2020年3月31日火曜日

薩摩川内市の 亀之城 はココでは?(かめのじょう:鹿児島)

鹿児島県薩摩川内市中郷町6195付近
国道264号線のLAWSONの辺りから亀之城

前Blogの鶴峰窯は亀之城の裏手になります。
江戸時代中郷村には薩摩藩の外城である中郷麓が存在し地頭仮小屋がこの辺りに置かれたものと想像します。
立派なエントランス

他の県内に残る武家屋敷と同様な静かな佇まい。
コチラは南東面。
北側は鶴峰窯前の道路から眺められる。
亀之城を東端から

正面にのような高まりが!
塚でろうか??

上の写真にある高まりは何かの?ではないかと思います。
場合によっては土塁?か物見台か?
個人宅なのでこれ以上は入れない!

高まりの後ろ側は空堀のようにもみえる??





●亀之城から川を隔てた東の丘陵
亀之城 東端から諏訪神社側

この道路は国道267号線に対して旧道であろうかと思います。
こののすぐ左側に かつて石橋が架かっていました。
渡ってすぐ左へ曲がると諏訪神社
諏訪神社方面に左折したところ

ココは後世に開削された道路と思いますが、丘の上を歩くと城郭の様相が漂っているので出丸物見台家臣屋敷や城内にあった諏訪神社ナドを勝手に想定しています。 ←あくまでも妄想!!
諏訪神社 社殿

諏訪神社と云えばに武士が崇敬する軍神であるので亀之城の城主或いは中郷麓の地頭と関係するのでは?と思って載せました。

薩摩国絵図 元禄9年(1696)~15年(1702)
今回、亀之城を探すきっかけとなった絵図この中に「中郷村 高千八佰八十八石」の記述のそばに「古城」の文字を見付けたとことからはじまります。
※追記 国立公文書館デジタルアーカイブの元禄国絵図→薩摩国PDFが載っている。

Webの限界でヒットする資料が殆んど無い中 この絵図に載っている「川内川」、「国分寺」、「泰平寺」、「安国寺」の それぞれの位置から推察し、もう一つ 見付けた資料「鹿児島県教育委員会 鹿児島県の中世城館 」S62年刊に「川内市、亀之城、中郷町字山崎、空堀、別称:」の記述とおおまかな地図も載っていたのでおおよそ推定しました。

自分は地元の人間では無いので 時間があれば薩摩川内市川内歴史博物館の方に亀之城(麓)関連を質問してみたかったのですが叶わず、この資料だけでも助かりました。
亀之城周辺図

亀之城の北西~北東は丘陵地、南東~南の平野部の住宅街は川内川の氾濫域と思われるので、湿地orかと思います。

〇薩摩国分寺史跡公園:堂・塔・回廊の伽藍配置の表現が為されています。

〇安国寺:後醍醐天皇、元寇の役、南北朝の争いの戦没者の供養のために足利尊氏、直義兄弟が各国に一寺づつ造った寺で実際には既存の寺を改めたものも多かった。昔の安国寺は育英小学校から国道267号線の辺りまで大寺であったようです。
現在の安国寺は浄土真宗の寺として廃仏毀釈後の再興。

〇泰平寺:和銅1年(708)創建。豊臣秀吉の九州攻めで島津義久が秀吉に降伏したところ。和睦像や和睦石がある。

〇宅万寺跡:豊臣秀吉は泰平寺を本営と定めたため泰平寺住職はこの宅万寺へ移った。廃寺だが五輪塔や12世紀の古い石搭あり。

●万葉の散歩道
前回の鶴峰窯でも触れていまる万葉の散歩道

大伴家持薩摩守として赴任した国府跡国分寺跡から川沿いに亀之城鶴峰窯跡方面に向かう道です。

道すがら大伴家持像短歌を刻んだ石碑が点々と置かれています。
万葉の散歩道の歌碑



前回Blog
2020/2/22 薩摩国分寺の瓦を焼いた 鶴峰窯
2013/12/29 九州攻めの一夜城?猫岳
2008/3/25 秀吉の九州攻めで最後まで抵抗した城、平佐城

