2024年2月27日火曜日

サントリー美術館、茶人大名 織田有楽斎(さんとりーびじゅつかん:東京)

東京都港区赤坂9−7−4  東京ミッドタウンガレリア3F
サントリー美術館エントランス

現在開催中の400年遠忌記念特別展示大名茶人 織田有楽斎 」を観てきました。

織田信長の弟である織田長益有楽斎と名乗り、その江戸屋敷跡は東京千代田区有楽町にあり 現在ではでもその名が残されています。
有楽斎一筆箋を購入

展示ブース
第1章 織田長益の活躍と逸話 ー逃げた男と呼んだのは誰か
第2章 織田有楽斎の交友関係
第3章 数奇者としての有楽斎
第4章 正伝永源院の寺宝
第5章 織田有楽斎と正伝永源院 ーいま、そしてこれからー

陽明文庫 所蔵信長公記 巻14、15(原本 太田牛一)」があり、その他茶器大名茶人ナドとやりとりをした書状茶器ナド戦国好きにはたまりません。
ゆっくりと書状をみてきましたが崩字がシッカリ読めないのが残念!
もっと勉強します!!


*会期は2024/3/24迄
展示は撮影禁止🚫なので写真は入口だけ!!

蛇足。
ココ東京ミッドタウンの辺りは萩の毛利家 下屋敷跡です。

過去Blog

都営地下鉄東京メトロ六本木」駅下車、北へ徒歩3分
駐車場:あり(有料)
トイレ:あり

近くには、東北東に今井城。北東に勝海舟邸跡。南に長府藩毛利家下屋敷跡。

2024年1月11日木曜日

常陸国分寺、国分尼寺跡(こくぶんじ、こくぶにじ:茨城)

■常陸国分寺
茨城県石岡市府中5-1-5
中門跡

聖武天皇が全国68ヵ国に発願の国分寺と。今でも同じ場所に営まれています。
写真の手前のところは参拝者用駐車場です。
現在の国分寺山門と本堂

奥に見える本堂と書院に重なるところに鐘楼が建っていました。
金堂跡

金堂跡と薬師堂は一部カブっています。これはお堂の位置を踏襲したのでしょうか??
金堂の礎石のようです

いくつかある礎石発掘したものを地表展示しているのでしょう⁉︎
金堂跡碑

金堂の物証は碑と礎石のみです。
講堂跡

ココも礎石が点在しています。
七重塔心礎

はこの場所ではなく回廊の西方に離れて建っていたと思われている。
都々一坊扇歌堂

「どどいつ」の起源の都々一坊の扇歌道。
七・七・七・五 の節回しの都々逸は昭和の時代にTV演芸で漫才・落語ナドと共に良く流れていました。
国分寺パネル(ふるさと歴史館)

常陸国分寺は正式には「金光明四天王護国之寺」と云うそうです。
常陸国分寺模型(ふるさと歴史館)

この模型を見てから現地へ向かいました。
国分寺・国分尼寺出土品(ふるさと歴史館)
いしおかイベント広場

自分はココに駐車して歩いていきましたが国分寺前にも参拝者用駐車場あります。

イベント広場の案内板

JR常磐線「石岡」駅下車、北西に徒歩11分
駐車場:参拝者用あり
トイレ:あり




■常陸国分尼寺
茨城県石岡市若松3-1
常陸国分尼寺入口

小学校の北辺。この中にクルマを止めさせていただきました。
常陸国分尼寺石碑

常陸国分尼寺は正式には「法華減罪之寺」と云います。
国分尼寺全景

礎石基壇が保存されています。瓦など出土物ふるさと歴史館に展示されている。
案内板

この国分尼寺佐竹氏が大掾氏の府中城を攻めた際に焼失しました。
案内板より

国分寺と違い塔は無かった⁉︎ようです。
回廊跡

植込み回廊幅の展示のようです。
金堂跡

土壇金堂の位置が分かります。
金堂跡から講堂跡

金堂の北にある講堂跡。
北方建物跡

さらに講堂の背後にある北方建物と呼ばれるところ
これらは食堂とか経蔵ナドであろうか?


JR常磐線「石岡」駅下車、北西に徒歩26分
駐車場:国分尼寺1枚目の写真のところに停めました。
トイレ:あるようですが使用できるか未確認。

2024年1月9日火曜日

常陸国府跡(ひたちこくふ:茨城)

茨城県石岡市総社1-2-10
常陸国府跡石碑

前回の府中城と同じところにある常陸国国府跡てす。
この石岡市ふるさと歴史館前にあります。

全国国府の中でも常陸国府初期〜晩期まで同じ場所で建て替え機能していたようです(7世紀~11世紀 およそ300年間)。
ふるさと歴史館前の案内板

私の記憶に依れば、
豊穣な常陸国親王任国で代々親王が国主として治めていたようです。
案内板の写真拡大

下の写真の辺りに建物跡ナドが出土しています。
案内板写真の現状

この他にも小学校の地中には広範囲に正殿・前殿ナド建築跡が存在しております。
常陸国府 全体図 パネル

国府中心建物は小学校校庭辺り。
検田帳 レプリカ展示(ふるさと歴史館)

当時の文字が見られます。
検田帳パネル(ふるさと歴史館)

当時の様子を知ることができる一級資料ですね!
出土品(ふるさと歴史館蔵)

発掘で見つかった国府
常陸国府周辺(ふるさと歴史館)

石岡市には史跡が点在し見所満載!
外城遺跡パネル(ふるさと歴史館)

