2013年8月25日日曜日

福島の 郡山城 (こおりやまじょう:福島)

福島県郡山市桜木1-1
*今回は2007年訪城なので現状と違いがあるかもしれません。

郡山城は、逢瀬川南側の段丘上にあります。
現在は開発が著しく、城の中心近くと思われるところには東西に貫く「うねめ通り」が通っていて、




多少の緑の丘と堀跡らしき「せせらぎのこみち」遊歩道しか往時を偲ぶものがありません。

さらに悪いことに、北方からを渡り、最後に残されたこんもりとした丘上を貫通して「うねめ通り」に直結する道路が新造されるようです。





往時は川の蛇行や湿地ナドで守られていたのでしょか? 川のある北側は堅そうです。

一方、 南側は住宅地と化し見た目では要害性は無いので、開発以前の地形がどうだったか?堀ナドがめぐって防御していたのか? 気になるところです!!
「人取橋の戦い後に、二階堂氏についていた郡山氏が伊達側へ寝返ったため、佐竹氏を中心に 芦名、二階堂、白川、岩城 の各氏は連合軍を催し攻めてきます。 
しかし、連合軍は大軍とはいえ、しょせん烏合の衆! 戦意も乏しく大きな戦果もなく退陣へ向かいます。
その後は、伊達勢優位に推移していくことになります。」



郡山城 MAP
JR、東北新幹線、東北本線、磐越西線、磐越東線「郡山」駅下車、北西へ徒歩28分。
駅から付近までバスが出ているようです。
駐車場:なし
トイレ :なし

近くには、東北東にに三春城。 北に本宮城二本松城。 北西に猪苗代城

2013年8月19日月曜日

国府台城 (こうのだいじょう:千葉)

千葉県市川市国府台3-9
第一次、第二次と 2度の国府台合戦の舞台でもある国府台城です。
国府台の由来は下総国府のある台地であるとゆうことです。

駅から江戸川沿いに上流へ向かえば到着できるようですが、今回は京成線国府台」駅から北の台地に向かい、下総の国府があったとされる国府台公園を過ぎ、国府台病院前の信号を西へ折れると里見公園にでます、そこが国府台城の跡です。


廃城後の時間経過と明治には陸軍が周辺を使用していたので城址はかなり改変されてしまっている可能性が高いです。
軍の資料を調べたわけでもないのですが軍が構築した土塁ナドが存在しているかもしれりません。 城址遺構であって欲しいとゆうレベルで書いてますのでご了承くださいまし。

主要部分は、古墳を削ったり残したり、そこに土塁を連ねたりしています。古墳の改変が著しく石棺が露出していなければ前方後円墳にはみえません。




北側の最先端部にも行ってみましたが、遺構がないかとウロウロと歩き回る様は不審者その物らしく近隣の方に胡散臭い目でみられました~
目の前の住宅では無くその先の林や丘を見ているのになぁ~






市川市歴史博物館:城の資料があるか?は不明。
市川市立考古博物館
京成線 「国府台」駅下車、北の台地に
駐車場:公園下の江戸川沿い(未確認)
トイレ:あり

近くには、北に松戸城。 
南東に国府跡、国分寺跡。 東に国分尼寺跡。

2013年8月12日月曜日

桝形山城 (ますがたやまじょう:神奈川)

神奈川県川崎市多摩区桝形7
 今回は川崎にある北条早雲(伊勢新九郎長氏)公も帯陣した桝形山城です。

 はじめ、世田谷通り(津久井道)から城の北側にある大手へ出ようとおもいましたが道がよくわからず、
 オマケに駐車場所が無さそうなので、素直に南の民家園へ向かい、オートバイを駐車。

駐車場脇から上がり、物見台であろうか?郭のように見える所を通過、
 途中、竪堀に見えるところを眺めつつ本郭の模擬塀と冠木門のところにで登ります。
主郭には井楼風の展望台があり、エレベーターで上部までで楽にあがることができます。
当時、こんな井楼は無かったでしょうが、早雲公も遠望しながら作戦を練ったことでしょう?

 以前、城址の南側に日本民家園と少し先に向ヶ丘遊園地(現、生田緑地バラ園)がありプールやスケートによく行ったものです、
その頃は近くに城があり、そこには扇ヶ谷上杉氏の求めに応じた伊勢早瑞(北条早雲)公が一時帯陣していたとはツユも知らず、、
後に分かった次第であります。

 ところで、現地図では北側が大手となってますが、本郭から西へ専修大学へ延びる尾根上が大手のような気がしないでもありません!?



