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2021年8月28日土曜日

高知城下 A(こうちじょうか A:高知)

■藩主下屋敷
高知高知市鷹匠町1ー3ー35(三翆園)
山内家下屋敷跡

藩主の下屋敷(別邸)で鷹匠公園三翆園の周辺です。
山内容堂西郷隆盛と面会したのもこの屋敷であり、明治時代になると山内家の本邸となりました。
鷹匠公園

下屋敷の場所は、元々はに囲まれた一角にあった数軒の家臣屋敷を移転させ藩主の屋敷を建てたようです。
山内家屋敷跡長屋展示館

この先に鏡川が流れているので奥には土手状に高まりがあります。


案内板

隣接するホテル三翆園から高知市長屋寄贈され、現在は無料公開されています。
長屋の展示から

銭箱などの道具類。
船の模型展示

夕顔丸土佐藩蒸気船
坂本龍馬から後藤象二郎への船中八策はこの船の中で行われた。他にも和船の数隻の模型があります。
三翠園側から長屋

ホテル三翠園からの裏側。
南から長屋

山内容堂西郷隆盛と面会したのもこの屋敷であり、明治時代になると山内家の本邸となりました。

山内家下屋敷長屋展示館:年中無休(臨時休あり)、入館無料
とさでん交通県庁前」停留所下車、南へ徒歩3分
駐車場:なし、近隣のコインP
トイレ:鷹匠公園利用



木曜市

この日はあいにくの雨でしたが鷹匠公園前の道路脇に毎週木曜日がたちます。
後方には下屋敷長屋が写る。
木曜市

売り物はイロイロありましたが自分は柑橘類を求めました。







■山内神社
高知県高知市鷹匠町2-4-65
山内神社 東参道

写真は旧山内家下屋敷長屋前の道路を登り切った所。
反対側の西参道からも参拝できます。
山内神社

廃藩置県の年である明治4年祖霊を祀るため社殿を造る。最終的に昭和15年に歴代藩主を合祀した。
山内容堂公像

像は大政奉還を慶ぶ山内容堂公となっていて、片手に盃を持っています。

駐車場:あり


■武市瑞山殉節の地
高知県高知市帯屋町2-5-18
武市瑞山殉節の碑

ひろめ市場を南側へ出た四国銀行の角です。
いやぁ~ 武市瑞山(半平太)はココで襲撃されたのですね~



■ひろめ市場(深尾広人邸跡)
高知県高知市帯屋町2-3-1
ひろめ市場

この付近に土佐藩の家老 深尾広人の屋敷跡に由来するのがひろめ市場です。
自分はココで藁焼き鰹のたたきをいただきました。

駐車場:あり(有料)
トイレ:あり


■北會所竝教授館跡
高知県高知市追手筋2-3
北会所竝教授館碑

教授館土佐藩最初藩校ジョン万次郎もココで講義をしました。
場所はひろめ市場の北側の道路(追手道)を隔てたところに石碑があります。



■立志社跡(中央公園)
高知県高知市帯屋町1-11-27
立志社跡

自由民権 板垣退助らが立ち上げた立志社の跡地。
今はが建つのみ。

とさでん交通はりまや橋」と「堀詰」停留所の中間
駐車場:なし
トイレ:公園内にあり



■はりまや橋
高知高知市はりまや町1
はりまや橋の堀跡

模擬的に堀割りが表現されている。
はりまや橋

コンクリート再現で短いですが、その昔に播磨屋さんが実費で架けた橋。

とさでん交通はりまや橋」駅下車、北へ1分以内


■高知駅前
高知高知市来た本町2-10-17
土佐三志士三傑の像

高知駅前の武市半平太坂本龍馬中岡慎太郎の銅像
高知駅前

高知観光情報発信館とさてらす」(レンタサイクルあり)
パビリオン龍馬伝幕末志士社中(龍馬伝の撮影セットあり)
お土産販売あります!
パビリオン「龍馬伝」幕末志士社中

大河ドラマ龍馬伝」の撮影セットが移設されています。
模型

龍馬伝」撮影風景の模型
喫茶コーナー

一部の部屋が喫茶コーナーになっています。
内部を一周するとココに出ます

屋敷内に水路が流れてます。
セットとはいえ中々よくできたものです。

JR土讃線「高知」駅下車、とさでん交通高知駅前」停留所下車



■新堀川 堀割り発掘現場
高知高知市菜園場町1
国道55号線の橋の上から新堀川
 
現場は横堀公園西側の新堀川です。
横堀新堀2つの堀を総称して新堀川となったようです。
新堀川の発掘現場

護岸を発掘したところ4.5mあったそうです。更に護岸の内側に石積みが出土した模様です。
*訪れた時から月日が経っているので現在どうなっているか不明?

