2017年4月21日金曜日

「屏風に遊ぶ 春のしつらえ」泉屋博古館分館(いずみやはくこかん:東京)

東京都港区六本木1-5-1
先日の小机城まつりは行われたようですが自宅周辺が雨だったのでパスしました!!
その代わりではないですが、泉屋博古館分館で開催の「屏風に遊ぶ 春のしつらえ  5/7(日)迄」へ行って参りました!

まづ地下鉄「青山一丁目駅」下車、泉ガーデンタワーとアークヒルズ・サウスの間に設置されたエスカレターから分館へ向います。
チラシ裏面

屏風、茶道具や新収蔵品ナドが展示されています。

その中でも目玉は寛永3年(1626)に徳川秀忠、将軍家光の招きに応じた後水野尾天皇の行幸を描いたのが「二条城行幸図」

貴族が乗る牛車の沿道には、いつも威張っている武士が平伏し その後方には遊山気分の庶民が描かれており。その対比が興味深いです。
他にもありますが今回は手短にします。
次回は「名刀礼賛 もののふ達の美学(6/1~8/4)」


因みに博古館分館は旧住友会館で、本館は京都鹿ヶ谷にあります。 もっと言えば住友の屋号は泉屋です。

Link :泉屋博古館東京分館(住友コレクション)


過去BlogLink:
2015/8/8 二条城part1
2015/8/8 二条城part2

博古館分館 地図

*2019/4/21編集中!

2017年4月8日土曜日

「弥生時代の 大塚・歳勝土遺跡」過去blog再構築

2014/8/15付けのBlog「弥生時代の大塚・歳勝土遺跡」はエラーを起こして未完成だったので再構築しました。


さて、
明日4/9(日)は 茅ヶ崎城、大塚・歳勝土遺跡から南南東へ直線4km程に小机城があります。そこで小机城址まつりが催されるので行くつもりですが、空模様がハッキリしないので心配です。

過去blogLink:
 2016/6/1 小机城
 2012/8/1 茅ヶ崎城

2017年4月3日月曜日

江戸、薩摩藩上屋敷(さつまはんかみやしき:東京)

東京都港区芝2-21、3-10、3-21、3-23、3-34、4-1、5-7 付近
少し前になりますが薩摩藩上屋敷跡に行ってきました。


JR「田町」駅と芝公園の中間辺りの日比谷通り(都道409号線)を挟んだ両側が薩摩藩上屋敷で、幕末の動乱で焼落ち、それが元で鳥羽伏見の戦いが起こったとされる戊辰戦争での因縁の地でもあります。
案内板アップ

跡地は再開発され、そこに含まれるセレスティンホテルと三井信託銀行芝ビルの狭間に造られたビル群の中の遊歩道「薩摩の小道」があります。
ガラス面に屋敷図をあしらったオブジェ

薩摩の小路は庭園をイメージした流水があり、その傍らには幾つかのオブジェがあり屋敷をイメージさせます。

夜のオブジェ


夜になるとこのように光ります。
上屋敷の北

この通り沿いに塀が繋がっていたとおもわれる所。
案内板をみると、道を隔てたNTT三田ビル側も「嶋津修理太夫77万石」となっているので、同屋敷地であるようです。
上屋敷北から南を見る

NEC敷地の隅はギリギリ薩摩上屋敷跡ですが、NEC本社ビルが建っている辺りは池田伊勢守屋敷になります。
NEC本社の「薩摩屋敷跡」石碑

NEC本社北側の歩道上に石碑があります。
この辺りは庭園ですぐ南(NEC本社ビル)は敷地外になります。


案内板の図を地図に照し合せると、地図上で屋敷地東側の折れが続く道が確認できるので、また確認しに行こうとおもって
います。


過去Blog Link: 2017/1/5 水野監物邸跡 (近く)

薩摩藩上屋敷「薩摩の小道」 地図
薩摩藩上屋敷「石碑」 地図

JR 山手線、京浜東北線「田町」駅下車、北へ5分
都営地下鉄「三田」駅「芝公園」駅下車、すぐ
駐車場:コインパーキング利用
トイレ :近隣のビル利用

近くには、北に増上寺 徳川家墓所。南東に水野監物邸跡。 南南西に江戸城無血開城 談判の地跡。 南南西に東海道高輪口木戸跡。 北東に芝離宮。

2017年3月12日日曜日

超・日本刀入門 静嘉堂文庫(ちょう・にほんとうにゅうもん:東京)