               
亀之城 地図
JR 九州新幹線肥薩オレンジ鉄道川内」駅下車、北へ徒歩50分。
肥薩オレンジ鉄道上川内」駅下車、東北東へ徒歩32分。
駐車場:なし
トイレ:なし

近くには、すぐ北側に鶴峰窯跡。南東に薩摩国分寺跡。南南東に碇山城。南に平佐城。北東に鶴ヶ岡城。北東に斧淵城。南西に隈之城麓二福城。西に宮里城、猫岳

2020年2月22日土曜日

薩摩国分寺の瓦を焼いた 鶴峰窯(つるみねがま:鹿児島)

鹿児島県薩摩川内市中郷町5893
鶴峰窯跡

薩摩川内市薩摩国府薩摩国分寺が置かれたところで、鹿児島第2の都市なのも頷けます。
一号窯跡案内板

国分寺跡から北北東に1kmほど行ったところにあります。
一号窯跡

子供の頃に見た防空壕跡のような印象!
一号窯アップ

案内板によれば一号窯の中から平瓦丸瓦発掘され国分寺に使用されたであると確認されました。
二号窯跡・三号窯跡 案内板

案内板二号窯前にあります。
三号窯はさらに東へ100mほど先になります。ナドの須恵器が出土していますが道路開削埋め戻しで見学できません。
二号窯跡

二号窯からは平瓦丸瓦の他に軒丸瓦軒平瓦鬼瓦出土しています。


鶴峰窯薩摩国分寺跡史跡に含まれます。
薩摩国分寺跡公園廻廊ナド塔中の位置表示が為されており傍らの川内歴史資料館に駐車すればユックリと見学できます。
時間があれば薩摩国分寺跡から万葉の散歩道薩摩守 大伴家持の心持ちで鶴峰窯まで歩くのもアリかとおもいます。
国分寺跡の隣接西側国府跡ですが住宅街で区画も変わり偲ぶものは無さそうです。また、薩摩国分尼寺川内川対岸薩摩川内市天辰町辺りに比定されているようですが未確定です。

Link:薩摩川内市川内歴史資料館H・P

過去Blog2013/12/31 隈之城にある二福城
2013/12/29 九州攻めの一夜城 猫岳
2008/3/25 秀吉の九州攻めで最後まで抵抗した平佐城


鶴峰窯跡 地図
九州新幹線鹿児島本線川内」駅下車、
駐車場:なし。正面道路脇に駐車余裕あり(OKかは不明)
トイレ:なし

近くには、南西に薩摩国分寺跡太平寺跡(秀吉&島津兄弟像あり)。平佐城。南に碇山城中郷の古城跡(亀井城)。

2020年2月19日水曜日

鹿児島の 鶴丸城 と私学校跡(つるまるじょう、しがっこうあと:鹿児島)

鹿児島県鹿児島市城山
■鶴丸城
再建前の御楼門跡

もうすぐ完成の御楼門附近の過去画像(2009)
鬼門除け石垣

こちらも過去画像になります。鬼門避けのため折れのある入隅石垣となっています。
北御門跡

ここを渡ると黎明館です。
北御門の土橋から城山側

城山の麓でおわる。
現在 空堀となっているが かつては水堀だったのだろうか?
黎明館案内板

本丸二の丸方形の曲輪が二つ並んでいて二の丸はには無く一段低い。
本丸より一段高い城山側の曲輪

ココから上がると御池茶室民家があります。
ただし当時の茶室ではないようです。
御池

御池遺構ではなく、一度取り破壊されて 後に再現されたようです。
聚珍宝庫跡

聚珍宝庫25代島津重豪外国書物標本ナドを納めるを建てたところ。
因みに、重豪乱癖大名で有名、斉彬も血筋とゆこうとでしょうか?
天璋院像

たしか、
この像は大河ドラマ天樟院 篤姫」の放映を期に建てられてと記憶してます。
本丸御殿の麒麟の間、庭園跡

植込み列御殿麒麟の間ナドの建物位置を表現しています。
写っている灯篭もこの辺りのにあったようです。
御楼門・御隅櫓復元のための石材退避?

