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2020年1月18日土曜日

鹿児島の 鶴丸城、御楼門 再建中 (つるまるじょう、ごろうもん:鹿児島)

鹿児島県鹿児島市城山町7-2(黎明館住所)
御楼門復元案内

正月休みを利用して完成間近の御楼門の見学者通路に行ってきました。
黎明館前からフェンスに沿って行く

現在 工事中での通り抜けが出来ないので北御門跡が最寄りになります。

見学者通路はは2020/1/21まで!

あと数日で見学通路の公開は終わり。
現場の様子はwebでライブ配信もしています。
御楼門覆屋

正面が見学者通路の入口
見学者通路から冠木

これは檜材
展示パネルと工程のサンプル

見学者通路はこのくらいの広さ。
屋根に使用される瓦

.
屋根の下地の釘止め見本

.
何通りかの組み物見本がある

バラスことができるがこれはシッカリ組まれていて固かった。
御楼門に繋がる塀跡

塀もじきに再建されるでしょう。
*塀跡のホゾ穴は明治以降に彫られたものかもしれません!2020/2/9
天璋院 篤姫像

大河ドラマ「天璋院篤姫」の頃に建てられたようです。


再建前の門跡(2009年)

現在御楼門跡は再建のため2020/3月まで通行出来ません。
石垣には弾痕が残っています。

*2020/4/11 御楼門の完成式が行われました!

鶴丸城 御楼門 地図

市電 「市役所前」駅下車、西北西に5分
駐車場:あり(黎明館P)
トイレ:あり(黎明館利用)


2018年6月14日木曜日

奈良市高畑の史跡 頭塔(ずとう:奈良)

奈良県奈良市高畑921
西方院山城周辺を歩きながら頭搭へ!

奈良時代の仏塔と思われる、国指定史跡 頭塔がG・Wに特別公開されていたので見学してきました。
ホテルウェルネス飛鳥路から入る

特別公開時は自由に通れますが、当然 ホテルの宿泊者が居るので静かに通過! 駐車場は🈲利用禁止
頭塔の復元部を北東角から

各層に屋根が葺かれていたようです。外周には木製デッキが廻っている。
案内板から1

30m x 30m x H10m ,7段の版築を石で囲んだ塔で、1面に11体、4面で44体の石仏が納められていた。
案内板から2

奈良時代の僧の日記に土塔と書かれているが、平安時代に早くも玄昉の首塚であると書かれているそうです。 土塔(ドトウ)が訛ったのと玄昉の首塚説と併せ頭の搭(ズトウ)となったようです。
重要文化財の石造の1つ

仏様が44体納まっていたが、現地では28体しか発見されていません。
その中に大和郡山城の石垣の中に同様の石像があり、どうやら石垣用材として頭搭から持ち去られたモノらしいです!?
上の石仏の拓本

拓本では中央に如来、両脇持仏、下方に2持者がわかります。
南面の露天石仏

復元されていない部分は露天に石仏が置かれている。
頭塔の南側

過去に発掘調査が為され、北半分の2面を復元、南半分は現状維持としている。
受付でいただきました

入場には¥300也の協力金が必要ですがリーフレットとクリアファイルが付いてきます。
南側の門

通常 空いていません! 特別公開していない時は「史跡頭塔保存顕彰会(FaceBookあり)」に申し出ればこの門から入れてもらえます。
*現在はホテルウェルネス飛鳥路で受付しているようです(9:00-17:00)。

*類似の塔に大阪府堺市中区の大野寺 土塔(国指定史跡)がある。

頭塔 MAP(ホテルウェルネス飛鳥路入口)
近鉄奈良線「近鉄奈良」駅下車、南東に徒歩19分。
ホテルウェルネス飛鳥路前に「破石町」バス停あり(奈良交通)
駐車場:なし(南へ100mに、コインP有)
トイレ:なし

2017年12月19日火曜日

ユネスコ世界記憶登録記念 上野三碑 シンポジウム(こうづけさんひ:東京)

東京都江東区青海
船の科学館駅前から東京国際交流館

お台場の東京国際交流館で上野三碑が「ユネスコ 世界記憶」登録記念(2017/10/24)で群馬と東京の2ヶ所のシンポジウム開催のうち東京の回です。
会場入口までポスター!

