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2018年1月10日水曜日

東松山市の 足利基氏館(あしかがもとうじやかた:埼玉)

埼玉県東松山市岩殿
案内板と東側の堀(着色)

ココは足利基氏正式な館ではなく、岩殿山合戦で使用されたのようです。元からあった別のを改造したものと思われています。
1枚目の写真の堀を上から見下ろす

自然地形ではなく人為的に堀切っているのがわかります。
奥へ進むと・・・

土塁らしきところにでます。
全体に藪で夏だった写真にならないでしょう。
現地案内板地図から

東西180m南北80mとみられ、
九十九川、背後は現在ゴルフ場になっているため進入不可。
西側の堀と土塁

一度道路に戻り弁手池に向かう途中に館の西隅と思われる土塁跡があります。
弁天池

坂上田村麻呂龍退治の伝説がある。の前に駐車スペースあり。

岩屋観音(正法寺)

養老2年(718)開山。坂上田村麻呂参篭したと云われる。永禄年間の戦乱で荒れたが後に中興。
お寺のすぐ南に物見山があるが岩殿山合戦の由来であろうか??(足利基氏館から九十九川を挟んだ反対側の山)

足利基氏館 地図(案内板のところ)
東武東上線高坂」駅下車、西北西に徒歩30分
駐車場:あり
トイレ:なし


2017年8月14日月曜日

大坂の陣。茶臼山本陣 と 安居神社(ちゃうすやまほんじん、やすいじんじゃ:大坂)

茶臼山
大阪府大阪市天王寺区茶臼山1 付近
西の入口辺りから入ったところ

ココには天文年間大塚城がありました。
大坂 冬の陣徳川家本陣茶臼山に陣取ったようです。 夏の陣では真田信繁本陣を構えました。
同じ場所から一心寺

冬の陣ではココから一心寺の一帯に徳川家の兵が入りました。
すぐに頂上へ!

もう少し平らなところにポコリと盛上った小山を想像していましたが、予想以上に見通しが悪いですね!
茶臼山山頂

高楼を築かないと、徳川家康が眺めたであろう大坂城方面(北)も、真田信繁が見つめた徳川方(南)も窺えないのでは?
茶臼山、大坂の陣跡碑

三角点記号が付いているけど三角点風かなぁ??
標高26m
西側に下りました

この河底池は、その昔和気清麻呂台地切り通し大和川大阪湾バイパスしようとした名残と云われますが。 真実のほどは置いといて! 完成していたら大坂城東部の湿地が変貌して防御の在り様も変わっていたかもしれませんね。
大坂の陣石碑

冬の陣徳川夏の陣真田の両文字が刻まれています。
現地案内板

昨年の大河ドラマ絡みでイロイロ整備されたようです。
頂上の登頂記念案内板

証明書公園の茶臼山ゲート正面の一心寺 存牟堂発行しているようです。

茶臼山古墳利用陣城と思っていましたが、発掘調査盛土は行われているが葺石埴輪の破片ナドが出土せず、古墳とも、そうで無いとも判断が難しいそうです。


茶臼山 地図
JR 環状線。地下鉄 御堂筋線、谷町線「天王寺」駅下車、
近鉄 南大阪線「阿倍野橋」駅下車 、それぞれ北へ7~10分

駐車場:イージーパーク天王寺公園茶臼山(隣接・有料)
トイレ:あり


安居神社
大阪府天王寺区逢坂1-3
安居神社入口

一心寺から逢坂(国道25号線)を挟んだ反対側です。
同じく逢坂の東方に見る四天王寺の塔

四天王寺豊臣の一方の大将 毛利勝永陣所でした。
細道をゆく

立て看板の参拝時間注意!
こちらは表参道ではないようです。
真田幸村公像

最期の地真田松の傍で休息している姿でしょうか?
社殿

縁起がわからないくらい古く、天慶5年942)から菅原道真が祭られるようになったと伝えられています。 近所の四天王寺の建立時期を思えばさもあらん!といったところです。
北の参道

