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2012年4月14日土曜日

高田城 (たかだじょう:新潟)

新潟県上越市本城町6-1(三重櫓の住所)

これも2008年の訪問と過去画像になります。

登城1回目、
ライトアップされた三階櫓を撮りたく、就業後に夕刻の春日山駅から電車に揺られて高田駅に到着。

かつての外堀であろう川の写真ナドを撮りながら西堀に着いたときには薄暗くなり、ライトがアップにはいい時間時間になっていました。 暗がりで堀・土塁ナド絵にならない写真を撮りながら本丸へ近づいていくと・・・
あれ? 三階櫓のライトはまだ点いてない??
 ブラブラしながら待ちましたが、いつまで経っても点灯せず? 仕方なく意気消沈して駅へ向かいました。
いままで、撮影中に終了時間がきて消灯することはあったが、最初から真暗闇は初めての経験なのでありました。
しかし、節電ムードでもなかった2008年当時にライトアップされてなかったとは~~~~!!

登城2・3回目、
思いがけず日が高いうちに寄れ、御三階櫓の中にも入れたし、これで城址の全体像がつかめました。
三重櫓には門と櫓門の模型が必見! それに、三階櫓は なんといっても木のぬくもりがいいですね♪ 
これで悔しかったライトアップの埋め合わせができました♪
 特に、瓢箪曲輪は一部埋立てられているでしょうけど曲輪の形はそのまま、球場となっていたりして面白いです。
現在の城址は、高田公園ととなっており、春は花見で賑わい、夏には北堀、西堀に一面に蓮の花が咲き誇ります。
高田平野は、越後国の中心(国府)でもあります。
 上杉氏(春日山城)-> 堀氏(福島城)-> 松平氏(高田城)を それぞれ高田平野内を居城としました。


雪避けのためのアーケード状になった雁木の街並みなど、城下町らしく、また冬に来てみたいとおもう風情のあるところでした。

*三重櫓:冬季に臨時休館がありますが、開館日には「かんじき」の貸出しあり。期間などは観光課等へ問い合わせてください。
高田城 地図
JR信越線「高田」駅下車 東南東へ1.7km
駐車場:あり。 競技場や図書館周辺に P1~P7まで7ヶ所
トイレ :あり

他には、北に福島城。 北西に春日山城御館。 南に鮫ヶ尾城

2012年2月21日火曜日

直江津の港近く、福島城 (ふくしまじょう:新潟)

新潟県上越市港町2-16
 
 
上杉景勝越後から会津転封になると、堀秀治45万石春日山城に入城。
しかし山城の不便さと海運管理のためか? 関川河口直江の津(港)近くに福島城を築きます。

その後氏が改易になると、
松平忠輝75万石入城、蔵王堂城と同様に川の氾濫に悩ませれ、数年後には高田城築城移転
福島城は完成後 たった7年で廃城となりました。

福島城に築かれた石垣腰巻石垣あったようです。 
現在は何も無いですが、45~75万石の持ち城ですから立派なであったことは想像に難くないです。
場所は佐渡汽船直江津埠頭から東南300mほどのところに古城小学校があり、そこに城址碑石垣遺物とおもわれるがあります。詳細な場所は分からず城址碑のところが必ずしも本丸とではないようです。

*写真撮影は2009年

福島城 地図
JR上越線直江津」駅下車 北東へ2.2km 30分
駐車場:なし
トイレ :なし
近くには、南西に御館、更に行くと春日山城。 南に高田城。 南南西に鮫ヶ尾城がある。

長岡城 (ながおかじょう:新潟)