■武市半平太邸跡、道場跡
高知県高知市菜園場町1(横堀公園)
高知高知市桜井町1-2-31(絵図による実際の位置)
横堀公園

を中心としてみると横堀の外側横堀公園があり、その北側に武市半平太邸跡とその道場跡立看板があります。
案内板 1

中岡慎太郎岡田以蔵らが世情を語り合って剣の鍛錬したところ! 何も残りませんが感慨深いですね~
案内板 2

この案内板のお陰で本来の武市邸の位置を確認できます。
公園から実際の武市邸跡を見る

上の案内板によると正面に見える駐車場の隣のビルの辺りと思われます。


横堀公園 MAP(案内板のところ)
とさでん交通菜園場町」停留所下車、北北西に1分
駐車場:なし
トイレ:あり

2017年12月12日火曜日

小田原城 早川口 二重戸張土塁 調査見学会(おだわらじょうはやかわぐちふたえとばり:神奈川)

神奈川県小田原市南町4-4
小田原駅西口「早雲公」像

2017/12/2に 早川口 二重戸張発掘による調査見学会があったので行ってきました。 
まずは、駅で早雲公に挨拶して徒歩で20分程遺構を目指します。
早川口遺構入口(国道135号沿い)

小田原から国道1号線135号線の「早川口交差点を越え80m程でこのポイントに着きます。
早川口遺構入口

現場は、それほど広い範囲ではありませんが、想定外!が幾つか有りました。
3トレンチ

入ってすぐ左側。
受付で資料をいただきました

現場の説明をかいつまんで、
①この場所での発掘は初めてである。
②明治時代に庭園として改変されている。
③二重土塁間の堀とされる窪みは江戸時代に水田だった。
④その窪みは小田原大海嘯で打寄せた砂の捨場になった。
⑤土塁低層を川原石で葺き、そこを盛土で覆って土塁が構築されている。
調査見学会資料より(加筆)

⑥過去に浜町の外郭土塁で大量に石が出土→それと同じ状況と推察される。
⑦鉢形城の土塁の石積との共通点がある!?
⑧2本の土塁の間から石敷き通路と思われるところがでた。
⑨石敷がもっと続いていたら土塁間は堀は無く通路だった可能性もあり。
⑩8トレンチの平石列は側溝の蓋かもしれない(掘らないとわからない)。
⑩絵図ナドから土塁は二重であるのは確かでる。
1トレンチ

ココは石垣が2段になっていました。
手前に見える砂の層明治時代に起きた小田原大海嘯砂を処分したゴミ捨て穴のようです。
5、6トレンチ

城内(内側)を見る。撮影者後方が城外
6トレンチ

早川ものと思われる川原石を葺き、その上にを盛り上げた土塁であったようです。
これは、低部石で固め早川氾濫に備えた造りであったのであろうか? ←私見
7トレンチ

粘りのある土なので江戸時代水田跡であろうとのことです。
8トレンチ

石葺きとその上層の土の状態が分かる。
真中辺りの平たい石側溝蓋の可能性あり。最奥は石敷き
8トレンチの石敷き

土塁でなく、土塁に沿った道路? 或は虎口通路部分?今まで認識は二重土塁、今後の調査で変わるかも!!
外郭の堀だったはずの水路

調査地外ですが、
当時の堀幅が気になり聞いてみたところ、土塁から1間半(2.7m)くらいと仰っていました。
チョット狭くない?? と感じたが、早川蛇行氾濫ナドで前面は天然の要害(湿地帯)とも考えられるので不足は無いか!?
早川から対岸の小田原城方面