御楼門ナドの復元作業のための一時保管されているようです。
案内図(本丸)

本丸から駐車場まで平坦で旧状がわかりにくい。間に石垣土塁が存在したのだろうか?
二の丸から本丸

二の丸の西側のこの辺りの石垣を見た目から判断すると、後世に積まれたもののようです。
本丸-二の丸間を仕切る堀があったところ

二の丸県立図書館にも寄りたかったのですが時間に余裕が無く二の丸へは降りていません。



■城山(上山城)
天文館近くから城山

正面の鹿児島県立博物館役所曲輪が存在したところ。写真右側の中央公園造士館演武館だったところ。
展望台から桜島

絶好の桜島ビューポイント
クルマで登るのが手っ取り早いですが麓から歩いて当時の気分で歩いてみるのも良いかとおもいます。
ただし山の上は遺構の現存度は低いです。
城山案内板

上山城は元は上山氏の城で島津氏が鶴丸城を築く以前に存在しました。



■私学校跡
「城山入口」交差点から

写っていませんが左手は本丸角鬼門除け隅入りの石垣のところ。右側は新納邸跡
私学校跡

石垣弾痕が生々しい!
西南戦争のきっかけとなった私学校が存在した所。
西郷をもってしても戦は避けられなかった!
かつての御厩曲輪で現在は鹿児島県立医療センターになっています。

過去BlogLi nk
2020/1/18 鹿児島の鶴丸城、御楼門 再建中
2020/2/7 鹿児島 鶴丸城内の博物館 黎明館

鶴丸城 地図(黎明館駐車場のところ)
JR新幹線鹿児島本線日豊本線鹿児島中央」駅下車、
駐車場:あり(黎明館利用で無料)
トイレ:あり

近くには、北に夏蔭城。東北東に祇園洲砲台。東に新波止頭砲台鹿児島旧港施設一丁台場。東南に大門口砲台。東南東に天保山台場がある。

2020年2月7日金曜日

鹿児島 鶴丸城内の博物館 黎明館(れいめいかん:鹿児島)

鹿児島県鹿児島市城山町7-2(黎明館住所)
■鹿児島県歴史資料センター 黎明館
黎明館駐車場から黎明館

鹿児島県歴史資料センター 黎明館駐車場にレンタカーをとめると、そこはもう鶴丸城 本丸です。
舗装部分にはかつて本丸大奥がありました。全面舗装のため様子が良くわかりません。
二の丸は写真右手の一段下にあり現在は鹿児島県立図書館となっています。
入場するとタイムトンネルのように!

先ほど調べたら令和1年7月(2020)に一部をリニューアル
して半年未満だったので見学し易く綺麗でした。
鶴丸城模型(1/100)

この模型を見てから城内を歩くと参考になる!
鶴丸城模型の銘板

図のように鶴丸城防御性はあまり重要視してなくの様相。有事に背後の城山(上山城)には籠れます。
慶長5年(1600)関ヶ原敗退徳川家康講和交渉しながら慶長6年(1601)築城開始慶長7年(1602)に講和成る!→慶長9年(1604)完成
あまり堀を大きく塀を高くすると敵心ありと疑われるからでしょうか?
志布志 内城 模型(1/100)