新潟県長岡市城内町2
はじめに。
2009年の写真のため、現在は再開発により二の丸碑周辺は厚生会館も取壊され、だいぶ様子が変わっているようです。
堀直寄は、蔵王堂城信濃川の氾濫被害に悩まされ、長岡築城に着手するも完成前に移封
城主は牧野氏に代わり、その後に完成・移転。 正保の絵図をみると、北北西外れの蔵王堂城址に当たる安禅寺方形に囲まれた状態で描かれており廃城後も出城として機能していたようです。
 北越戦争->廃城->大戦の空襲 で荒廃し遺構は何も残ってなく、長岡駅前本丸跡碑。今はなき厚生会館前にも長岡城址碑二の丸跡碑のみがある。
跡も何もよく分からなくなっているが「大手通り」や「千手」ナドの名が残るのでなんとなく位置関係が分かります。


今の姿からは想像できませんが、大河ドラマの1シーンで官軍に奪われた長岡城を奪還するため、高橋英樹 扮する河合継之助率いる長岡藩兵が銃を掲げて八丁沖湿地帯を渡っていくシーンが瞼に浮かびます。  シミジミ~


リンク:長岡藩の志士(長岡城ナドの戊辰戦争の史跡を絵図面付きで紹介されています)
長岡城 地図
JR上越本線上越新幹線長岡」駅下車 駅前が本丸跡。
駐車場:駅前の有料駐車場へ
トイレ :駅周辺に多数あり

近くには、北に河合継之介記念館山本五十六記念館、少し離れて山本記念公園に山本五十六の復元生家と胸像あり。 北西には蔵王堂城。 北北東に河合継之介墓所がある栄涼寺。 東の坂之上小学校の伝統館に城址模型あり(要事前連絡)。 南東の悠久山公園に天守のカタチをした長岡資料館あり。 南東に栖吉城

2012年1月29日日曜日

蔵王堂城 (ざおうどうじょう:新潟)

新潟県長岡市西蔵王3-2
 最近は城廻りになかなかかけず画像がたまってしまっているので、しばらく蔵出し画像をアップしていきます。あしからず! 今回は2009年画像です。
 このときは、ホテルで自転車を借りて金峯神社が鎮座する蔵王公園を目指す。 長岡市街を楽しみながら走るとそれほど苦も無く二郭であった金峯神社に到着。 やはり、駐車場の心配もなく自由に廻れる自転車がいちばんですね♪
必死で漕いでいくと鳥居に到着。
参堂を進むと一の鳥居のあたりに二郭堀があったようですが開発で堀も土塁も無く状況がよくわかりません。社殿近くには案内板があります。 そこから西側にみえる(当時は無かった!)を渡ると蔵王堂城主郭です。
 主郭跡には城址碑堀直寄像井戸跡(城址遺構の再現であるか不明?)ナドがあり、毘沙門堂すぐうしろの土塁に登ると信濃川がすぐ近くを流れているのがわかります。
堀直寄信濃川氾濫に悩まされ、そのため長岡築城を決したほどであるので湿地が広がる要害の地であったのでしょう。
城は南北朝時代には存在していたようで、蔵王堂(蔵王権現)の辺りに築城したから蔵王堂城と呼ばれています。
遺構はその主郭土塁の一部しか残ってなく、主郭土塁北側は工場地。本丸の西にあったは一部住宅と信濃河川敷となってしまったようです。 
浄照寺も城内ですが、どのにあたるのでしょうか?
上杉領を二分した御館の乱では景勝方に攻められら落城。戊辰戦争でも陣として利用され、その時に荒れていた古城跡を改修されたのではないかともおもいます。
城主は、中条氏->古志長尾氏->景勝家臣->氏->松平氏->氏->牧野氏->廃城





栄涼寺:河合継之介墓所
 蔵王堂城 地図
JR信越本線北長岡」駅下車 西へ1.3km。JR 信越本線上越新幹線長岡」駅下車 北北東へ2.5km

近くには、南南東に山本五十六記念館長岡城。 南東に牧野氏と河合継之介の墓所がある栄涼寺

2009年9月8日火曜日

新津城 (にいつじょう:新潟)

新潟県秋葉区山谷町2 (旧 新津区)