太閤目線! 見えてる範囲は小田原城ですが今は西湘バイパスばかりが目出ちます。早川口二重戸張は直線300mくらい先です。

今回、来てみると陶器片ナドの出土は無く、障子堀も発見されていません。無いのはいわゆる撹乱でしょうか?
ただし、土塁の一部に石が使用され通常の土塁形態と違っているので、この先の発掘範囲を広げたら何が出るか楽しみです!!
この他、4トレンチも大量の砂と水田跡が埋っていました。

終了後、ういらう屋さんに寄って、常盤木門2FのSAMURAIの館をみて家路につきました。

早川口二重戸張 地図(案内板のところ)
JR小田急箱根登山鉄道小田原」駅下車、西南西へ徒歩20分
箱根登山鉄道箱根板橋」駅下車、東南東へ徒歩10分
JR 東海道線「早川」駅下車、北北東へ徒歩10分

2017年8月11日金曜日

真田丸 と云われるところ(さなだまる:大阪)

越中井から真田丸へ(坂の下が惣構え)

以前より自分の足で真田丸を探してみようと思いつつ、果たせずにいましたがやっと来られました。
昨年の大河真田丸」で大いに盛り上がり、広島中央図書館蔵の真田丸図より、更に古いと云われる大阪「真田丸」松江市で新たに見付かり、その実態が解明されつつあります。

◆真田丸

大阪府大阪市天王寺区餌差町2付近
真田丸の北側下方

絵図の中心と思われる大阪明星学園心眼寺興徳寺大應寺とその周辺を廻ってみました。
真田丸と出丸の間の堀跡か?

写真の建物側を真田丸出丸とし道路(水色線)をと見立てるか?
学校敷地内出丸がありグランドの下に埋没とみるか? 悩ましいところです!?
心眼寺

ココまで来ると中核部に近いかな!?
ワクワクします!

真田信繁墓所

心眼寺海野氏が同族真田信繁を悼み建立、大坂の陣後に建てられています。


明星学園前の真田丸顕彰碑

絵図に「此道2丁程」の書込みがあります。
撮影場所から惣構え堀が存在したとおもわれる所まで2丁約218mで、湾曲した道路形状距離ほぼ合致しています。
同じ場所から反対側の大手方面を見る

真田丸大手堀は何処かと見渡してもそれらしいところは無い!
やはり台地堀切って外部とは土橋で繋がっていたのでしょうか??
心眼寺 北側の段差

この道路辺りは塁線?



真田丸 地図 (心眼寺のところ)
大阪市交通局玉造」駅、2番出口から南西へ徒歩4分
JR玉造」駅下車、西南西へ徒歩8分

◆三光神社・宰相山

大阪府大阪市天王寺区玉造本町14 付近
三光神社

三光神社宰相山公園落差も東の防御ラインとして良い立地とも思いますが、攻城側の前田家がを張ったところと云われています。
真田の抜穴(前田軍塹壕とも・・・)
の中は見たことないけどどれくらいの深さなのか?


抜穴の前方の真田幸村公像

清水谷から宰相山まで含めると上田城本丸二の丸ほどの(外堀除く)城郭になり大規模過ぎると感じています。

三光神社社殿軒下

宰相山は防御せず、引っ掻き回すため陣との間に、柵や逆茂木を配置し閉塞空間を造って敵の動きを抑制、攻込んで斜面に追い落とすナド縦横に動き回ると効果的な場所ともおもえます。
「真田まつり」毎年開催

妄想が入ってきましたが、
攻城側を堀と塀で守るだけの作戦であれば大軍を引受け相手に大損害を与えられないでしょうから攪乱の口も必要かと・・・
宰相山公園

また、寄せ手の全軍が三光神社、宰相山に陣取ることは出来ず、隣の陣所との兼ね合いから
大半は斜面下の平地に陣を張ることになるかと思います。



◆大阪府大阪市天王寺区真田山町(真田山公園)

真田山公園


徳川方よりどれほど破壊埋立てされたのかも不明なうえに、学校陸軍墓地運動公園化、その他宅地化削平or盛土で大きく変わっているので「良くわからない!」とゆうのが感想です。
今後、発掘研究が進んだら、また訪れてみたいとおもいます!!