東京都世田谷区岡本2-23-1
静嘉堂美術館で「超・日本刀入門」開催中!
会期中の3/4のみ 刀匠、鞘師、研師、それぞれ3名の方の実演が行われたので、展示の刀剣も魅力的ですが今回は匠の技を中心にみてきました!
早いもので前回の静嘉堂文庫で催された「サムライたちの美学」から5年経ちました。
今回も国宝の包永ナド見どころ多しですが、展示物は撮影禁止なので実演紹介でいきます。

刀匠 コーナー

焼入れ時の土の塗り方、刃紋、その他モロモロ話が聞けたので、ヒジョウに勉強になりました。
原料の玉鋼や鍛錬された材

全体に、見て手で触れて、疑問点を質問すると答えてくれる形態になっていました。

鞘師 コーナー

鞘の削る自作道具や使用法詳しく説明。 
巾木と鞘の弛み対処法の小技ナドを聞いてきました。

とくさのヤスリ

ペーパーヤスリと比べて角をとり過ぎない(丸まらない)ナドの利点ナドを色々と教えていただきました。
ミニ鉋やら専門道具をみるのが楽しい♪

研師 コーナー

砥ぎは写真のように砥いだり、時には刃を斜めにしたり、さらには砥石を多数使い分けるので、砥石に関しての質問も多かったです。
私自身も、包丁やキャンプ用のナイフを砥ぐのでいろいろ聞けて楽しかったですよ。
目の前で刀を・・・

刃は完全にはついてないようですが目の前に出されると緊張します。
ポスター 会期は3/20(月、祝)まで、あとわずか!

「超・・・ 入門」とゆうことで、
刃紋や地金の肌の部分が図示され、現物の二重波紋ナド特徴を見て分かるようになっています。
また、刀の各部名称のパネル展示もあり、文字通り チョーわかりやすい美術展となっています。

オマケ! 現在 所持中の刀

このBlogのどこかに子供の頃は剣道を習っていたと書きましたが、いい歳になってまた居合を習いたくなって購入した刀です。 ←忙しさにかまけて未だ未修得ですが・・・

わたしのは砥がれていない模造刀状態なので安全ですが、振ると良い樋鳴りがします!

Link:静嘉堂文庫美術館

過去Blog Link:
2012/3/10 静嘉堂文庫美術館の「サムライたちの美学」
2012/3/15 伊木家武家屋敷門

東急電鉄 田園都市線、大井町線 「二子玉川」駅下車、北西へ徒歩17分



近くには、北北東へ徒歩4分で伊木家武家屋敷門。 南東に瀬田城。 北西に大蔵館。 西北西には喜多見氏館。

2017年3月10日金曜日

六波羅探題から東福寺に移築された門 (ろくはらもん:京都)


紅葉の通天橋で有名な東福寺ですが、重森三鈴作庭の方丈庭園を観賞がてら六波羅門他を見てきました。
●六波羅門(重文)

六波羅に存在した平氏邸宅跡に鎌倉幕府が六波羅探題を設置、そこから東福寺に移築されたものです。

この門には足利尊氏が探題を攻めた際の矢傷が残ります。
●勅使門(重文)

1594年(天正18)に賜った門

六波羅の平重盛邸(小松殿)の門との噂もあるが、どうでしょう??


●月下門
亀山天皇から下賜。御所から1268年(文永5)に移築。
六波羅門と並び寺内で最古の部類の建築。 写真なし



●東司 (重文。室町時代)

お坊さんが使った現存最古のトイレ(雪隠)だそうです。
格子から東司内部

埋められた甕が埋められたような穴が便器!
作務や座禅ナドの合間に短時間で1列に並んで用を足すのでしょうね!?

東司から六波羅門

京都の街中から来ると北から入ることになりますが、この六波羅門が南面の正規参拝ルートです。

少し離れたところに重文の浴室も残ります。

その他、
建仁寺 勅使門は六波羅探題の北門、或いは平重盛邸の門とゆう伝承あり。


平安、鎌倉時代の六波羅邸と六波羅探題の遺構とすると俄然興味がわいてきました!
平氏の邸宅の残りがそのまま六波羅探題になり、そこから東福寺、建仁寺に移築されたと考えるのはやっぱり短絡的ですかね~?!

