを見ながら出陣式を待っていると、、、
軍勢が出陣式に入場してきました。
昨日の敵は今日の友とはよくいったもので、まつりに来ると北条勢、武田勢が仲良く横並びで登場するので、ある種の感動が湧いてきます。

精悍な武者姿が台無し!
モザイク入れ すみません。
寸劇をみたかったのですが、出陣式から行軍退場までみて、しばしノンビリして帰途へつきました。
次の機会はさいごまでしっかり見ます!


ただいまコンピューター不調につき、再インストールや設定ナドに手間取り写真加工などに手が付けられないので更新が遅れがちになっています。
すみません 汗
追記:2014/02/23 順次アップしていきます。
2013/10/8 Raw現像ができないので対応中です、ただいま携帯画像しかUPできないので少々お待ちlください。

過去Blog Link




2013年9月14日土曜日

天王洲の 第4台場 (だいよんだいば:東京)

東京都品川区東品川2丁目3−12
第4台場は天王洲にあり、 陸続きの御殿山下台場(2012/7/12Blog)にもっとも近いのがこの第4台場です。

異国船来襲に備えて計画された7台場の一つで、陸続きの御殿山下台場にもっとも近いのがこの第4台場。
資金難ナドの理由で7分の建設で取り止めになったそうです。

現在は、シーフォート(海の城砦)スクエアとなり、ビルが立ち並び天王洲アイル駅も設けられています、
その周囲の一部にはボートウォークが設置されその下には石材再利用と思われる?石垣が組まれております。
橋のたもとには古そうな石垣がありますが当時の石垣かは不明!

とはいえ、
天王洲アイル/シーフォートスクエアは第4台場と共存するカタチで再開発されているので完全破壊されなかったのでヨカッタです!











りんかい線or東京モノレール 「天王洲アイル」駅下車、徒歩0分
駐車場:あり 第一ホテル等
トイレ :あり

近くには、北に御殿山下台場跡。御殿山城

2013年9月11日水曜日

下総国府、国分尼寺、国分寺と国分館、 (しもうさこくふ、こくぶにじ、こくぶんじ:千葉)

千葉県市川市国府台1-6

国府台城へ行く途上に下総国府跡(いまは運動場になっている)に寄り、それから国府台城を一周し、国分尼寺跡と国分寺を廻りました。

まずは、京成 国府台駅から松戸街道を北上、国府台公園を目指します。



千葉県市川市国分4-17
国分尼寺は金堂、講堂の辺りは国分尼寺跡公園となっております。
地域の方が清掃作業をしておられて写真が思うように撮れず

地元の方が整備してくれるお陰で城址やら史跡を廻れるので感謝して次の国分寺へ向かいます。


千葉市市川市国分3-20

国分寺から北へ向かうと資料館があるようですが、炎天下を歩いたので結構キツかったのでリタイヤです。

普段は、地図を調べて出掛けてますが今回は場所を決めず行き当たりばったりで、携帯マップをあてに迷わずまわれました。
km歩いて元の国府台駅に着いたときはヘロヘロで

*Errorの為Blog再編中!

2013年9月10日火曜日

関戸の 霞の関 (かすみのせき:東京)

東京都多摩市関戸5-35付近
鎌倉街道を北関東から南下、
武蔵国府を過ぎ多摩川を渡り少し先にあるのが霞の関で、両翼には木戸とそれに連なる木柵でおさえられていました。

鎌倉時代は不明ですが、少なくとも戦国時代の多摩川は武蔵国府(東京府中市)の台地寄り、ちょうど分梅河原辺りを流れていたので、多摩川から霞の関まで2km程の距離があります。


多摩川は蛇行で川幅も広かったことも想像されます。

わたしの独断と偏見では、
関から高台に登れば武蔵野を移動する兵団を監視でき、多摩丘陵を分断する乞田川が蛇行し平地幅160m前後の狭隘な地(今日のように道路も無く自由に往来できない)で、
川の東側は人馬が通れない丘陵、
川の西側 旧・鎌倉街道は川をまいて高台に上っていくところに霞の関があります。

ですから往時は関所を設けるには適地であったとおもっています。



上野(群馬県)からの新田義貞の鎌倉進軍もココを通ったそうで、
小手指原の戦い、分倍河原の戦いナドを経て多摩川を越え、遂には霞の関も突破し町田市方面へ抜けて行ったとおもわれます。
南木戸があった熊野神社には発掘調査に基づき柱が表現されていますが、
北木戸があった観音寺には何も無いようです。


関戸の地名由来は、鎌倉街道の関や木戸からついたのでしょうかね??







霞の関、南木戸 地図

京王線、「聖蹟桜ヶ丘」駅下車
駐車場:なし
トイレ :なし

近くには、北北西に関戸の天守台。北西に百草城高幡城。東南東に諏訪坂館。東に大丸城


2013年8月31日土曜日

荏原氏館 (えばらしやかた:東京)

東京都品川区旗の台3-6-12
 荏原氏お館跡は「荏原町」駅の北川側すぐの旗岡八幡社と、その別当寺であった法華寺のところと云われています。


 館の比定地になっていますが、城址の案内板は無く、そこには源頼信遠征の案内があるのみです。
駅前の住宅地で駅前なので遺構もありません。

周辺は荏原氏の領地となり、館が営まれておりましたが、館の跡地に法華寺を建立したそうです。
平安時代、藤原道長にも仕えた甲斐守 源頼信が下総の平忠常を平定しに行く途中、
ココで宿営し、源氏の白旗を立てたので「旗岡」や「旗の台」の地名がついたそうです。
ちなみに、
神社前の道路は何本か存在する鎌倉街道の内の一つです。
荏原氏の姓も武蔵野国荏原郡からきているかと思います。

東急 「荏原町」駅下車、北へ1分
駐車場:参拝すれば神社でOKでしょう
トイレ :なし (駅利用か?)

近くには、南南東に馬込城。東に今川氏陣屋(大井町)。に白金長者屋敷