外城遺跡には常陸国茨城郡郡衙(郡役所)が存在したと思われています。
外城中世の城館石岡城とも呼ばれており、古代の寺跡ナドがありますが時間の都合で寄っていません。




JR常磐線「石岡」駅下車、西へ徒歩13分
駐車場:門の外に駐車できました(確認必要か?)
トイレ:あり

2023年12月12日火曜日

府中城・石岡陣屋(ふちゅうじょう、いしおかじんや:茨城)

茨城県石岡市総社1-2-10 ふるさと歴史館のところ
石岡陣屋門(移築)

今回は石岡市大掾氏の府中城松平氏の石岡陣屋です。

この門は明治維新後に小学校校門として利用され平成になってから元の場所に近い現在地に移築されました。
陣屋門案内板

水戸家 徳川光圀の弟の松平頼隆府中藩立藩した。
案内板図拡大

石岡藩会所目付役所ナドは堀の外(府中城本丸の南側)にあったようです。
陣屋門脇から土塁

陣屋門の辺りから本丸角地の土塁が見えます。
ふるさと歴史館へ向う

この道を直進し次の角を小学校に向かう。
これが次の角

ココを右へ折れ直進、小学校敷地内に府中城中心部・常陸国国府跡・ふるさと歴史館がある。
門を入ると 府中城の土塁 案内板と土塁がある

後ろに土塁と奥にふるさと歴史館が見える。
府中城の土塁 案内板の縄張図

案内板劣化で判読不能読のため本文を載せます。
「府中城は、正平年間(1346-1370)大掾詮国により築造されたといわれる。天正十八年(1590)十二月大掾清幹が佐竹義宜に攻められ落城した。
 落城後は、義宜の叔父佐竹義尚が城主となり、慶長七年(1602)佐竹氏の秋田国替後は、六郷政乗がこれを領した。その後元禄十三年(1700)松平頼隆が封じられ、この地に陣屋を置いた。
 城の規模は東西約五〇〇メートル、南北約四〇〇メートル 、本丸・二の丸・三の丸のほか、箱の内出丸、磯部出丸、宮出丸、を備え、また、堀・土塁をめぐらした堅固な城郭であった。現在では、土塁や堀の一部が残されており、当時をしのぶことができる。」
土塁と堀跡

陣屋門の奥に見えた土塁はこの先の部分。
右の建物の下は堀跡ののようです。
陣屋時代も堀・土塁は機能していたとようです。
石岡市立ふるさと歴史館

国府国分寺府中城陣屋関係の展示は少なく城址模型もありませんでした。
府中城パネル

恋瀬川山王川に挟まれた台地上に存在します。

MAPを頼りに現地に赴いてもピンときませんがこのパネルと照らし合わせてみるとおぼろげに全体像が見えてきます。
中世常陸府中の様子パネル

恋瀬川山王川の間に古代から中世史跡が広がっています。右端の方は霞ヶ浦になります。
領主たちの年貢関係文書パネル

六郷政乗、②皆川隆庸、③皆川成郷、④松平信綱
陣屋門案内パネル

藩士回顧録の写しの図面が載っている。
天狗党による刀傷と案内パネル

やはり天狗党は血気盛んで、お寺でも暴れたようです。


また、
二の丸の方にもが良好に残っているようです。
常陸国総社宮社宝には漆皮軍配(伝・太田道灌奉納)。漆皮軍配(伝・佐竹義宜奉納)があります。

JR常磐線「石岡」駅下車、西へ徒歩12分
駐車場:ふるさと歴史館
トイレ:ふるさと歴史館

近くには、南東に外城。東北東に常陸国分寺跡。北に国分尼寺跡。西に志筑城志筑陣屋。南西にに中根長者屋敷。東北東に竹原城がある。

2023年10月19日木曜日

かつての江戸氏の本城 河和田城(かわだじょう:茨城)

茨城県水戸市河和田999(報佛寺)
河和田城・報佛寺

河和田城の中核部ではありませんが報佛寺周辺の遺構を見てきました。
河和田城跡碑

山門前に石碑が建っています。
山門右手の堀

から右手には土塁がセットで残っています。
山門の左手

コチラは土塁のみでは埋められたようで駐車場になっています。
山門内から

土塁上に鐘楼
奥から門を振り返る

水戸大掾氏の支城として鍛治弾正(河和田入道)が築き、佐竹氏が水戸城を奪うと河和田城は廃城となり、江戸期江戸氏の支配地であった。
報佛寺駐車場の土塁

道路は堀跡を利用しているようにみえます。
上の写真と同じ箇所の土塁内側

正面の土塁を右に進むと山門があり、山門脇の駐車場とは別です。
北へ廻り込む

このお寺を一周してないが全体的に土塁が残存しているようです。
報佛寺の北から中核部

正面の林の辺りが主郭のようです。そこの水戸市教育センターの辺りに土塁がのこっています。

北側の天徳寺は写真右方奥。
報佛寺の北西角

前方の窪地はかつては大きめの堀・湿地で道路周辺は盛土のようです、開発であまり実感が湧きません。
北に流れる桜川水戸千波湖に流れ落ちています。

.参考 水戸市埋蔵文化財調査報告書71集 河和田城

今回は城跡碑がある報佛寺に向かいましたが中心部は水戸教育センターの辺り(土塁あり)と思わる。北側の天徳寺の辺りに二重土塁が残るようなので機会をみつけてそちらに行ってみようと思っています。


JR 常磐線 「赤塚」駅下車、南へ20分。
駐車場:参拝者用あり
トイレ:未確認

近くには、東北東に水戸城武熊城。東に吉田城