六波羅門 地図
JR奈良線・京福本線「東福寺」駅下車、南東へ徒歩10分
市バス「東福寺」バス停下車、南へ徒歩10分
駐車場:あり 北門駐車場、東司前も駐車で来るようです(未確認)
トイレ:あり

2017年3月5日日曜日

北野天満宮 御土居 と 北野大茶湯 (おどい、きたのおおちゃのゆ:京都)

京都市
北野天満宮の御土居

船岡城→大徳寺 聚光院・龍源院→北野天満宮参拝と御土居をみる為やってきました。
境内案内板

参拝してから御土居に向かおうとしたが入口がみつからず! 近くにいらした神職の方に尋ねたら「公開中の梅園から登れますが、料金が・・・」と案内されました。
北野天満宮北門附近の御土居

豊臣秀吉は1590年(天正18)小田原合戦を終結させると翌、1591年(天正19)に都の周囲に御土居を築き、その内側を洛中、外を洛外としました。
御土居から出土した石仏(北門を出て天満宮北面の道路)

御土居は、低巾20m、高さ6m、総延長22.5kmにも及ぶ大規模なものですが、現代人の私でも想像できるように当時の都の人々からは大不評だったようです。
石仏アップ

天満宮を出て、この石仏から西へ30m歩き、右折して北へ100mほど行くと、約60mほどの御土居の別の残欠があります。
天神川(当時は紙屋川)

境内の御土居は公開中の梅園の一部となっていたのですね~
時間的余裕が無く梅園はパスしましした。人が少ないときにまた来ます。

太閤井戸と北野大茶湯之碑

太閤秀吉は組立式金の茶室を持込み、千利休他、錚々たるメンバーが茶を披露しました。

碑は天満宮駐車場にありますが、井戸の脇はバスが走り抜けます、1/28~3月下旬の梅園公開で観梅目的なのでしょう! 皆さん素通りです。


北野天満宮境 内御土居 地図 (案内板のところ)
天神の北方の御土居 地図 (約60mの遺構)
京福電鉄北野線「北野白梅」駅下車、案内板まで北東へ徒歩10分
駐車場:あり
トイレ :あり




2017年2月27日月曜日

応仁の乱 西軍の拠点 船岡城 (ふなおかじょう:京都)


東参道(建勲通)

船岡城は、応仁の乱が起こると、西軍の拠点として船岡山(標高112m)に築かれました。
言うまでもない話ですが、一帯に西軍が陣を布いたので西陣の地名が残ります。
また、永正の錯乱のでも戦闘が行われました。
織田信長公を祀る建勲神社

平安京は船岡山を基準点として造営されたと云われ、清少納言も枕草子で 「岡は船岡・・・」と書いてます。
グルリと囲まれた社殿裏の神域

中に堀ナドが残るが神域のため入れない!
主郭一段下から

当時も同様の削平された平場だったのであろうか!?
主郭の辺りから北側に下りると堀が!

はじめて船岡山に登ってみて、
横堀と、山肌に曲輪らしき段々の削平地がみられるのでこの状況が良く残ったものだと感心します。
堀まで降り東側を見る

横堀は長く残っていて、もっと深い堀があるようですが時間都合上みてません。
上の写真の反対側(西側)を眺める

ところで、
豊臣秀吉により勅許を受け織田信長公のをまつる天正寺を造営しようとしたとき 或いは御土居構築したときに手を加えていないのか??
と、 Blogをつけていて ふと考えてしまいました。
現地案内から

青色→は撮影方向
南参道

● 応仁の乱 1468年(応仁2)
西軍 大内政弘・山名教之vs東軍 細川勝元ら、 東軍に攻められ陥落。
● 永正の船岡山合戦 1511年(永正8)
船岡城を拠点とした細川澄元、細川政賢vs足利義尹・大内義興・細川高国らが丹波から攻め上り勝利した。
船岡山南方にある船岡温泉

南参道を下ってきた先にあり、マジョリカタイルを使用したレトロな雰囲気の「キング・オフ・1010(銭湯)」
お勧めです! 通常15:00~、日曜は朝8:00~ 始業。


船岡城 地図 (主郭のところ)
京福北野線「北野白梅」駅下車、バス利用「船岡山」or「建勲神社前」バス停
地下鉄烏丸線「北大路」or「出町柳」駅下車、西南西へ 。バス利用「建勲神社前」または「船岡山」バス停下車

地下鉄烏丸線「鞍馬口」駅下車、西へ徒歩19分。

近くには、南西に北野天満宮に隣接した御土居、その北にも御土居と御土居地蔵。 北西に鷹峯御土居。 南西に聚楽第跡。 南に二条城がある。