2024年8月20日火曜日

三好氏の本拠地 勝瑞城・勝瑞城館(しょうずいじょう:徳島)

■勝瑞城
徳島県板野郡藍住町勝瑞東勝地179(見性寺) 
コンビニから勝瑞城跡公園(見性寺)

前方道路端が見えますが、撮影者が立っている(コンビニ)辺りにもがあったようです。

案内板には鎌倉時代安土桃山時代まで阿波讃岐淡路政治の中心地であったと書かれています。
遺跡勝瑞城館勝瑞城との2箇所に分かれており、戦乱の世になると本丸と云われる勝瑞城築造されたと考えられています。
道路を渡ったところ

周囲より微高地方形に近い本丸と云われるの周囲の堀が7〜8割ほど残残存しております。
堀幅道路開削ナドで狭くなっているように感じます。
県道14豪線沿いの案内板

勝瑞城部分は本丸としている資料がありますが、長宗我部氏の圧迫により急造された詰めの城との見解もあります。
案内板拡大

吉野川湿地
吉野川の流れは現在と違い、支流が多数分流川と湿地帯に囲まれた要害を形成していたようです。
案内板の図拡大

勝瑞城部分はお寺になったためか土塁がよく残されています。
東側の堀

この部分、写真手前からお寺入口にかけて埋められています。
北側の堀

側、西側は道路で狭くなっているようですが、コチラは耕作地のため城の雰囲気がよく残っています。
勝瑞義家の碑

この地には平安時代勝瑞氏が住まいしていました。
北側の堀に架かる橋

虎口であったようです。江戸時代の見性寺絵図にはがみえます(県道側のお寺正面は埋め立てられた模様)
内部から北西の角土塁

上の写真の虎口近くの北西角。コチラは土塁で守られています。
城跡案内碑

応仁の乱東軍の後方拠点となったと書かれています。十河存保が守る勝瑞城長宗我部元親が押寄せ、存保中富川の戦いに破れ讃岐に退去勝瑞城の命運が尽きたと書かれています。
三好家4代の墓所

見性寺三好家の菩提寺で、城の西方にあったが江戸時代にこの地に移転してきました。
三好之長元長義賢長治の墓所。



JR高徳線「勝瑞」駅下車、北西に徒歩7分
駐車場:参拝者用あり
トイレ:未確認



■勝瑞城館
徳島県板野郡藍住町勝瑞東勝地2-67-1 (勝瑞城館跡展示室)
勝瑞城館跡全景

勝瑞城館細川氏、その後は重臣三好氏が本拠地とし、
初めに勝瑞居館部分(枯山水庭園ナドがある)が築かれた。
案内板内の図

勝瑞城館勝瑞城(見性寺)がある信号の南西です。
城館内駐車場がある。
堀跡展示

コンクリートの溝の中の展示です。後ろに見える褐色部分堀の地表展示(復元)も架けられています。
堀の立体表示

上の写真の中を覗くと復元堀になっています。
堀跡(着色加工

勝瑞城部分と違い城館部のはほとんど土塁を伴わないそうです。
礎石建物(復元)

発掘調査に基づき礎石建物復元されています。
枯山水跡

礎石建物から眺められる位置に枯山水が存在しました。
礎石建物跡から全景

枯山水跡と別に、写真に見える入口と展示室の間に庭園(池泉式か?)がありました。
史跡 勝瑞城館跡展示室

この階段を上がると2階が展示室です(無料)。

展示室2Fから

奥のマンション手前にと更に手前が館跡で、鳥瞰図パネルの陰になる辺りが庭園池跡と思われます。
展示パネル 左側

発掘物展示棚テーマは、
・守護所勝瑞の成立
・守護所勝瑞の発展
・三好氏による勝瑞城下町の整備
・細川氏・三好氏の生活文化

展示の棚には陶器茶道具ナドが展示されています。
同パネル右側

御城印は少し離れたアポロステーション 勝瑞SS 武田石油さんに置いてあるそうです。 ※城館近くのENEOSでは無い!

また、初期の細川氏守護所アポロステーション勝瑞SSの北方です。

勝瑞城は昨2023年末に訪れました。冬場の写真ですが悪しからず。



JR高徳線「勝瑞」駅下車、北西に徒歩11分
駐車場:あり
トイレ:あり

近くには、北西に伝・細川氏守護所。南南東に轟城。南西に住吉城。北北西に川崎城

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