大阪城がある上町台地西の端立地しているのがよく分かります。
西の参道

当時の参道下の低地戦闘に適さないようです。
安居神社案内図

地図ナドには安居神社とか安居天満宮と2つの呼名が載っています。
付近に銘水も涌いているようですよ。


安居神社 地図 (写真の入口のところ)
駐車場:なし
トイレ:あり



2013年12月29日日曜日

九州攻めの一夜城 猫岳(ねこだけ:鹿児島)

鹿児島県薩摩川内市高江町
場所は、川内隈之城道路(全線未開通)を南下し、川内川を越えてすぐの高江I・C前の山が猫岳です。
案内標柱に導かれ路端に駐車し、かつての登城路とは異なるようですが秋葉神社がある頂上(120m)までつづら折れの階段が整備されていますが、ほとんどが階段なのですが小山と侮るとけっこうキツイ!!
鬱蒼とした山を秋葉神社まで登ると城砦の雰囲気が漂ってきます。
 頂上付近には土塁と堀の痕跡があり、南西に向けて数段の平場と、北東藪の中を覗くと平場が続いています。
  猫岳城とゆう記述は少ないようです、九州攻めの際に豊臣方が構えた付城or陣城としてみれば、猫岳城といってもいいでしょう⁉︎
 すぐ北西に連なった山にも猪子岳城と陣を張ったであろう南方神社があったのですが、時間の関係で鉢巻城ともどもパスしました。

周辺には小西軍などの旗が林立していたのでしょうね!
薩摩川内市は薩摩の国府の地で国分寺や府庁の瓦の窯跡などは整備されており、歴史資料館にも展示されています。
これに反して多数ある中世の城址ナドはあまり認識・宣伝されてないので、消滅してしまったところもあり、猫岳の遺構が当時のものであるならひじょーに勿体無いことです。
*2014/3/18更新中

薩摩川内市歴史資料館H,P
川内戦国村Link
丸竹産業H,P 戦国村の親会社、甲冑製作販売
猫岳 MAP (ココから上る)

近くには、西北西に川内戦国村高江麓、東に百次城、東に平佐城錨山城。北東に太閤道、薩摩国府国分寺がある。

2010年10月25日月曜日

謙信一夜城 ( けんしん いちやじょう:千葉 )

千葉県佐倉市王子台3-14
 この上杉謙信臼井城を攻めるため一夜で構築したとゆう単郭陣城です。
いまは案内図も無く一夜城公園となり城址碑が建ってしるばかりです。
さて、
謙信といえば、敵なしのイメージがありますが、
原胤貞守る臼井城攻めでは、どうしたことか? 二千の兵僅かな援軍しかいない城兵に翻弄され、多数の犠牲者をだし撤退してしまったそうです。
信州上田城の攻防然り、無勢のといえど油断なりませんね~

以前は虎口がのこっていたそうですが開発で消滅してしまいました。 
一夜城 地図
京成電鉄本線京成臼井」駅下車 南へ0.4km 約6分
駐車場:なし
トイレ :なし

近くには、 北に臼井城とその支城群雷電為右門のお。 東に佐倉城国立歴史民族博物館。 本佐倉城

2009年10月8日木曜日

関ヶ原は石田三成の陣所 (岐阜県)

岐阜県不破郡関が原町

以前に決戦の地家康最後の陣首塚へは来たことはあるのですが、きょうの笹尾山は初です、
松尾山上からは南宮山桃配山天満山松尾山が眺められ、三成は戦況が手に取るようにわかり、狼煙を上げた瞬間に勝利を意識したことでしょうね、ところが松尾山から小早川が攻めてくるとは!
嗚呼! 西軍無念(わたくし西軍贔屓です)

ところで、彦根ではひこにゃんに加えいしだみつにゃんしまさこにゃんが登場している模様です。

カメラ:携帯