桝形山城 MAP 模擬塀、冠木門のところ
駐車場:あり (民家園P利用)
トイレ :駐車場と山上にあり。

近くには、北に寺尾城小沢城。南東に作延城。西には沢山城がある。

2013年7月21日日曜日

斉藤氏館 (さいとうしやかた:東京)

東京都大田区蒲田4-18
 前回の行方氏館から京急蒲田駅を目指し5~6分ほどでしょうか、の西にある妙安寺蒲田八幡宮を含む周辺が館跡とされています。
 現地案内板ナドから・・・
北条家の家臣 行方修理亮吉安の妙安尼吉安死後に 兄の斎藤政賢屋敷内を結んで、後に妙安寺となっているのでココが屋敷の敷地内であることは間違いないようです。
ココは2度目の訪問で、再度周辺の吞川ナドを歩いても、やはり城館の気配は感じられませんでした。

大井氏館、行川氏館、斎藤氏館と3館は何も残っていませんが、れぞれ近距離なので徒歩で3館めぐりナド如何でしょう!




斉藤氏館 地図 (案内板のところ)
京浜急行京急蒲田」駅下車 徒歩1分
JR京浜東北線。東急 池上線 多摩川線 「蒲田」駅下車 東南東へ7分
駐車場:駅周辺のパーキング
トイレ :なし 

近くには、北に行方氏館。 北東に大井氏館。 西南西に八幡塚砦

2013年7月20日土曜日

行方氏館 (なめかたしやかた:東京)

東京都大田区蒲田2-19
大井氏館跡から徒歩で、10分くらい歩くと行方氏館跡の円頓寺のところにでます。


お寺正面には石碑があり、碑文を読むとおおよそ・・・

「 北条左京太夫氏政家臣 武蔵の国 六郷領主 行方弾正直清の館があり、「大屋敷」と名づけられ、
今は内堀のみを存したり(古い文からの抜粋のようです) 
小田原合戦のとき豊臣軍が関東の支城郡を攻めたときに行方直清は討ち死にしました。
寛永の頃に池上本門寺の玉惺日藝聖人(行方直清弟)が兄の菩提を弔うため故地に円頓寺を建立しました。 」
 と なっていました。

遺構はほとんど無いようなので写真だけ撮り、次の京急蒲田駅前のにある斉藤氏館へ向かいます。

行方氏館 地図
京浜急行梅屋敷」駅下車 西へ4分 又は「京急蒲田」駅下車 北へ5分
JR京浜東北線「蒲田」駅下車 北東へ6分 

駐車場:なし
トイレ :なし

2013年7月19日金曜日

大井氏館 (おおいしやかた:東京)

大田区大森中3-17

戦国時代に機能していたかは分かりませんが、それより古い時代ののようで、痕跡は何もなく案内板すらもありません。


地元の伝承と堀の内とゆう字名を元に三輪神社周辺であろうとといわれているようです。


一通り写真を撮ってから、東へ徒歩10分ほどのところにある行方氏館を目指しました。


京浜急行「梅屋敷」駅下車、南東へ6分
駐車場:なし
トイレ :なし

近くには、西に行方氏館。  南西には斉藤氏館。 南南西には八幡塚砦がある。

2013年7月5日金曜日

平山城 (ひらやまじょう:東京)

東京都多摩市堀の内、日野市平山
 場所は平山城址公園駅の南方にある「 都立 平山城址公園」のところです。

駅東方の小学校に平山季重の館跡跡があり、その物見台がこの地に置かれ、後に平山城が築城されたとのことです。

この平山季重とゆう人物は源平の合戦にも参加した猛者であったようです。
時代は下り、小田原合戦で檜原城に籠もった平山氏重は、季重の子孫のようです。

さて現地ですが、
残存遺構は無く郭に見える平場が多少と谷沿いの湧水とみられる沢と池くらいです。
よくある丘陵地の公園地形で、わざわざ訪城するほどのところではありません。

また、平山城址の北側尾根には季重神社もあります。



現在地と書かれた案内板近くにクルマをとめらたが、現在は不明

















平山城 地図
京王線「平山城址公園」駅下車、南へ15分
駐車場:以前は案内板近くに止められたが現在は?
トイレ :あり

近くには、
南に柚木城。西に片倉城。 北東に高幡城、東北東に百草城。 東に関戸の天守台、諏訪坂館