海外からは韓国から朱甫暾氏、盧重國氏、中国から拜根興氏。各国の教授を招いてのシンポなので他国との関係ナドを知るチャンス! と申込みました! それぞれ通訳付き講演。
*金石文は金属や石に文字が刻まれた銘文。
シンポジウムの資料(全110ページ)

高句麗で多く造られ5世紀の好太王碑ナド巨大な碑も建てられている、それが新羅に伝わると中国の様式も加わり6世紀に最も盛んになり7世紀後半に新羅では姿を消す。(当然、百済や任那にあります)
上野三碑は7世紀後半から8世紀初頭に造られ、その後日本の他の地方でも造られなっていきます。
韓国の盧氏、朱氏ともに渡来した新羅の石碑文化と在地の融合で出来たと考えられるとしている。
近年、韓国では10年に1度くらい金石碑が発見されているが破損状態で発見されるものが多い。それに対して日本の碑の総数は多くは無いが狭い範囲に三碑が良い状態で残っているのは特筆すべきである。

一方、中国の日本金石研究に関して、日本に来た朝鮮通信使が拓本を持帰り、それを清へ朝貢した時に携えて行った。
それを元に清で日本の金石研究が為された。現在では中国での日本の金石研究の重要な資料となっている。

遠く、ベトナムのハノイにも314年の漢文の金石碑があるので、それも含めて日本の金石の議論研究も必要となっていくであろう! とのことでした。

上野三碑
〇山上碑

○多胡碑

〇金井沢碑
神亀3年(726)に三家氏が建てる。コチラも男女6人の個人名が刻まれている。中国・朝鮮半島では権力者以外には碑に名を刻まないそうです。

上野と渡来人
上野国には韓が語源の甘楽(かんら)、他に韓科(からしな)の地名も当時あった。
朱氏によると多胡碑がある多胡郡を「胡とゆうのはしばしば文化的差異をみせる異邦人を指す単語である」ことから新羅人を中心にした郡であろう、との見解です。
また、群馬県渋川市で6世紀に起きた榛名の火砕流で埋もれた 甲(甲冑)を着た人物が発見され話題になりました。この人物は調査で渡来人であるとわかりました、とても興味深い結果ですね。

なんか文章にまとまりが無くて恐縮です。
上野の上毛野氏、朝廷により移住させられた蝦夷(俘囚)・・・製鉄ナドの鉱脈探しや開発で渡来人が朝廷の意向で入植したとも考えられるのしょうか?
すると、蝦夷は労働力として移住させられたのか??
調べても限界がありますが妄想が膨らみます!

*三碑は鞘堂の中にありガラス越し見学だったりしますが2018年3月9・10・11 日の3日間公開されます。
山上碑 地図
多胡碑 地図
金井沢碑 地図

2011年8月15日月曜日

飛鳥の石造物 (あすかのせきぞうぶつ:奈良)

奈良県明日香村
大和郡山城と高取城のところで転用石に触れたので自分なりに分かる範囲で調べてみました。
■ 猿石5体(飛鳥に男、女、法師、権現4体+高取城1体。 高取町観覚寺の光永寺にある1体は除外)は
現在は吉備姫王墓に置かれている。 明日香村平野の畑で顔が半分露出(今昔物語にある石の鬼形か?)した状態にあったものが江戸時代の元禄15年に欽明天皇陵近くで堀りだされたもの。
詳らかではありませんが高取城二の門前に鎮座している猿石はこのとき一緒に掘り出されとされています。
なので石垣転用石ではなく、国学が発達した元禄期に藩から大切に扱われ二の門前に置かれた(守り神としたものか?)。
 いずれにしても石垣転用石ではなさそうである。 

■他の気になる石
 
●酒船石: 矢穴を開けて割られているのに多くの部分が残っているのは何故?

●鬼の俎・鬼の雪隠: 俎と雪隠で石室を構成。
なぜか岡の上に底である俎だけが残る。矢穴が多数あいており割ろうをした形跡がある、何のために?
蓋である雪隠はひっくり返った状態で下方に転落して(させられて)いる。

●もう一つの鬼の俎: 鬼の俎・鬼の雪隠の近くに同じような石室があったが、こちらは明治になってから割られ、個人宅の庭石にされてしまった! 現在は橿原考古学研究所付属博物館の屋外にこの割られた石が展示されています。
一説では、双墓で転落している鬼の雪隠はこちらの割られた俎とセットであったらしいのです。


これまで私は、これらの石は城の転用石にされてしまったのかと思っていましたが、必ずしもそうとは限らないようです。

それと鬼の俎や石舞台古墳は石室の上に覆い土があったはずなんですが、どんな経緯で剥がされてしまったのでしょう、
 はたして 飛鳥人があばいたのか?その後の人か?
 謎は尽きません。

猿石 MAP (吉備姫王墓)