こちらの模型も けっこうデカい!
志布志市埋蔵文化財センターにも志布志城跡復元模型があるそうです。
志布志城

志布志城は広範囲にあり新城高城松尾城内城からなります。
行ってみたいが4城全てのを歩いたら丸一日掛かりそう?!
外城の 出水武家屋敷

元々はこの南に出水城があったが一国一城令廃城地頭仮小屋が設置されて出水武家屋敷が今に残ります。
2F展示室

2F明治維新辺りの資料が多い。
御楼門模型(1/50)

現在再建中御楼門模型輿レストラン喫茶・ショップ1F受付の外にあり何時でも見学・利用できます。
大河ドラマで使用された輿

ドラマの中で篤姫が乗った輿
そう云えば、
伊豆韮山代官江川太郎左衛門邸に行ったときに今泉島津家として使われ篤姫輿出立シーン江川邸ので撮影したと聞いたが、その時の輿でしょうかね~?
館内1F3Fまであり、3Fは時間が無くパスしてココを離れました。
黎明館入場券購入のときに駐車カードに証明してもらえば駐車料金は無料

Link鹿児島歴史資料センター黎明館 H・P

過去BlogLink2020/1/18 鹿児島の鶴丸城 御楼門 再建中

鹿児島県歴史資料センター 黎明館 地図
黎明館駐車場への道 地図
市電市役所前」駅下車、西北西に6分(御楼門再建中なので北御門跡から入場)
駐車場:125台、博物館利用で無料
トイレ:あり

2020年1月31日金曜日

大隅国 加治木館(かじきやかた:鹿児島)

鹿児島県加治木市仮屋町
西方から加治木館

加治木城から南南西に直線1kmの所の市街地にあり、加治木高校東の丸小学校資料館辺りが中の丸西の丸のようです。
いま調べているが明確に分かりません。
加治木図書館・加治木資料館

このときは休館でしたが館内には加治木館の模型が展示されています。
石垣をココで継いでるが!?

この継目の右が小学校、左が資料館図書館だが石垣の継目がある、これは西の丸を拡張した時のものだろうか? 後世の改変付けたしかは調べ中です。
ココは門跡のようである

小学校正門はすぐ右側にあり石垣は撤去されています。
小学校の案内板

案内図を参考にすればココは奥書院御対面所の辺りか?
中の丸-東の丸の間

はじめ堀跡かと思いましたが堀底道状の通路だったのようです。
案内板の図から兵具所の建物が渡櫓門のように見えますが如何でしょう?
その兵具所の後方には黒門がありました。
新納屋敷 敷地の角から東の丸

仮屋馬場通りの先の落込みが東の端になります。
ココは古城正門跡に当たり、電柱で見えないですが右裏門の2つが開いていたようです。
東の丸 古城正門

右側の護国神社参道は後世に開かれたようです。
島津義弘薨去の地の碑

島津義弘はココで生涯を終えました。
護国神社入口にある案内板

古くは加治木氏が加治木城にいましたが島津氏との争いで没落。
シンプルな縄張なのに境界がハッキリしない

島津義弘栗野城帖佐城平松城慶長12年(1607)に加治木城へ入ろうとしたが徳川幕府との兼ね合いで諦め中の丸東の丸からなる加治木館を新造し、義弘の死後に子である家久西の丸を増築しました。
これは幕末の図なので当時は違っていたかもしれません。
塀の笠木か?

の上にのっていたのでしょう。
門前の信号の辺りから南側

コチラは南側(鹿児島湾側)の日豊本線に向かって下っていきます。
東、西、南の3方に向かって下っており北側は落差がないようです。



椋鳩十文学記念館駐車場

加治木館の周りに駐車場は見当たらないので椋鳩十文学記念館を観覧して駐車場に置かせてもらいました。





加治木郷土資料館 地図

加治木館 地図
JR 日豊本線加治木」駅下車、西北西に徒歩8分
九州自動車道 加治木I・Cからクルマで2分
駐車場:なし
トイレ:なし

近くには、北北東に加治木城。東に。北西に蒲生麓、蒲生武家屋敷。