由緒が書かれている
教習所内
新津氏の居城で、年代は古く館は鎌倉時代から存在したようです。
新津勝資は上杉謙信の重臣の一人でしたが、慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封に伴い15代 新津勝資も一緒に移り廃城となりました。

JR東日本新津車両(製)から北へ400mほどのところにある新津自動車学校コース内に城址標柱があるのみで、残念ながら何も残っていません。

新津城 地図

2009年4月28日火曜日

長岡市郷土資料館 (あやしい天守:新潟)

新潟県長岡市

この資料館は長岡城内にあった櫓がモデルらしいが、
当の櫓を知らないのでよくわからんです!?
早速 中の受付けで料金を払います、
入ってみると わたくし好みの鎧、兜、刀、河合継之助で有名なガトリングガンの模造品に心を躍らせ、山本五十六関係の遺品、等を見ながら最上階へ・・・
ここからは長岡市を見下ろすことができます、新幹線のホームが目立つので今は亡き城の位置は大体掴めます。

その後、
「山本五十六記念公園」に寄り、時間外で閉館の「河合継之助記念館」、
栄涼寺で「河合継之助」の墓参りをしてその日は終了しました。

本丸の城址碑は長岡駅前にあり、二ノ丸碑は「厚生年金会館」の解体のため塀に囲まれて見られません。
城址の模型は「坂之上小学校」にある模様。

取り敢えずは怪しい天守が拝めたので満足して帰ってきました。

長岡市郷土資料館
怪しい小天守

蒼柴神社の牧野家












二の丸発掘中


郷土資料館 地図)

2008年11月22日土曜日

春日山城 本丸登城 (かすがやまじょう:新潟)

新潟県上越市
たまたま仕事がはやく終わったので、急ぎ足ではありますが春日山城頂上と文化財センターへ行くことができました。

春日山神社謙信公銅像前に駐車して登城しました。
謙信公も見下ろしたであろう日本海と上越の町を眺めると心が大きくなった気になりますね~~
が、ユックリする暇もなく文化財センターへちょっと寄って帰ってきました。
何はともあれ、本丸に立てたし 来年の大河ドラマ絡みの「直江屋敷跡」も見られて良かったで~す♪

春日山城の由来は麓に春日神社があったからだそうです。 神社名からすると奈良の春日大社の分社でしょう? 春日大社の神域「三笠山」に対し、春日神社の神域が「春日山」だったのでは? かとおもいます。

春日山城(livedoor 地図情報)
日本海まで見渡せる春日山城本丸
復元減毘沙門堂。謙信公はココで護摩を焚いたのか、感慨ふかし
直江屋敷跡

2008年9月7日日曜日

本丸まで辿りつかなかった春日山城 (かすがやまじょう:新潟)

上越市

早朝の僅かな時間しかとれませんでしたが、復元された濠と土塁・東城砦・林泉寺と春日山神社をめぐって参りました。

僅かな時間でしたが、じゅうぶんに堪能できました。
写真は後日

春日山城史跡広場地図

  ------画像追加しました------
東出丸より復元土塁と堀
東出丸2段目

林泉寺 伝、春日山城搦め手門

2008年9月2日火曜日

謙信亡き後に勃発した「御館の乱」舞台(おたて:新潟)

新潟県上越市五智1-22
小田原の北条氏康から関東の地を追われた関東管領上杉憲政のために長尾景虎(上杉謙信)が造営したで、謙信の政庁としても使われたと言われています。
現在は、信越本線から僅か数40メーターほど北側にあり、区画整理されたところに御館公園があり説明版があるのみです。


*御館の乱
 謙信亡きあと、二人の養子 景勝(長尾)と影虎(北条氏康7男)の跡目争い、越後を二分して争い約2年間続きましたが、景虎の自害で収束しました。

御館の現況は区画整理事業で遺構は消滅してしまったようですが、発掘時には実射されて変形した鉄砲玉、皿、かんざし、などが出土しています。

徒歩:JR信越本線「直江津」駅から西へ10分
地図(御館公園):新潟県上越市五智1-22